沈黙した猿#4

寂れた村に現れた奇妙な見世物の集団。彼らと出会って、廃業寸前の音楽家ギルダーは大きく運命を変えます #1はこちら http://togetter.com/li/760078 #2はこちら http://togetter.com/li/766924 #3はこちら http://togetter.com/li/769670 続きを読む
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踊り子は意地悪くギルダーを見る。「どう? 憧れの先輩が、最後の最後まであなたを裏切っていた事実は。ショックだった?」 「いいや、イザベリはイザベリだ。裏切られていても、僕はイザベリを信じている」 「じゃあ、ここでお別れね。イザベリ、あなたの心臓をいただきます」 109

2015-01-21 22:22:50
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そう言って踊り子はイザベリの胸に腕を差し入れた。まるで泥か何かに突っ込んだように、腕が身体の中へ沈む。イザベリは叫んだ。叫んだのだ。声を失ったはずのイザベリが、まるで老婆のようなしわがれた声で、叫び声を上げたのだ。「分かったでしょ、これが貴方の……最も大切な音楽よ」 110

2015-01-21 22:26:34
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――沈黙した猿 エピローグ

2015-01-21 22:28:37
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ギルダーは目を開けた。彼は朝日の差す村の広場でベンチに座っていた。ベンチに座ったまま寝ていたようだ。いつから寝ていたのだろうか。それを、ギルダーは思い出すことができなかった。彼は自分の隣で体重を預けて寝ている娘に気付いた。イザベリだ。彼女は安らかな顔で眠る。 111

2015-01-21 22:31:54
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チクタク、チクタクと微細な機械音が聞こえてくる。ギルダーはイザベリを見る。彼女は半裸で踊り子のような衣装を着ていた。胸が露わになっており、大きな穴が開いていた。そこから覗くのは……丸い、懐中時計のような真鍮の塊だった。これが代わりの心臓だろう。 112

2015-01-21 22:35:07
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イザベリは心臓を失ってしまった! ギルダーは不安になって彼女を揺り動かした。「イザベリ、イザベリ。起きて」 ギルダーは必死に彼女の名を呼ぶ。やがてイザベリはゆっくりとそのまぶたを開けた。「おはよう、ギルダー」 そう言って彼女は笑った。笑ったのだ。 113

2015-01-21 22:39:05
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声と笑顔を失ったイザベリが、当時の美しい声で返事をして笑った。嬉しくなってギルダーは彼女を強く抱きしめた。「ああ、これで全部元通りだね。綺麗なままのイザベリに戻れたんだね」 「おはよう、ギルダー……おはよう、ギルダー」 しかし、イザベリは笑顔のまま言葉を繰り返す。114

2015-01-21 22:44:02
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イザベリは心を失ってしまったのだろう。もう彼女はどんな音楽を奏でることもない。「おはようギルダー。いい天気ね」 そう言ってイザベリは笑った。イザベリは音楽を失った。しかし、声と笑顔を取り戻した。それで十分だ。十分じゃないか。ギルダーはイザベリを抱き寄せて泣いた。 115

2015-01-21 22:46:54
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ギルダーは泣きながら、ゆっくりと歌った。久しぶりに歌を歌う喉はどこかぎこちなく、音程も酷く踏み外した歌だった。「十分だ。十分じゃないか。イザベリ。僕は歌うよ。がらくたの心臓でも、幼子が歌を歌い始めるように、最初からやり直せばいいじゃないか。僕は歌うよ」 116

2015-01-21 22:49:24
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見晴らしの良い広場には、すでにあの真っ赤な巨大テントは無かった。見世物の集団は忽然と消え失せていた。たくさんの馬車も、猿面の男たちもいない。目的を達したのだ。イザベリの、醜い心臓を奪うという目的を。「イザベリ、全部忘れよう。全部忘れて、最初から歩こう」 117

2015-01-21 22:52:59
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「おはよう、ギルダー。今日もいい天気ね。おはよう、ギルダー」 イザベリは笑い、言葉を繰り返す。ギルダーとイザベリは、日が暮れるまでベンチに座っていた。ギルダーは音楽を繰り返す。まるで幼子が初めて歌を始めるように。118

2015-01-21 22:56:00
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――沈黙した猿 (了)

2015-01-21 22:56:13