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のろのろとした歩み方の重要性、という言葉だったか厳密に覚えていないんだけど、これを言ったのは確か井口先生だったか、その言葉がようやく実感として染みてくる。
2010-12-12 14:13:27アイデアや観念、ジャーゴンが複合していく思いつきの「スピード」は、何かを「考えている」かのように思うだろうけども、本当は何も考えていない、と言うことも前に釘を刺された気がする。半分は反論したい(無意識や野生の思考の意義的に)が、最近ぐうの音もないぐらい叩きのめされたので反論できん
2010-12-12 14:14:55のろのろと歩くことと、その遅さに辛抱することが、研究には重要なのだと身体的にようやく理解できた。
2010-12-12 14:15:58多分、僕の運動神経の悪さ、身体の鈍さと、それへのコンプレックスで脳内の観念連関の速度で「見返す」みたいな無意識の何かがあるような気がする。
2010-12-12 14:17:12ゼロ年代批評はジャーゴンの連結の速度を高めて、飲み会で専門用語と作品名を連呼して叫んでいるだけのものだったけど、それはそれでネットと連結した「野生の思考」の部分や類似性思考によってアイデアを生み出す利点はあったと思うけど、その速度の極限に何かの臨界点があった気が。
2010-12-12 14:25:00最近ゼロアカについて反省することが多いのだけれど、ゼロアカ勢が失敗していくことになったのは、この「ゼロ年代批評」を代表して、それを肯定的な意義に持って行くことの困難さにあったのだと思っている。僕の2ちゃん論やWEB文学論が全て流産しているのもその辺に理由があるような。
2010-12-12 14:43:22そしてニコニコ動画論の難しさ、「ネット的生成」を肯定するロジックが組み立てにくいのも、「類似性」の思考によって「類似性」的なものを論じる、そのメタ-オブジェクトレベルのなさ故だったのだろうかなぁ、と。
2010-12-12 14:44:34だって、それはいわゆるロジックではないからねえ。いわゆるロジックでないものを肯定するロジックを組み立てるという二律背反を、自らの批評も「ロジックではない」、生成的なものとしながら実現させるという、無茶があそこにはあった。
2010-12-12 14:45:27