「夫婦別姓反対論」の本質は表現規制と同じであり望ましいものではない
原則云々ってよく分からんな。別姓選択制ならどっちも同じだろう。離婚率が低いのは女性解放が進んでいないことのバロメータだからむしろ日本の恥、と捉えることもできるし。http://ameblo.jp/dol-souraku/entry-10471302496.html
2010-03-02 12:21:51アメリカ人に言わせれば、日本は「女性の地位が低いせいで、離婚したくても出来ない、女性が望まない結婚相手に性的に隷従させられている国」なんだろうなあ。
2010-03-02 12:25:36それはそれで疑問に思わなくもないのだが。離婚率が低いだけでそこまでいわれにゃいかんのかと。 だから逆に、離婚率が高いことをもっていろいろ言うのも違うかなと。
2010-03-02 12:26:41子供を盾にとって後進的な婚姻・家族制度の護持を訴えるのは俺的にはありえない選択肢だなー。じゃあ子供の旧来の養育法はあきらめましょう、という結論にしかならん。俺は。
2010-03-02 12:36:33日本の離婚率が有意に低いのは事実でしょう。これが子供の養育においてよいことだと評価することも多分可能でしょう。「だから」就労環境向上や婚姻制度の改善による女性の権利拡張が進まなくてもよい、とする理屈を、政治家は実際に唱えてます。
2010-03-02 13:57:23個人に社会の統計的傾向に対しての責任を負わせてその権利を制限するような理屈は間違っている。これはリベラルの原則だ。この立場に立ってこそ、「離婚率がどうだろうが知るかボケ、女性の権利を拡張しろ」と正しく突っぱねることが出来る。
2010-03-02 13:59:36「社会における統計的傾向」というのは、つまりは「構造的な人権侵害」だ。子供の権利が構造的に侵害されている、とすることは可能だし実際女性で保守派政治家やろうとしたら、そういう「子供」を旗印にしたいかにも「家庭の主婦」的聞こえのいい主張はいい目くらまし。
2010-03-02 14:01:52「ポルノ表現におびえる女性」を盾に取った表現の自由規制の主張と、「離婚で悲しむ子供」を盾に取った女権拡張論反対の主張はだからまったく同形の論理に基づいてるんだよね。俺達は反動的表現規制論者とは一線を画してる、と思ってた人たちは、さて、それに気づいていたかね?
2010-03-02 14:04:52つーか、要するに「女子供」論だからなあ、そういう抽象的な論の立て方は。女も子供もなく、全員を一人の個人として、その範囲で権利を考えていかなきゃ平等とはいえないだろう。
2010-03-02 14:08:18@NaokiTakahashi 「家族」の相対利益と個人の絶対利益との対立なので、個別論に偏るのはどうかと思います [きゅんきゅん]
2010-03-02 14:10:24@happylab 伝統的な家族を築きたい人たち同士で自由にそうすればいいので、やっぱり個人の自由の話じゃないですかねえ。子供を育てる義務とかまで具体化されれば、これは具体的な父・母とその具体的な子供という実在具体個人間の権利の話にできるけれども。
2010-03-02 14:13:10@NaokiTakahashi 一番力関係が弱いものに一番選択肢がないっていうのは、制度改正の方向性としては問題がある気がします [きゅんきゅん]
2010-03-02 14:18:05@happylab 最低限の養育の義務を果たしている限りは、親の自由は認められるべきかと思います。離婚したければすればいいんだと思う。それが抑圧される社会よりは、いいのかなと。
2010-03-02 14:18:58@NaokiTakahashi 逆に、そこまで自由がほしければハナから結婚するべきではないんじゃないかと。社会的には子供を産んで育ててっていうのが「家族」システムの大きな目的でしょうし、その目的に反する自由はどうかなぁと思います [きゅんきゅん]
2010-03-02 14:20:55生んだ子供個人と父母個人との関係として権利とか責任とか保護とかを考えればいいのであって、家族という枠やその特定の型が必要なのかは疑問。
2010-03-02 14:23:08@NaokiTakahashi 個人単位になると、その個人を守るのは誰かっていうことに。社会が守らなければならないとしたら、社会への依存度も高くなりますし、移譲される権限が大きくなりすぎる可能性もあります [きゅんきゅん]
2010-03-02 14:28:39@happylab 家族というブラックボックスの中で、(しばしば父)親に委譲してしまうことによる父権支配、というのが問題視されてきたのが近代の流れかなあと。
2010-03-02 14:30:16@NaokiTakahashi 家族内での主権拡散はもっと考えられるべきだと思いますね。ただ、個人主義は内部からの「家族」であるとの主張と、外観的「家族」に対する認識が異なった場合、その家族をもっと大きな社会の一員としてどうみなすか、という問題を孕むと思います [きゅんきゅん]
2010-03-02 14:34:09