家族がリスクになっている

5
イヌノオー@ @inunohibi

昨日のNHKニュースウォッチ9によると、小学6年生が校庭でけったサッカーボールが校門を跳び越して、バイクに乗っていた男性が避けようとして転倒、後に死亡した。

2015-03-20 08:58:21
イヌノオー@ @inunohibi

少年には責任を問えないが、日本の民法では「保護者の監督義務」があるため、遺族が親を相手取って損害賠償を求めた。「親の教育が不十分だった」といっている。遺族もやり場のない怒りや悲しみをぶつけるため、親に矛先を向けたのだろう。しかしあまりにも無理筋な主張だ。

2015-03-20 08:58:47
イヌノオー@ @inunohibi

道路などで遊んでいたのではなく校庭だったし、「気をつけて遊ぶように」といっても、子供が強くサッカーボールを蹴り上げることはあるだろう。

2015-03-20 08:59:02
イヌノオー@ @inunohibi

認知症の老人が、鉄道の線路に歩き出して事故を起こした。JRは遺族に事故の損害賠償を求め、高裁は「家族に監督義務があった」として賠償するよう求めた。「24時間目を離さず介護することはできない」と妻は主張している。日本の法律では、家族の責任が重過ぎる。

2015-03-20 08:59:40
イヌノオー@ @inunohibi

「家族は支えあうべきだ」というのが道徳ではなく法律になっているため、家族が実際に支えあっているのではなく、法律に強いられたリスクになっている。むしろこれは、本来の家族道徳を萎縮させるものだ。

2015-03-20 08:59:59
イヌノオー@ @inunohibi

「家族を助けたいから助ける」のではなく、「法律だから助ける」のでは、家族道徳の自然な成長はない。

2015-03-20 09:00:18
イヌノオー@ @inunohibi

マット・リドレーは、親の存在と子育て、ビタミンにたとえる。ビタミンは不足すると健康を損なうが、取ればとるほど健康になるわけではない。親が殴る蹴るの虐待を繰り返していれば、子供の人間性はゆがみやすいが、いい子育てをしたからといって、いい子になるとは限らない。

2015-03-20 19:34:39
イヌノオー@ @inunohibi

それでは子育ては、手間ひまをかけなければいけないのに見返りが確実ではない、割に合わない営みなのだろうか。そうではない。割に合わなくさせているのは、社会である。社会で子供を育てている、という観点を持たず、親に責任が押し付けられがちだからこそ、割に合わなくなっているのだ。

2015-03-20 19:34:57