椎原旬氏が過去作を振り返る
独占
まじアンの発売から数ヶ月。その間には、本当にいろんなことがあったが全部割愛。とりあえず事実としては、僕ははぎやさんと同時にLeafを辞めた。他の理由ではなく、自分の意思で。
2015-01-15 02:12:23それから東京に戻って(=下原の家に転がり込んで)懐かしい練馬暮らしを何ヶ月か満喫した後、縁あってWillという会社に入ることになった。
2015-01-15 02:13:23その時に思ったのは「人の縁って大切だなあ」ということ。人と人との繋がりは大事。本当に大事。この時など、完全に人の縁だけで入社が決まった。
2015-01-15 02:14:16Willは本社が名古屋にある会社だったけど、こちらは練馬。そこで社長との話し合いの結果、東京で事務所を作らせてもらえることに決まった。ただ、その前に名古屋で頓挫しかけていた企画を完成させることが必要だった。
2015-01-15 02:15:54その企画の名前が『独占』……という訳で、今日は自分の作ったゲームの中でも一番知られて無いであろう『独占』を作ってるときのお話。
2015-01-15 02:17:05『独占』には企画者兼ディレクターの方が既にいたので、珍しくシナリオのみでの参加になりました。とはいえ、3ヵ月後に発売するハズなのにシナリオの進捗は0%だったので、シナリオ構成からなにから僕と下原でやり直すことに。
2015-01-15 02:19:092人の主人公と2人のヒロイン、4人の各視点で物語全体を描く予定になっていましたが、それだとシナリオに3~4MBは必要そうだったので1.5MB以内に収まる構成にしました。具体的に言うと、ゲーム期間を約半分にして、ヒロイン視点での描写期間を限定的にしました。
2015-01-15 02:21:244つの視点から物語全体を書いてみるというのは個人的にも魅力的なテーマだったのですが、実現させるには絶対的に時間が足りなかったのであきらめることに。でも、シナリオの一部でも4つの視点から描くという試みだけで、十分楽しかったです。
2015-01-15 02:23:29いま楽しかったと書きましたが、書いてる間は地獄でした。主に時間との戦いという意味で。ゲームの構成を組み直して、構成を生かしたプロットを作成して、全シナリオを書き終える。そのための時間が2ヶ月を切っていました。
2015-01-15 02:25:15毎朝(7時か8時ごろ? 微妙に記憶が曖昧)、テレビから流れるプチモビクスを合図に寝て、昼に起きて日常の業務をこなして、夕方から朝までシナリオ。そんな生活がシナリオ執筆終了まで続きました。
2015-01-15 02:27:01あ、ちなみに、シナリオ全部を僕と下原で書くのは無理だと判断したので、調教パートのほとんどはヘルプの方にお願いしました。念のため。そういえば、調教パートがあるゲームなんて『独占』以来作ってないなあ。
2015-01-15 02:30:42なんやかんやあって、最後は3徹の状態で台本を直接収録スタジオに持って行くことに(悪い例。良い子は一週間前には声優さんに台本を渡しておきましょう)。あの時の帰り道はあまりに眠すぎて、普通の道を歩いてるのにちょっとだけ死を覚悟しました。心臓バクバクいってたし。
2015-01-15 02:32:43そして、なんとか下原邸に帰り着いて寝たのですが、その30分後に「名古屋の開発室に送ったシナリオのzipが壊れていた」という用件の電話で起こされたことは良い思い出。ファイルを送り直して、ファイルが大丈夫だったことを電話で確認して、電話線を引っこ抜いて寝ました。
2015-01-15 02:34:11とらかぷっ!
『独占』のシナリオ作業が終わると、すぐに開発室立ち上げの準備に取り掛かった。開発室の物件を探しながら、新ブランド第一弾の企画を練るのは、忙しかったけど楽しかった。
2015-01-18 01:19:14企画を練る時点で、自分と下原だけでなく、たけまさも既に合流していた。ただ、その時点ではお互いの住んでいる場所は離れていたので、ネットを使ってのコミュニケーションだった。
2015-01-18 01:20:46こちらがキャラクター設定を伝えると、たけまさが絵をつけて返す。ネットを介してそんなやり取りをしてるのも楽しかったが、もっと密に意見をぶつけ合うためにも、一日も早く一緒の開発室でゲームを作りたいと強く思った。
2015-01-18 01:22:31ちなみに、たけまさとはまじアンの制作中にネットを通じて知り合った。まだブロードバンドサービスが一般的ではなかった頃で、主にテレホタイム(※:おっさん用語その1)にICQ(※:おっさん用語その2)を使ってやり取りをしていた。
2015-01-18 01:24:33