【邪悪の樹――二籠】第一戦闘フェイズ――生の樹

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

扉をゆっくりと押し開く。光源の偏った空間が見えて、視界が定まるまで【貪欲】の手はドアノブを離そうとはしなかった。 葡萄畑を思わせる配置をされた無数の席。ヴィンヤード型と言うのだったかと、記憶を手繰る。 一歩踏み入れ、後ろ手に扉を閉めた。石造りの建物らしく、慣れた冷たさが肌に迫る。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

雛壇へと迷いなく歩を進める。道中、足取りが一度だけ止まった。雛壇に、席が無い。 それではこれは演奏会や歌劇の類に用いられる場所か、と内心の認識を改める。顎を引く。照明の位置、舞台の広さ、己の知らない情報を脳に叩き込む。 そして――この場で最も欲求をぶつけるべき、相手を見つけた。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

まず認識したのは、冬の朝の光で織ったような淡い金色の髪。流れるそれに、自分の対だと論拠もなく確信した。 次に理解したのは、相手の両足の代わりを務めているのだろう車椅子。失った感覚は歩行に関するものだろうかと推測する。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

出来る限り相手から目を離さないように、されど障害に気付かず転ぶことのないように一定間隔で視線を足元に走らせる。 相手の約六フィート手前まで近づいたところで、呼び掛けた。その表情は、笑顔だ。 「初めまして、美人さん。私は【伽藍の矢】の一矢、【貪欲】。君が【万斛の鎌】の一振りかい？」

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

眩しさに思わず目を瞑った。 太陽か、【醜悪】言っていた「外」と言うものかと思考したが――どうやら違うようだ。 光の正体は人工的なもの。薄ら眼を開いて、確認する。 ――…来たこともないはずなのに、どこか懐かしい気がした。 眩しさに目も慣れた頃、それは現れた。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

灰白と紫苑の見知らぬ者。何もかも知らぬ、対なる者。 だがこれだけは分かる。「敵」だと。 ―――「貪欲」。なにもかも欲するもの。 一度、その言葉を声にはならぬ口だけで動かし復唱する。 多色の瞳はじっと紫苑を見つめたままで。ゆっくり噛みしめるように。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

そうすると今度はそっと背に敷いていたスケッチブックを取り出し、さらさらとペンを走らせる。 『拒絶』 ただそれだけ記したそれをトン、と置いて目の前の【貪欲】とやらに見せる。 して、相手が読んだだろうかと判断すれば紙をめくり次のページへ。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

そこには 『あなたの心臓は おいしいの？』 そう、記されている。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

足を肩幅に開く。スケッチブックの上でペンが躍る様子を窺う。 示された簡潔な単語に、息を吐いた。 「【拒絶】……ね」 対だ、と改めて感じる。もしもその性情が、名のとおりに全てを拒み絶対に受け入れないものであるならば。 自分は、そのように生きることは出来ないし、生きたくもない。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

ただ、自分との対話は拒まずにいてくれるらしい。【万斛の鎌】も十分に興味の対象である【貪欲】にとっては有難い。 自分が読んだことを確認した上で移行した紙に、つらつらと思考を進めようとする。しかし、それは次の問いで一時停止した。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

数度の瞬きの後、くっと笑声が洩れる。手の位置を確認し、口元を覆うように移動させ、そのまま笑声を立てる。 暫くして笑いを収め、口を隠していた手を左胸、ちょうど心臓の真上に移動させる。 「さぁ？　どうだろう。家畜は存外美食家だと聞くから、そういう意味ではお奨め出来る代物ではないね」

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

屋敷では、誰かが食事をしていれば同じものが欲しくなって真似していたし、それ以前は、残っている記憶から推測する限り、むしろ悪食だ。 「でも」 この場にはない何かに、焦点を合わせる紫苑。 「生きたまま抜き出した人間の心臓は、とても美味しい、とは、聞いたことがあるよ」 笑って、告げた。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

【貪欲】が笑うと、きょとんと。 何がおかしかったのか分からず不思議そうに首を傾ける。 そうして告げられた言葉には、それは非常に嬉しそうに表情を変えて。 そうか。生きたまま抜き出すのか。 美味しい心臓を持ち帰ったらきっとみんな喜んでくれるはずだ。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

