九州全体の銀行の話 by @tsuchie88

怪僧つっちーさんの九州の銀行の話をまとめました。
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(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

都市銀行が、1970年代に第二次オンラインシステムを稼動させた頃、地銀でもシステムのオンライン化を進める動きがあった。とはいえ、当時地銀が構築可能なシステムというと、どうしても予算も規模も限られる。

2015-02-17 20:37:53
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

1970年代は、計算機科学や半導体工学の分野では、現代に繋がる革命的な理論が次々に実用化された時代ではあるが、当時日本にあったコンピューターは輸入品も含めて銀行のオンラインシステムを作るには不十分な側面が大きかった

2015-02-17 20:47:34
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

特に、独自に発展を遂げていた国産メーカーの大型コンピューターは、OSといっても非常に機能が限定されていて、銀行がオンラインを作るといったら、出来合いのシステムをベースにアプリケーションを作るという話以前に、一緒にOSを作るといった感じが強かった

2015-02-17 20:49:57
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

都銀や、先進的な地銀の中では、こういったシステム構築に際して、メインフレームメーカーと独自のOSの構築や、トランザクションモニターを作っていって、何とかモノになるシステムを作っていった。70年代に構築された邦銀のオンラインシステムは、世界的に見てもかなり先進的な部類に入る

2015-02-17 20:51:45
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

故に、80年代に成熟したOSやミドルウェアをベースに構築された第三次オンラインシステムでは、独自にかなり投資していた先行組は、第二次オンラインシステム時代の基盤をそのまま使うところが多かった。三オンに乗り遅れた銀行は、90年代に入るとかなり苦しい局面に入る

2015-02-17 20:53:32
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

典型的な例が、東京の八千代信用金庫である。70年代に、NECの独自メインフレームをベースに、三オンのスペックをかなり実現してしまうシステムを作ってしまったので、80年代に三オンの構築を行わなかった。八千代信用組合は、普通銀行に転換して現在の八千代銀行(第二地銀)になっている

2015-02-17 20:55:19
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

NECは70年代に独自メインフレームを放棄して、ハネウェルとGEからのアーキテクチャを輸入してACOSシリーズを作った(東芝も同様)。同じように、富士通と日立はIBM系のOS互換のメインフレームに転換していくわけだが、70年代に独自構築した地銀は取り残されることになる

2015-02-17 20:58:24
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

ちなみに、八千代銀行は00年代になって70年代から使い続けてるNECメインフレームを、HP-UXとOracleベースのNEC BW21に刷新して今に至る。本邦では初のオープン勘定系システムである

2015-02-17 20:59:59

Welcome back about 九州地銀!

(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

で、まぁこういう条件を抱えた九州三地銀であるが、最初は富士通のPROBANKでの刷新を期していた。このシステムは、富士通が開発主体となって、福島の東邦銀行をキックカスタマーとして一時期大勢力を誇った共同システム

2015-02-17 21:05:22
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

PROBANKは、ほとんど伝説と化している開発の難航と横展開の失敗でアレなのだが、元々キックカスタマーの東邦銀行のシステムを解析して地銀に共通化するパッケージを作ろうとしたのだが、そもそも東邦のシステムの刷新に難航してしまって、パッケージ化に失敗したアレプロジェクトである

2015-02-17 21:07:19
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

同様に、NECのBW21も、キックオフカスタマーの八千代銀行での実装にかなり手間取った関係で横展開に失敗してしまい、失敗パッケージの一つに数えられている。BW21が、UNIXとOracleベースのオープンシステム、PROBANKが富士通メインフレームベースの手堅いシステムだが

2015-02-17 21:09:19
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

PROBANKの失敗によって、離脱した三地銀が向かった先が、日本ユニシスが開発していたWindows系勘定系システムのBankVisionである。RDBとUNIXによるオープンシステムでもかなりアレなのに、Windows Serverで安定したシステムが作れるのか?

2015-02-17 21:11:20
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

まぁ作れたんですよね。ここが日本ユニシスのすごいとこ。ここには、大量のトランザクションを処理するために、独自に開発したミドルウェア基盤MINDMOSTの優秀性が光っている。それ以上に、業務システムのパッケージ化でも、銀行と勉強会を繰り返して、パッケージ化を図ってきた

2015-02-17 21:13:46
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

MINDMOSTじゃなくMIDMOSTでございます。かなり酔っ払ってまいりました(マタタビ)

2015-02-17 21:16:34
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

70年代に、メインフレームメーカーが顧客と汗を流して作ってきた手法を、そのままWindows勘定系の構築でも愚直にやってきたところに、BankVsionの成功があると思うんですよね

2015-02-17 21:15:09
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

このように、銀行のシステム屋には強烈なプライドと実績があります。だからこそ、システム移行に際しては新技術や培ってきた業務知識に高い思い入れがあります。いやぁ、これはシステム屋だけじゃなく、一般の銀行員にもありますね。現場が、システムを育てたという高いプライドが

2015-02-17 21:24:25
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

今でも、ちょっと古い九州地銀の銀行員の方と話してると、自社の勘定系システムを「OS」という方がおられるんですよね。実際、OSを銀行が共に作ったという、壮絶な歴史がある

2015-02-17 21:25:56
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

とまぁいったところで、クソ金を稼ぐシステムをいかにつくるか、というところが重要なのであります、いかに現場の銀行員やシステムの人がすごくても、外部の環境が変化すれば、それに会わせた最良のシステムを作らなにゃいかんわけです。この辺り、九州の人は愚直で真摯だと思うですぬ

2015-02-17 21:29:53
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

というわけでして、00年代の地銀システムのヤバイところは、だいたい九州が震源となっておりました。この激震は、全土を今も揺るがしておりますが、新しい震源になっておるのが東海地方じゃねーかなぁと思ったりします。

2015-02-17 21:32:39