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ところで、飛天御剣流は本当に古流剣術なのだろうか…

まとめてみました。
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谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

1550年代~1590年の間に、比古清十郎が剣術指南役として「北方の国」に仕官しますが、その「北方の国」は「南雲の国」の侵攻に逢い、一時は滅亡寸前のところまで行きます。が、比古清十郎の活躍により北方の国は再興されます(「戦国の三日月」)。このころはまだ「飛天三剣流」です。

2015-02-25 20:53:00
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

このころの「飛天三剣流」は特定の権力に従うことに抵抗はないようですし、それどころか比古自身が権力者になっています。まだ「生きようとする意志」や「自由の剣」といった思想性はありません。

2015-02-25 20:55:27
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そして、このころの「飛天三剣流」の特徴として、一体多数の斬り合いにきわめて特化している、という点があります。秘刃とされる「飛天無限斬」という技も「百人を斬る」と謳われています。また、このころの技は技名に「飛天」がついていることも特徴。

2015-02-25 20:57:56
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

きっと、このころの「飛天三剣流」は、極端に一対多数に特化した剣術で、飛天にインスパイアするところのある流派だったと思われます(たとえば、飛天から剣を教わった、みたいな伝説のある流派)。

2015-02-25 21:03:41
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そしてこのころの「飛天三剣流」は、東国ないし東北地方に根を張っていたものと思われます。しかし……。「北方の国」に暗雲が立ち込め始めます。

2015-02-25 21:06:34
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

きっかけは、豊臣秀吉の北条攻めでした。このかつてない大乱に巻き込まれた「北方の国」は、なすすべなく崩壊します。その際、比古は辛くも「北方の国」から脱出しますが、その比古の傍らには一人の青年がいました。

2015-02-25 21:10:59
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

それはかつて、比古に「生きること」を教えた一心太でした。彼は南雲の国の戦いで比古に認められ、飛天三剣流の後継ぎとして弟子入りしていたのです。

2015-02-25 21:12:05
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そうして故郷を追われた二人は流浪の旅に出ることになります。しかし、さしもの比古も寄る年波には勝てず、流浪の旅の末に客死します。それでも一心太は師匠の名前と飛天三剣流の名を引き継いで旅を続けます。

2015-02-25 21:16:47
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そうした旅の末、一心太がたどり着いたのが京都でした。その京都で、一心太はある剣術流派と出会います。

2015-02-25 21:18:40
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

その剣術は、「巳剣流(みつるぎりゅう)」という流派でした。神泉苑の善女竜王を崇める巳剣流は、善女竜王が使役する龍を模した技を多く有する一対一に特化した剣術でした。

2015-02-25 21:20:42
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そして、巳剣流は、かつて空海の祈祷によって慈雨を降らせた善女竜王の故事にあるように、「あまねくこの世にいる皆のために振るう剣」という哲学を持っていました。これは、他人のために涙を流す優しさを持っていた一心太に響きます。

2015-02-25 21:23:18
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

また、飛天三剣流の都合もありました。飛天三剣流は一対多数に特化しすぎており、一対一の技が少ないという問題がありました。そこで、一心太は巳剣流からこれはと思う若者を見繕い、その若者を後継者とします。

2015-02-25 21:26:29
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

その後継者を仮に巳助とします。やがて一心太から飛天三剣流を教わり比古清十郎の名を引き継いだ巳助は、一心太の思惑に従って飛天三剣流と巳剣流の融合を目指します。三剣流の「一対多数」の複雑な術理を整理、統合し、一対一の技の多くを巳剣流から取り入れ始めます。

2015-02-25 21:30:41
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そうして、かつて飛天をインスパイアしていた三剣流に龍のモチーフが入り込むことになります。そうして、飛天と龍という二つのモチーフが並立した「飛天巳剣流」が誕生します。

2015-02-25 21:32:58
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

※言い忘れてました。 日本の龍は蛇神と深い関係があるため、龍と蛇は混同されやすかったといいます。ヤマタノオロチなんかはその代表格ですね。

2015-02-25 21:35:46
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

しかし、ここで巳助は悩みます。「果たして、”巳剣流”と名乗っていいのか?」と。かつて一振りで三人を斬ると謳われた「三剣流」にもそのいわれはあるはず。けれど、既にこの流派は「巳剣流」の影響を受けすぎている。そこで、彼はある手に出ます。

2015-02-25 21:39:21
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そうだ、正式な名称を「飛天ミ剣流」にすればよい! と。この「ミ」は三でもあり巳でもある。意味をあえて漢字で固定しなければよい! と。

2015-02-25 21:41:03
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

そしてこれは明治にも持ち越されます。剣心は「飛天ミ剣流」という意識で名乗っているのですが、比留間姉妹や左之助は『飛天御剣流』という字を当て、西脇に脅されていた三きょうだい(読み切り版)は『飛天三剣流』という漢字を当てたのです。

2015-02-25 21:44:16
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

とまあクソ長くなりましたが、 ・東国から出た飛天三剣流は何らかの理由で京に流れた ・そこで龍にインスパイアした流派と合流 ・実は飛天御剣流は「飛天ミ剣流」である ということになります。

2015-02-25 21:48:30
谷津矢車(戯作者/小説家) @yatsuyaguruma

で、なぜ「飛天ミ剣流」などという無理のある説明をするかというと、恵・薫・弥彦が三兄弟で神谷越次郎がその父親という設定のパイロット版を無理矢理剣心サーガに組み込むためです。

2015-02-25 21:50:19
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