- kamayan1192
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9時15分 ちょうどこのころ、青年将校占拠中の陸軍大臣官邸で拘束中の川崎陸軍大臣と真崎勘三郎大将が面会が終わったころ。 この面会のあと、川島陸軍大臣は、公用車をとばして宮中参内する。 いまごろ、陸軍大臣の車列がお堀にさしかかったころだろう。
2015-02-26 09:20:039時25分 香椎浩平中将からの「近衛師団ハ速ヤカニ兵力出動ノ準備ヲ為シ後命ヲ待ツヘシ」(東警作命第二号)に基づいて、近衛師団は臨戦状態にはいったころ。 しかし香椎中将は青年将校よりなので、この東警作命は鎮圧目的ではなく加勢目的。
2015-02-26 09:25:29処刑された将校遺族が語る2・26事件 t.asahi.com/hcp6 記事の掲載に随分悩みました。「クーデター、テロを起こした者の家族が特定秘密保護法や政権批判をするのは違和感がある」と東京のデスクには言われた。私の力量不足ですが、今も難しい時代なのかもしれない。
2015-02-26 09:25:50@ishibashi_hide 卒爾ながら。それは、デスク氏のご了見が少々狭いですね。 「ものを言えなかった」「知らされることがなかった」という意味で、青年将校遺族ほど、適任はいないはず
2015-02-26 09:30:51@noiehoie ありがとうございます。ご無沙汰です。たまさんによると、沈黙を強いられる一方、当時の世間には同情的な空気もあったといいます。あの時代のこと、もっと勉強せねばと思っております。
2015-02-26 09:40:079:40 諸説あるものの、川島陸軍大臣の拝謁がこの時間ぐらいから始まる。 青年将校側の「蹶起趣意書」を読み上げた川島陸相に対し 「なにゆえそのようなものを読み聴かせるのか!」 「速やかに事件を鎮圧せよ!」 と、顔色をあらわにしてお怒りになられたのが、ちょうどいまごろ。
2015-02-26 09:43:13@ishibashi_hide あの時代にも今の時代にも、「非常時を理由に政府の権限を伸長させよう」と画策する人はいるわけで、あの時代というか、あの事件をちゃんと事あるごとに引き合いにだすのはとても重要かと思います。
2015-02-26 09:48:11(例の有名な 石原莞爾「荒木!バカ!貴様はバカものだ!お前のようなバカ大将がいるからこのようなことがおこる!」 荒木貞夫「陸軍大将にたいしてバカとはなんだ!」 の「バカ問答」が川崎陸軍大臣参内の前なのか後なのか判然としない)
2015-02-26 09:53:16それに、のちに昭和帝が事件直後の石原を珍しくお褒めになっておられるので、後世の脚色もだいぶあると思います。“@gryphonjapan: 石原の二二六の逸話は色々伝わっていておおむねカッコいいけど、いくつか読んでいくと、出どころが「……と、俺が言ってやったんだ」という石原の自己申
2015-02-26 10:43:3310:55 杉山参謀次長、参内。関東近縁の連隊を帝都に招聘すべきと上奏するのがこのあたり。。。 杉山はこの拝謁でも、いつものように、陛下の御不興をかう。 なんかしらんけど、杉山はいつも怒られてばかりだな。
2015-02-26 10:57:5711:30 過ぎ 官邸の迫水久常が奇策を繰り出し始める。 迫水は官邸から出、大角海軍大臣に岡田首相生存の報告をする。 海軍として態度を決めかねていた大角海軍大臣は「聞かなかったことにする」とこの報告を握り潰す。 このタイミングで、大角は海軍としての決起参加を考えてたはず。
2015-02-26 11:39:0213:00ごろ 皇居内某所で行われていた、荒木 林 真崎と、軍事参事官たちとの非公式会議が、終わる。 この後、後々問題となる、陸軍省告示が出されるようになる
2015-02-26 13:04:2513:50 陸軍大臣告示発令。 一 蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ 二 諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム 三 国体ノ真姿顕現ノ現況ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ 四 各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ 五 之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
2015-02-26 13:46:21やっと、手に、入った… 堀幸雄のではなく、昭和45年版の「右翼事典」 これ、やはり、すこぶる良書 instagram.com/p/zjY-SCG1QD/
2015-02-26 14:39:46こっちの「右翼辞典」は、「左翼による敵情分析辞典」として良書。 しかしこの分野、いまや堀幸雄しかやってない。 instagram.com/p/zjaAzam1Rh/
2015-02-26 14:48:5115:00前 蹶起部隊に川島陸相告示が伝わる。 同時に、真意をはかりかねていた青年将校の元に、軍事課長村上大佐より、「宮中にあらせられては 維新大詔の作成中」との情報が伝わる。 こののち、村上大佐は陸軍省へ。青年将校蹶起趣意書に基づく詔勅案を省内に伝達
2015-02-26 14:58:4915:00 東京警備司令香椎中将による、第一師管戦時警備命令。 この戦時警備命令に基づき、統制的には、蹶起部隊は第一師団隷下となる。 第一師団には、印刷された陸軍大臣告示が配布され、師団内には「蹶起部隊の趣旨が理解されたのか」という雰囲気が広がる。
2015-02-26 15:01:21(木戸日記だと正午ごろ 本庄日記だと15時頃で、時刻不詳。しかしおそらくこの時間帯とおもわれる) 山下奉文、拝謁を賜る。 第一師団長堀丈夫中将の「部下の兵をもって部下の兵を討ちがたし」との発言を言上するも、 陛下より「自らの職責を解せぬものだ!」ご叱責を賜る
2015-02-26 15:08:40つまり26日15時前後に、皇道派の上層部も青年将校も現場も「あれ?いけんたじゃね?」と勘違いし出す。 というか、真崎はこのタイミングで「やばいんじゃね?」とはおもってたけど 「天皇を押しきる」 つもりでいたろうと思う 大御心は明らかであったのに、彼らはそれに気づかなかった
2015-02-26 15:17:04天聴に事件の一報が達したのは、26日早朝。そのタイミングで大御心はあきらかで「謀叛であってすぐに鎮圧せよ」と各方面に意思表示しておられた。 参内した陸軍首脳はみな理解していた。 しかしこれを現場に伝えない。 陸軍首脳がみな、それぞれの立場で「官僚としての無責任さ」を発露した
2015-02-26 15:19:09