エルトゥールル号に関する個人的ツイートまとめ

過去のつぶやきをまとめました。
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寮美千子 @ryomichico

明治時代に紀州でトルコ軍艦が遭難、日本の漁民が助けた話は、安倍首相も大好きで「だから日本人はすばらしい」と国粋主義に利用されがち。しかし、本質は違う。国は後手後手、遭難の原因も「国」の体面重視。絵本『エルトゥールル号の遭難』にはそれをはっきり描いた@ryomichico

2015-03-21 11:14:43
寮美千子 @ryomichico

エルトゥールル号の遭難に関しては、映画も制作中で、どうも国粋主義に利用されそうな気配。トルコ政府が、組織や体面を重視し、人命を軽視した結果があの遭難。実際助けたのは漁民。日本政府の返事を待たずに、けが人をドイツ戦艦で神戸に搬送したからこそ助かった命 @ryomichico

2015-03-21 11:19:41
遠藤 @enco2001

エルトゥールル号、日本側に制止されるも荒れる海に出航したの、スルタンの厳命によるものなんだよなあ。国威発揚狙って送り出したのにスエズ運河内で二度の事故、シンガポールで風待ちで4ヶ月待機。英系新聞にトルコは金がないだの軍艦が欠陥品だの書かれてスルタン大いにキレたばかりだった

2015-03-21 18:44:46
遠藤 @enco2001

乗組員の練度も低いからね。スエズ運河内で二回も事故るようなレベルだよ? ふだん黒海やら地中海やらにいて(その上ほとんど出港してなくて)外海を知らない乗組員が大洋を二つも越えてくるとか日本まで辿り着いた時点でえらい

2015-03-21 19:01:59
遠藤 @enco2001

オスマン帝国、なぜか宮廷では明治天皇がムスリムに改宗するという噂があって、そうなったら勢いある新興国日本にイスラームの大国たるメンツを侵されると心配して、わざわざエルトゥールル号を日本まで送り込んでるのであまりエルトゥールル号遭難事件に素直な気持ちにはなれない

2015-03-21 19:00:20
遠藤 @enco2001

挙句、日本についてからもコレラ罹患で隔離され、また中傷され体面に傷つくのを厭うて早期帰還求められ、嵐の海に出航→沈没という,

2015-03-21 18:46:05

ここから過去のツイートまとめ

遠藤 @enco2001

遭難事件で有名なオスマントルコ海軍所属のエルトゥールル号はなぜ来訪し、また台風近づく中出航したのか。彼女は、アブデュルハミト2世のパンイスラム主義プロパガンダのために極東派遣されていた。

2013-09-08 23:47:39
遠藤 @enco2001

当時オスマントルコは巨額の負債に苦しんでいた。前近代的な官僚機構、国家体制もさることながら、前々帝アブデュルアズィズ(前帝ムラト5世が約3ヶ月で退位させられているので実質的に前帝)が見栄で装甲艦を西欧から購入しまくり、一時は英仏に次ぐ世界第三位の大艦隊を建造してしまったからである

2013-09-08 23:53:01
遠藤 @enco2001

海軍運営費用は公営企業に肩代わりさせ、実質的な国債で負担していた。軍艦は中古で隻数トン数砲数こそ世界有数の戦力だったものの実線については疑問符がついた。なにより、艦長以下高級乗組員がほぼすべてお雇い外国人で占められ、造船・操艦能力ともに海軍に根付かなかった

2013-09-08 23:56:32
遠藤 @enco2001

国力に比さない無謀な軍拡はあっさり失敗する。前述の企業が破産。最終的にオスマントルコは国家予算について西欧人の介入を招いた。体外的にもクリミア戦争で敗北したロシアが虎視眈々とトルコ領土を狙い、「永遠の国家」オスマン帝国の威信は棄損せしめられていた。

2013-09-09 00:01:36
遠藤 @enco2001

そすひた状況で帝国を継いだアブデュルハミト2世は常に外圧と内圧(経済破綻、諸侯の叛乱、さらに改革派の新オスマン人)におびえなければならなかった。最終的に憲法停止・秘密警察による専制政治を敷いた彼は、発展目覚しい大日本帝国に使節を派遣することを決定する。

