都名所図会巻之三 下

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なんでも かんでも @kandemo

都名所図会巻之三 43頁 「知恩教院(ちをんけうゐん)」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…

2015-03-22 19:42:44
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都名所図会巻之三 44頁 「華頂山(かちょうざん)大谷寺(だいこくじ)知恩教院(ちをんきょうゐん)」 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot…

2015-03-22 19:46:46
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「華頂山(かちょうざん)大谷寺(だいこくじ)知恩教院(ちをんきょうゐん)は、浄土宗(じょうどしゅう)の總本寺(そうほんじ)で、鎮西流義(ちんぜいりゅうぎ)である。元祖圓光大師(ゑんこうだいし)の宗風(しゅうふう)開發(かいほつ)の霊地(れいち)で、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:48:02
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「… 吉水(よしみづ)の禅房(ぜんぼう)というのは、このことである。初(はじ)めは、東(ひがし)の山腹(さんぷく)、今(いま)の勢至堂(せいしどう)の地(ち)で、大師(だいし)が入寂(にゅうじゃく)されたと言われる。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:48:47
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「… [古(いにしへ)は、叡嶽(ゑいがく)の別院(べつゐん)南禅院(なんぜんゐん)で、慈慧大師(じゑだいし)草創(そうそう)の地(ち)である。夫(それ)より星霜(せいさう)かさなりて、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:49:40
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「… 山門(さんもん)十二代の座主(ざす)青蓮院(しょうれんゐん)の慈鎮和尚(ぢちんおしょう)が、法然(ほうねん)上人の弘法(ぐほう)を随信(ずいしん)され、この地(ち)を寄附(きふ)なされた。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:50:15
なんでも かんでも @kandemo

「… 昔(むかし)は、今の圓(まる)山と封境(ほうきょう)一面(めん)で、吉水(よしみづ)と呼ばれた] 満譽和尚(まんよおしょう)の代(よ)に至ッて、台命(たいめい)を蒙(こうむ)り、嶮岨(けんそ)を穿(うが)いて平坦(へいたん)にし、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:51:00
なんでも かんでも @kandemo

「… 今(いま)の如(ごと)く伽藍(がらん)を御建営(ごこんゑい)された。[洛東(らくとう)第一の大廈(だいか)である] 山門(さんもん)に、掲(かか)る華頂(かちょう)山の額(がく)は、霊元法皇(れいげんほうおう)の震[=宸]筆(しんぴつ)である。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:51:40
なんでも かんでも @kandemo

「… 本堂(ほんどう)大谷(だいこく)寺の額(がく)は、後奈良院(ごならのゐん)の宸筆(しんひつ)であるという。須弥(しゅみ)の壇上(だんじょう)には、圓光(ゑんこう)大師の像(ぞう)を安置(あんち)する。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:52:22
なんでも かんでも @kandemo

「… 西(にし)の間(ま)には、翠簾(はす)を巻上(まきあげ)て、壇上(だんじょう)に神牌(しんぱい)を崇(あがめ)奉(たてまつ)る。大師の廟塔(びょうとう)は、東(ひがし)の山上(さんじょう)にある。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:52:58
なんでも かんでも @kandemo

「… 勢至堂(せいしどう)に掲(かか)る知恩教院(ちをんきょうゐん)の額(がく)は、後柏原院(ごかしははらのゐん)の宸筆(しんひつ)である。本尊(ほんぞん)勢至菩薩(せいしぼさつ)は、安阿弥(あんあみ)の作(さく)である。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:53:32
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「… [満譽(まんよ)上人が化人(けにん)より授与(じゆ)された尊像(そんざう)である] 紫雲水(しうんすい)は、勢至堂(せいしどう)の傍(かたはら)にある。大師入寂(にうじやく)の時、聖衆(しょうしゅ)来迎(らいごう)し、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:54:07
なんでも かんでも @kandemo

「… 紫雲水面(しうんすいめん)に顕(あらは)れ、異香(いきょう)が水気(すいき)に遺(のこ)ったという。一心院は、その南(みなみ)にあって、本尊(ほんぞん)阿弥陀佛(あみだふつ)は安阿弥(あんあみ)の作(さく)である。」 RT @kandemo

