誰かが何らかの都合で人間を分類することがあります。しかし、どんな区分けであれ、それにしばられることなく生きていく自由を、誰もがもっています。もしレッテルが便利に使えるのなら、それを存分に活用するのも自由。「下戸・甘党」は僕にとって便利な分類です。 @marianna_ave:
2010-12-17 20:58:44@yutakioka @marianna_ave 機能主義的アプローチなのに症例に依存せざるを得ないてところが実に興味深いです ここらへんにネックがある気がするです
2010-12-17 21:01:50@yutakioka なるほど。そのことが社会の状況に大きく依存することは理解できます。攻撃力を買われて入団した選手が監督が守備的な戦術を採用してクビになるみたいなことですね。選手の方はたまったものではありませんね...。
2010-12-17 21:03:53@yoshi871 そうなんです、まさにその状況が発達障害や他の精神的病と呼ばれる人に起きている状況といえます。RT攻撃力を買われて入団した選手が監督が守備的な戦術を採用してクビになるみたいなことですね。選手の方はたまったものではありませんね...。 .
2010-12-17 21:05:42@marianna_ave 「下戸」というのも、生理学的には「脱水素酵素Ⅱ型」が足りないらしいですが、理由はともあれ、僕の身体がアルコールを受け付けないのは事実。でも、イスラム圏にいけば、このことは社会生活に影響しません。日本でも、あまり気の進まない酒席をパスする時には便利です。
2010-12-17 21:05:45@bornekiller そうなんですね、そこも問題です、しかもその機能性自体が、揺るぎのない定義をできていないのも重大な欠点です、社会文脈依存なので。RT機能主義的アプローチなのに症例に依存せざるを得ないてところが実に興味深いです ここらへんにネックがある気がするです
2010-12-17 21:07:25いや、いま、TLを追っていて。「障害」ではなく「別の種類」「違う人」とあって。どうして私が「障害」なんだとずっと思っていたので。それと、ずっと「(どの)あなたとも、私は違う、が前提」とも思っていたので。
2010-12-17 21:10:37それと、「できないことを数え上げるより,できることの数を数えたい」とあって。でも、どうして私は、できないことばかりあげつらわれなきゃならなかったの?
2010-12-17 21:13:39@yutakioka では問題としては発達障害や他の症状と呼ばれる人々への評価に対して、社会的文脈依存性をいかに排除するか、ということですね。私には個人レベルの理解が課題のように思われます。例えば、会社への採用、というようなこと考えると機能主義的判断にならざるを得ないですよね。
2010-12-17 21:14:35@yoshi871 そうなんです、個人レベルの他者理解、とりわけ”普通”であることに安住している人が普通は異常の一形態にすぎないと認識できるかでしょうね。RTでは問題としては発達障害や他の症状と呼ばれる人々への評価に対して、社会的文脈依存性をいかに排除するか、ということですね。
2010-12-17 21:18:15ムツゴロウさんが超能力の話を聞いて「なるほどねー不思議なこともあるんですね…僕は信じないけど(笑)」みたいなリアクションしたときはなんか爽快感があった これこれ、これだよ、この感覚が大事って思った
2010-12-17 21:19:16@marianna_ave うーんと、思うんだけど例えば言葉の通じない外国人と言葉の通じる障害者て呼ばれている人とでは外国人の方が通常、異常レベル高い気がするんだけど外国人を無闇に排斥しないんだよね 治療(語学教育)しようとも特段しない
2010-12-17 21:22:03機能を基に人間を判断するのがいかに不公正であるかは言わなくてもわかるだろう。例えば私の人物評をするときに、私がすぐモノをなくしたり(パスポートを3回なくし、一年に傘を数え切れないほどなくす)忘れたりするからといって、私は記憶力が悪くて頭が悪いと評価するのが妥当と言えるのだろうか?
2010-12-17 21:23:29@yutakioka 人間という生物の分類も経験に基づいているとこあるからね 人間にだけ許された価値なんてないのと一緒で 例えば犬や猫やうさぎだってペットで家族の一員と思ってる人にとっては価値ある他者なわけだし そゆ感覚抱くのって彼らがどこまで人間に歩み寄ってるように感じるか
2010-12-17 21:27:58@yutakioka 遺伝子や環境の研究は、他者理解を助ける方向に貢献するのではと思います。ヒトゲノムは誰でも手軽に読めるようになりますし、ヒトが遺伝子の上でこんなに違っているということと外的要因の相互作用で、ヒトのありえる形の多様性を強く肯定する方向に進展すると思いますから。
2010-12-17 21:28:57私の記憶力のうち、社会がかりにworking memoryを長期記憶のsemantic memoryよりも重視するという判断軸なら妥当といえるが、逆であった場合はどうするのか?あるいは、常に前者であると誰が何の根拠をもって判断するのか?
2010-12-17 21:30:40@yoshi871 これは無条件でそうだとは断言できませんが、科学者などが、科学者的integrityをもつということが前提となりますね。そのう上でそう願っています。RT遺伝子や環境の研究は、他者理解を助ける方向に貢献するのではと思います。
2010-12-17 21:33:25あるいは、BDPDの人の脳内とASDの人の脳内のある種の感情を引き起こされるような物体があったとして、それぞれの大脳基底核が前者は一般的な人より活発に働き、後者は一般的な人と比べてあまり働いてなかったとして、どちらを異常と決めるのか?あるいは両方ともを異常となぜ決められるのか?
2010-12-17 21:37:13BDPDの人の大脳基底核の働きを一般と定義したら、今までの一般の人とASDの人は異常とされて薬物による治療を正当化することは正義と言えるか?vice versa.こう考えると統計的一般を無批判的に一般という軸に当当てはめることで”普通”概念は相対的に構成されていることに気がつく。
2010-12-17 21:42:13@yutakioka バカとか個性て相対的な評価ですからね 結局文脈無視して語るならば自分が基準で自分より相手の能力が劣ると評価する自分がいるだけで ただ有り体に言えばそゆときは自分が優れていると評価している第三者に確認してもらう(必要があるときに価値がある)みたいな
2010-12-17 22:13:22@bornekiller そうですね、そうなるとそれらすべてを俯瞰できる超越的な他者の存在が仮定されなければならないわけですが、それは現実には不可能でしょうね。
2010-12-17 22:17:36@yutakioka 例えば社会に於いて犯罪者はバカだって理屈があったとしたら、それは犯罪を犯した人の知能が低いてことにはならないですからね。天才的な詐欺師も逮捕されたらバカ扱いされるわけです。バカの基準ておもしろいですね。
2010-12-17 22:28:29@bornekiller ええ、興味深いですよね、つまり、これは帰結主義的な考え方か実存主義的な考え方かという問題があるわけですね。RT天才的な詐欺師も逮捕されたらバカ扱いされるわけです。バカの基準ておもしろいですね。
2010-12-17 22:41:32