2013-09-09 00:05:57
遠藤 @enco2001

目的、ひとつはイスラーム世界の守護者としての地位を周囲に再確認させることである。前世紀から軍事的に敗北し続け、帝国の領域は大いに狭まっていた。しかし依然としてイスラーム世界の指導者という立場を捨てる気はなかった。

2013-09-09 00:08:12
遠藤 @enco2001

軍艦を極東に派遣し、道々寄航してオスマン帝国の威信を見せ付けようと画策していた。

2013-09-09 00:08:19
遠藤 @enco2001

もうひとつは、なぜかアブデュルハミト2世、なにがどう伝わったのかわからぬが明治天皇がイスラムに改宗する(=日本がイスラム国家になる)といううわさを信じていたらしい。日本人が皇帝を訪ねるとたびたびその旨下問されたという。聞かれたほうもびっくりだね

2013-09-09 00:12:35
遠藤 @enco2001

それはともかく、日本に友好使節を送ることがきまり、続いて派遣する船の選定となった。先々帝の時代に建造した大艦隊はもはやない。破産したときに売り払った。帝国に極東までの航海に耐えられるような大型船は数えるほどしかなかった。エルトゥールル号はその条件を満たしていた。といってもぼろ船

2013-09-09 00:14:57
遠藤 @enco2001

 オスマン帝国権威見せつけのためになんでわざわざ老朽艦を派遣したかというと、当時の海軍で極東までの遠洋航海に耐えられるような大型艦が4隻しかなかった。その中では最も新しい艦としてエルトゥールル号は選ばれたんだとか。

2013-09-09 00:15:33
遠藤 @enco2001

大海軍を失って久しいオスマン海軍。予算もなくば係留されるのが常。当時の人員では操艦もおぼつかない。具体的には、1889年7月に無理やり出港させられさっそくスエズ運河で浅瀬乗り上げ&岸に接触して舵損傷。浅瀬の利上げと岸壁接触はそれぞれ別個に起こっている。

2013-09-09 00:17:59
遠藤 @enco2001

その後インド洋沿岸でうろうろしつつ修理に二ヶ月費やしてイスタンブール出港から4ヶ月かけてようやくシンガポールに到着した

2013-09-09 00:19:04
遠藤 @enco2001

しかしすでに極東への季節風のない季節。機関航行する石炭なく、さら4ヶ月ほど港に引きこもる。この間、イギリス系新聞に欠陥品だのオスマン帝国は金がないなど掻き立てられスルタン大いにキレる。

2013-09-09 00:19:17
遠藤 @enco2001

1890年6月に約11ヶ月かけてようやく日本に到着するも船員がコレラ感染のため検疫所に隔離。シンガポール停泊時のような中傷報道を厭うスルタンの勅命により早期帰還求められ台風接近の中制止を振り切って出港するも海の藻屑に。

2013-09-09 00:20:18
遠藤 @enco2001

『オスマン帝国の近代と海軍』という本では途中寄港地でオスマン帝国の旗をみたムスリム系現地人の熱狂的な歓迎を受けパンイスラム主義敷衍・カリフの権威再確認に一定の効果があったとみなしているが、その後の歴史のながれをみるにあんまり効果なかったんじゃないかなあ

2013-09-09 00:20:39
遠藤 @enco2001

むしろ、現在トルコではエルトゥールル号沈没でイスラム教の盟主オスマン帝国の権威が失墜しトルコ青年革命の遠因の一つとなったというのが通説らしく、この解釈のほうが納得しやすい

2013-09-09 00:20:49
遠藤 @enco2001

技量未熟がどれほどかというと、まともに操船できないというのは、スエズ運河で浅瀬に乗りあげちゃうくらい練度未熟。あげくに浅瀬から引っ張り出してもらったと思ったら今度は対向船避けようとして岸に接触、なぜか舵をやられて航行不能になる始末。運河内で連続してよくもまあ事故れるものである。

2013-09-09 00:21:32
遠藤 @enco2001

むしろこの惨状で日本まで寄航できたのがある種の奇跡なんじゃないかと思う。

2013-09-09 00:22:21