鶯丸友成という太刀
@toukenTL あと前々から気になってたんですけど、鶯丸の皇室献上って1908年じゃなくて1907年じゃないかな……と。記事が掲載された弘道が1907年12月発行、ネットで明治 茨城 陸軍大演習で検索する(多分)と1907年って出てくるし、酔剣先生も明治40年って書いてるし
2015-04-22 21:49:20@toukenTL たぶん小笠原信夫先生の1908年がミスなんじゃないかなあと思う。皇室の至宝シリーズの鶯丸の解説書いてたの信夫先生じゃなかったかなーと記憶してるんですが(間違ってたら本当にすみません)、そしてこないだ発売された日本刀列伝は参考文献に皇室の至宝4をあげてる 秘宝w
2015-04-22 21:57:45@toukenTL 表、まとめてるときは弘道の発行年をみてこれは1907かなと思って1907って打ち込んだんですけど、そのあと1907だな!!って結論した理由をすっかり忘れてしまったので、明治末年茨城陸軍大演習があった年号ちゃんと調べてから発言しようと思ってたけどそうだった 弘道
2015-04-22 22:16:29最後に
そういやSFとはまったく関係ない話になるんだけど~~~ 小笠原さんは鶯丸を修理したくてもできんかったんかなーという解釈を今までしていたけれどジッサイ修理する必要がなかったって解釈もありだよなーというようなことをちょっと思っていた 美術品として求められていたわけじゃないとかそういう
2015-08-03 22:21:03小笠原にあっては遺物としての物語的価値……足利家から貰ったとか代々家に伝わってきた家宝とかそういう方向で必要とされていたからまあ錆びさすとかそういうのは論外としてもわざわざ高い金かけて修理してまで見た目を美しくする必要はなかったのかな みたいな解釈です ふんわり……
2015-08-03 22:22:42「家」の外では物語的価値が弱くなるから美しくあらなければいけなかった、修復されたことはそれ自体いいことなんだけど「家」を失うこととイコールだった、みたいな……
2015-08-03 22:25:16刀の修理って難しいもんだろうしその時代に腕のいい修理屋がいるとも限らんし下手に手を付けて失敗したりしたらあんまりだから大事にしてるがゆえにほうっておく、という方向もあったんじゃないかなあ まあ何もかも妄想なんだけど
2015-08-03 22:27:19解釈は自由!
みんなも自分だけの解釈で友達と楽しく遊んでみよう!!!