2015-03-22 19:54:51
なんでも かんでも @kandemo

「抑(そもそも)元祖大師(がんそだいし)の伝記(てんき)を鑑(かんがみる)と、美作(みまさかの)国久米南條(くめのなんじょう)稲岡(いなをか)の産(さん)である。父(ちち)は久米の押領(をうしょう)漆(うるまの) …」 RT @kandemo

2015-03-22 19:55:21
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都名所図会巻之三 45頁 nichibun.ac.jp/meisyozue/kyot… … 「… 時國(ときくに)、母(はは)は、秦氏(はたうぢ)である。子(こ)がない事を歎(なげ)いて、夫婦(ふうふ)諸(もろ)ともに佛神(ぶつしん)に祈(いの)り、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:57:23
なんでも かんでも @kandemo

「… 秦氏(はたうぢ)が夢(ゆめ)に剃刀(かみそり)を飲(の)んだように覚え、則(すなわち)妊身(にんしん)し、長承(ちょうしょう)二年四月七日午刻(むまのこく)に男子(だんし)が誕(う)まれた。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:57:58
なんでも かんでも @kandemo

「… この時、紫雲(しうん)空(そら)にたなびき白幡(しらはた)二流(りゅう)降(ふり)くだって、館(やかた)の西にある椋(むく)の木(き)に止(とどま)った。鈴鐸(れいたく)が四方(よも)にひびき、紋彩(もんさい)が日にかかやき、…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:58:39
なんでも かんでも @kandemo

「… 七夜(や)を経(へ)て天(てん)に登(のぼ)った。これよりこの樹(き)を誕生椋(たんじょうむく)と号(なづ)けた。後(のち)に、佛閣(ぶっかく)を建(たて)て誕生寺(たんじょうじ)と號(ごう)して、今もある。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:59:19
なんでも かんでも @kandemo

「… 赤子(せきし)の字(あざな)を勢至(せいし)と号(なづ)け、竹馬(ちくば)に鞭(むち)を打(うつ)の年頃から叡智(ゑいち)であって、ややもすれば西の壁(かべ)に向ふの癖(くせ)があった。…」 RT @kandemo

2015-03-22 19:59:55
なんでも かんでも @kandemo

「… 九歳(さい)で、同國(こく)の菩提寺(ぼだいじ)の室(しつ)に入って学問(がくもん)をする。院主(ゐんしゆ)勧学(かんがく)といふ人、倩(つらつら)小児(しょうに)の量(りょう)を勘(かんが)えると、これは只人(ただひと)ではない。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:00:34
なんでも かんでも @kandemo

「… 徒(いたづら)に邊鄙(へんど)の塵(ちり)にまじへん事をおしんで、比叡山(ひゑいさん)西塔(さいとう)の北谷(たに)持寳坊(ぢほうぼう)源光(げんこう)のもとに登(のぼ)らせた。勧学(かんがく)の書翰(しよかん)には、こう書かれていた。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:01:08
なんでも かんでも @kandemo

「… 進上(しんじょう)大聖(しょう)文殊(もんじゅ)一體(たい)と。時(とき)は久安(きゅうあん)三年二月十三日入洛(じゅらく)して、勧学(かんがく)の書(しょ)を持寳坊(ちほうぼう)にいたした。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:02:01
なんでも かんでも @kandemo

「… 源光(げんこう)これを披見(ひけん)して、文殊(もんじゅ)にお像(ぞう)を尋(たづね)ると、小児(しょうに)のみ上洛(じょうらく)するよう使者(ししゃ)が申したので、はやく児(ちご)の聡明(そうめい)なる事を智(さと)っていた。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:02:34
なんでも かんでも @kandemo

「… 則(すなはち)十五日に登山(とうさん)し、源光試(こころみ)にまづ四教義(しきょうぎ)を授(さづ)けると、籤(さん)をさして不審(ふしん)をなす。疑(うたが)ふ所みな天台(てんだい)の要論(ようろん)である。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:03:10
なんでも かんでも @kandemo

「… 不思議(ふしぎ)の事に思い、我(わが)浅才(せんさい)にしていかでかこの人を弟子(でし)としようかと、同年四月八日小児(ちご)を相具(あいぐ)して功徳(くどく)院の阿闍梨(あじゃり)皇圓(こうゑん)のもとに入室(しつ)させる。…」 RT @kandemo

2015-03-22 20:03:48
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