陸奥を亡くした長門の話

いろいろ考える矢矧bot（かわはぎ @Sakawalove_YHG

陸奥と提督が遠くなる。私は二人が好きだった。目を離せなかった。「また、会えるか？」と陳腐な言葉が思いついたとき、二人はすでに水上に居なかった。#矢矧の手記_外伝

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海は何事もなかったかのように凪いでいた。#矢矧の手記_外伝

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……ふぅ。

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長門と木曾と共に海を駆け抜けて、待ち合わせの場所に辿り着いた。そこにいた彼女は、想像していたよりずっと艦娘らしい姿をしていた。美しい人だと、思った。#矢矧の手記_外伝

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目や指、それと心臓、右足、後頭部。赤く脈動する血管が這ったような黒い装甲で埋められていた。おそらく陸奥であった頃、不全が生じていた場所が補われたのだろう。肌は水死体のように白い。#矢矧の手記_外伝

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彼女はおそらく深海棲艦なのだろうが、流暢に喋った。多分、完全な深海棲艦でもないのだろう。彼女の目には負の感情がなかった。こんな言い方は変かもしれないが、女神のようだった。#矢矧の手記_外伝

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「矢矧」と突然呼びかけられて、私は裏返った声で「はい」と言った。彼女――陸奥は、一度沈んだ私を見つけ返してくれた恩人らしい、私にその記憶はないということをいうと「そうよね」と悲しげに微笑んだ。#矢矧の手記_外伝

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「俺たちを貴様の命日に呼んだ理由は何だ？」と木曾は言った。「ああ……いまは誕生日か？」#矢矧の手記_外伝

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陸奥は静かに話し始めた。自ら沈んだためか、満たされながら死んだためか、はたまた初めから深海棲艦に近い存在だったためか、深海棲艦としての意志を彼女は持たなかった。彼女は近海の守護者だった。#矢矧の手記_外伝

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鎮守府正面海域に比較的強い敵が少ないのは、彼女という強力な存在が湾で番をしているからだった。敢えてそこを突破しようとするものは少なく、正面切って彼女に立ち向かい侵入したものは皆無だった。#矢矧の手記_外伝

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だけど、このところ海に「穢れ」が増えたという。彼女ですら全ては相手にできないような、怨念や邪気の群れが近づいてきているらしい。彼女は警告する。いつかもし私が斃れたら、この海は血に染まると。#矢矧の手記_外伝

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「私でも駆逐艦は一度に百体までしか相手にできないのよね」「いや、陸奥以外誰にもできないだろう、それは」「あら、海は広いのよ、少なくとも五体、単体で私よりずっと強い深海棲艦がいるんだから」#矢矧の手記_外伝

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「なあ、深海棲艦の親玉ってなんなんだ？　何かしらねえのか？」と木曾が腕を組みながら言った。「ええ、知ってるわ、もちろん」と陸奥は答えた。 「人間よ」 #矢矧の手記_外伝

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それ以上、彼女は何も答えてくれなかった。#矢矧の手記_外伝

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「これこれ、この味よねえ」と陸奥は何度もうなずきながら言った。陸奥の手紙にはお酒やお菓子を持ってきてくれとあったのだった。四人の小さな宴会。いまいち三人の昔話に入れない私。#矢矧の手記_外伝

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長門が昔、提督の誕生日に手作りのうさぎのぬいぐるみを贈ったこと。木曾が昔、日記ならぬポエムを綴っていたこと。私が担いできた間宮のアイスをすごい勢いで食べながら、そして赤面する長門と木曾を見ながら、陸奥は本当に楽しそうだった。#矢矧の手記_外伝

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「あまり私の手間を増やさないでね」と別れ際に陸奥は言った。それから私を呼び止めた。「矢矧、なぜ私が貴方を助けたと思う？」私は無言で首を横に振った。#矢矧の手記_外伝

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「私達は幸せになるためには何をしたっていい。だけど自分の愛する人を幸せにすることでしか、私達は本当に幸せになれない。貴方は愛する妹を護るため愛する妹を害そうとする、それは愚かしい行為よ、と言ったわ」#矢矧の手記_外伝

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「貴方は答えた。私達には愚かになる権利がある、だから人を愛することができるの、と」陸奥は目を細めて言った。「その言葉、もう少し前に聞ければ、私は――」#矢矧の手記_外伝

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またね、とささやいて、陸奥は音もなく海中に消えた。ホタルのように海中で燐光が舞った。綺麗ね、と私が声をかけた長門は、表情を大きく崩して声なく泣いていた。木曾はしきりに鼻をこすっていた。#矢矧の手記_外伝

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「この世にはきっと、正しいものがありすぎる」と泣きながら長門は言った。「違うな、この世には幸せになる方法が多すぎるんだ」と木曾が言った。私は……どちらを選べばよかったのだろう。#矢矧の手記_外伝

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二人の言葉は私にはおそらく半分ほどしか理解できていない。私はただ、帰って酒匂を抱きしめたい気持ちだった。素直にそう言ったら、笑われた。#矢矧の手記_外伝

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「おかえりぃー！　矢矧ちゃん！」酒匂と提督が出迎えてくれた。「ねえねえ、陸奥さんいい人だったでしょ！　あたしにはわかるよ！　見たこと無いけど、矢矧ちゃんとあたしの恩人だもの！」#矢矧の手記_外伝

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酒匂を抱きしめると石鹸のにおいがした。愚かしいくらい強く抱きしめた。痛がる酒匂を決して離そうとしなかった。あの日私を、この体を持つ前の私を葬った酒匂がそうだったように。#矢矧の手記_外伝