火炎放射器による戦車撃破の例 ~太平洋戦線編~
- Nyarlathotep_44
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戦車第七連隊所属のハ号の例
フィリピン戦と言えば、45年の1月26日に戦車第七連隊のハ号が火炎放射戦車に撃破された記録が残っていますね。
2014-05-28 19:00:29ビナロナン付近で防衛していた第四中隊が米兵と現地民による襲撃を2回ほどハ号で退けたところ、敵戦車が接近。隊員のうち4人がたこつぼに入り、2人がハ号に残り砲撃するものの歯がたたない。そのうちハ号の目の前にやってきた敵戦車が火炎を吹き出すとハ号はたちまち燃え上がってしまったとのこと。
2014-05-28 19:05:49@Nyarlathotep_44 24日に防衛していたのはビナロナンではなくサンマヌエル付近でしたね……申し訳ありません。
2014-05-28 19:10:19戦車に残っていた乗員はそのまま焼死、車内の銃砲弾が自爆を始めた。そんな光景を見ていたたこつぼの中の4名は拳銃や帯剣を持ち切り込む準備をしていたものの、火炎放射戦車はそのまま旋回し、随伴歩兵も話しながら遠ざかってしまい、それで九死に一生を得たとのこと。
2014-05-28 19:09:44火炎放射戦車の火炎攻撃による戦車の撃破事例ってかなり珍しいものじゃあないでしょうかね。私もこれ以外でそういう戦歴を見たことがありませんし。
2014-05-28 19:12:43米192戦車大隊B中隊のM3スチュアートの例
太平洋戦線緒戦のフィリピンで、火炎放射器でスチュアートを撃破したって……しかも確認出来るだけで2例。
2015-01-13 22:19:472月と3月は死者の数が極端に多く、異例のことになった。とても勇気があり温かい人柄だったエドワード・G・ウィンガー伍長は、敵が初めて油式火炎放射器を使用したときその犠牲になった。
2015-01-13 22:21:59伍長はこの恐ろしい新兵器によって眼が見えなくなったため、2本の立ち木の間に戦車を突っ込んでしまい、戦車は放棄せねばならなかった。
2015-01-13 22:22:13べつの悲劇では、この火炎放射器に向かってまともに突撃した1台の戦車が、乗員もろともに火を吹いた。日本軍は彼らが出てきて降伏することを許さず戦車の周りにぐるっと穴を掘り、上部砲塔入り口にじかに泥や砂を入れた。(中略)
2015-01-13 22:27:29被弾戦車を野営地に引いてから、私たちは仲間たちを手厚く葬ることができた。ふたりは焼死しており、ふたりは泥と砂による窒息死だった。(バターン 遠い道のりのさきに 梨の木舎より)
2015-01-13 22:28:23マジかよ……マジかよ……戦車第七連隊のハ号よりも先に火炎放射器で撃破された戦車が存在したなんて……しかもこれ見る限りではどう考えても手持ち火炎放射器だろう。
2015-01-13 22:30:29ちなみに「バターン 遠い道のりのさきに」は界隈的には二千円する割にはリターンが少ないので買うのはオススメしない(この記述を確認するために電子書籍買って後悔してる馬鹿
2015-01-13 22:33:04