吸血鬼が人血の代わりにトマトジュースを飲むという設定についての考察
- kintoki_naruto
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吸血鬼関係でふと思ったんだが、人血の代わりにトマトジュースを飲みだした吸血鬼って、たぶん20世紀の吸血鬼だと思うんだけど、いったい誰が設定したんだろう?『ポーの一族』ではバラの花でもOKだったんだが。
2015-03-20 14:23:49twitter.com/kemrin2011/sta… トマトジュースの飲料メーカーが関係してるという仮説をたててみた。
2015-03-20 14:31:47そして今、ドラキュラトマトジュースの最初について怪物君の意見をいただき、Wikiを確認したところ知った驚愕の事実。フランケンの「ふんがー」はドイツ語で空腹を意味する「Hunger」だということ。
2015-03-20 14:32:22@kemrin2011 @barayume 何かミイラとかピラミッドとかネタに毎回やってる学習漫画で吸血鬼の考古学者?と娘がトマトジュース飲んでた気がする
2015-03-20 14:35:14@syutori @barayume それだと90年代だから、もう吸血鬼=トマトジュースはかなり普遍化してる時代ですね。
2015-03-20 14:40:57チョコちょこっとググってわかったこと。1950年代以前については今のところ不明だが、「バラの花が枯れている」という表現は1960『血とバラ』の中のカーミラの肖像が「吸血鬼の証」として描かれている。下敷きの『カーミラ』を念のため邦訳で見直したがここにはバラについては描かれていない。
2015-03-20 15:04:45となると60年代以前にはバラの花の生気を吸ってしまうので吸血鬼の周りのバラは枯れてしまう、という記号はそれ以前にあったと言うことかな。鏡に映らないという記号とかと同じなんだろうと。この辺はこれ以上は追わない。
2015-03-20 15:06:29んで、『血とバラ』(仏伊合作映画)ではトマトジュースを飲む話は出てこないようである。ポーの一族は『血とバラ』の影響(もしくはそれ以前の吸血鬼像の影響)を受けていると思われる。
2015-03-20 15:07:571958の小説『I Am Legend』(邦題:地球最後の男、もしくはアイ・アム・レジェンド)でも吸血鬼は血を吸う(吸血鬼同士でも吸う)が、バラの花もジュースも出てこないのかな。ちょっと確認できないけど、出てこないおぼろげな記憶。
2015-03-20 15:15:08となると価値観の転換、すなわち血を吸わないドラキュラ(吸血鬼)の原初は怪物くんのドラキュラ(65)が始祖になるのかもしれない。ポーの下敷きの『きりとばらとほしと』(61)には、バラの花を枯らすカーミラが出てくるが、『血とバラ』が62の0307日本公開で『きりと…』→
2015-03-20 15:19:09→が62の「少女クラブ夏の増刊号」。第一部きりが1903、二部ばらが62年8月、三部ほしが2008年9月を舞台にしているとのことで、ばら編が当時の現在を描いていることが分かり、石森が下敷きにしようと思えばできるぎりぎりの時期と思う。
2015-03-20 15:23:16とはいえやはりこの流れの中でも「トマトジュースで我慢するドラキュラ」は影も形も無い。65以前で吸血鬼のマンガを検索したところ里中満智子『ピアの肖像』がヒット。これは明らかに『カーミラ』の系譜(肖像画が昔の人)であった。
2015-03-20 15:30:25後はゴシックロマンスに例が無ければおそらく怪物くん以降、ギャグ的な要素としてトマトジュースを飲んでいたヴァンパイアやドラキュラという吸血鬼たちは80年代から90年代にかけて「バラの花の生気」という比較的入手が大変かつお上品な人血以外のものから、→
2015-03-20 15:36:18→比較的簡単に入手でき、庶民的なトマトジュースで我慢するように変化していったといえるようである。さて、現代の海外の吸血鬼の人は我慢するときどうしてるんだろう?という疑問はおいておいて思考終わり。
2015-03-20 15:38:12なお、ゴシックロマンスにトマトジュースを飲む・バラの花で我慢すると言う表現があった場合も、バラの花系は流れが追えるがジュースは追えないので、いったん消えたとみなしてもいいかな、と思った。
2015-03-20 15:41:27