これで安心して、その他の物事は自分の世界から拒絶できる。 なにせ今求めているのは美味しい心臓のみだけだからだ。 それを持ち帰って仲間に褒めてもらう事だけだからだ。 表情はそのまま、ペンを走らせる様子はどこか軽やかに。 『なら貴方の美味しい心臓 頂戴』

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

スケッチブックを見せつつ手を伸ばす。 相手の都合など一切拒絶した要望。 むしろその表情からは要望を拒否されるなんてことも拒絶しているように思えるかもしれない。 悪意なんてのも完全拒絶した、無垢な笑顔。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

不思議そうな顔に、一つの情報を手に入れる。相手が声を出さないのは、聴覚がないからではない。 読唇術で会話が成り立っていたのなら、口元を覆ったことに僅かなりとも不安を覚えるはずだ。それが、なかった。 安堵の表情へと切り替わったのも、自分の手が移動した後、答えを提示してみせた時だ。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

さて、と伸ばされた手を見つめる。傷痕もあかぎれもない、陶器のような綺麗な肌。 忠臣が主人へと褒賞を求めるように、あるいは主人が忠臣へと施しを授けるように、恐れも疑いもない。 無垢な笑顔は、同胞達が自分に向けてくれたものと変わりなく心地良くて、もっと見ていたいなと感じる自分がいる。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

けれど。 「残念ながら、はいどうぞ差し上げます、とは、いかないなぁ」 見たいものは、他にもある。例えば、驚愕に染まる顔。例えば、苛立ちを募らせる顔。例えば、絶望に打ちひしがれる顔。 敵だと言うのなら、快ばかりを与える必要がないのなら、負の感情すらもぶつけて貰わなくては。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

それに、例え幾多の表情を見たところで、自分の心臓には対価が足りない。 「私も、君の心臓が欲しい。私は、私の記憶が欲しい。私は、仲間のもとへと帰るという決意を、果たしたい」 欲求には対価が要る。自分は、自分が殺される覚悟と、相手を殺す覚悟を対価として、今この場にいる。

【貪欲】ハープギーア @habgier_toe

「私の心臓が欲しいなら、私の欲求を満たすだけのものを払ってくれるか……私の欲求を踏み躙り消し飛ばすほどの強大な力で奪い取ってみせるか、選んでくれるかな」 自身の欲求でもって、相手の欲求を拒むと告げる。相手が後者を選ぶならば紫苑の奥の光が強まるだろう。一歩引きすらするかもしれない。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

ひとつ、ぱちりと。 心臓。記憶。 まさかあちらも同じような条件でここに居ようとは。 相手はただ搾取されるだけのものだと思っていたのに。 今まで豊かに見せていた表情がふ、と消える。 差し出していた手を、ゆっくりと引く。 まるで人形か機械かのように何も見せず、記す。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

『私は 払うものをもたない』 『私は 強大な力などもたない』 『私は 与えられるものを拒絶することしかできない』 『だから』 『貴方の欲求を 拒絶します』 するりと滑らせ、スケッチブックを落す。 それはあたかも意思疎通を図ることさえ拒絶するかのような。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

代わりに己が腰を隠す翼より取り出したるは、裏が真っ黒に塗りつぶされた幾枚の羊皮紙。 一枚目――始めに記したる世界の名は『 Personne avide ＝欲深き者＝ 』 ペンで椅子の持ち手をコンコン、とまるで指揮者のように鳴らす。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

するとどうだろうか。 金、ルビー、サファイア、プラチナ、ダイアモンド… 富める者、奪うものの象徴、あらゆる宝石が人工的な光を浴びて煌めく花として、【拒絶】の周りを彩り形を成す。

【拒絶】アップレーヌング @Az2_abl

そこへ記したるは apre aprete＝暴力的なまでに魅せつけよ＝ 煌めく花々の花弁は、鋭き刃となりて。 一直線に【貪欲】に向けて放たれる。 ―――第一楽章『栄』 戯曲が、紡がれる。