- JunNakagawaWork
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私が200年生きられるのであれば、私を非難した連中に対して、暇な折りに ゆっくりと反論する事もできよう。だが、200年も生きられない。私は、自分のやっている事で手一杯なのである。もし私が他人の事を評する時には、私が暇になっているのだと私は覚るのである。
2015-03-17 11:54:16私は「懐メロ」歌番組が大嫌いだ。老いた歌手が往年を振り返って歌うけれど、声のでない歌手は痛々しい。その痛々しさを見ていられないのでテレビを消す。
2015-03-17 11:58:55老いる、それこそはいかなる人物にも嫌な体験ではないか。生命力を喪った枯木を誰も愛ではしまい。しかし、老いは誰もが忌避できない。私は初老になった。若作りしようとは思わないが、若さに属する性質(溌剌さ)は消え失せない様に尽力したい。
2015-03-17 12:04:57疲れた時に思い浮かべるものは、――子どもの頃の家庭の風景である。自立心のどんなに強い人物でも、自分の生まれ育った故郷(ふるさと)を恋うる心をもっているのではないか。「こども時代というのは、ひとつの『神話』なのかもしれない」(シオラン)。
2015-03-17 12:09:50先日、私は80才代の人たちに言われた――「なんだ還暦か、まだ若いな」と。還暦の「不惑(マドワズ)」もあっていいだろうwww。
2015-03-17 12:15:34自然現象には次の流転が見られる――地に落ちた一粒の種子が花咲き、実を結び、枯れる。私は還暦をすぎて、一体どんな花を咲かせたというのか。私は世間を眺めて目眩(めまい)を起こしてボンヤリしていた。だが、目をしっかり開けるがいい。舞台は、まだ終わっていない。
2015-03-17 12:20:14哲学癖のある文学青年といっしょに話していて一番に我慢できない彼等の性質は、相手を直に観るだけの価値もない俗物だと決め込んでいる、その落ち着きを気取った態度なのだ――私も若い頃はそうだった(苦笑)。
2015-03-17 12:22:55人づきあいの嫌いな人でも、自分を褒めてくれる他人に対して憎からぬ思いを抱くのではないか。厭だ厭だと口では言いながらも。その意味では、私は天の邪鬼かもしれない――褒められたら、自分は思い違いされたのではないかと疑う。
2015-03-17 12:27:14判断するためには、いかに多くの事を見て見ぬ振りをしなければならぬ事か――やりたくない口実など、何とでも言えば言える。無論、やりたい(「できる」と思う)口実もそうである。
2015-03-17 12:32:13私は、たぶん、ナマケモノなのかもしれない。だが、仕事に対して集中して丁寧である事が、早く終えてしまいたいという気持ちを抑制しているのだ。そして、ナマケモノ以上に小心である私は、仕事に納得できなければ休む事ができない。
2015-03-23 20:00:02自分の才が乏しい事を覚る時には、ヘマを散々やらかして来て、挽回する力を喪った初老になってしまっている。生まれ変わる事ができるなら――それでも同じヘマをやらかすだろうなあ、、、。
2015-03-23 20:02:05仕事を真剣に取り組んでいる時、その事をもはや口にする必要の無くなった時である。逆上(のぼせ)ている間は、口をつぐんでいる事ができないものである。
2015-03-23 20:04:10自分のためには得する事をもとめるな。そんな事に心を動かすな。他人をうらやむな。自分の人生は、どうせ自分にとっては未知なのだから。だから、一事一事に対する覚悟だけは しっかりと持って生活すること。そして、後(あと)は運に任せるしかない。
2015-03-23 20:07:56自分の仕事の悦びを実感したいなら、召使いになって奉仕してみる事だ。召使いになって腹が立つ事があれば、気位 [ 自意識 ] の滓(かす)が未だに こびりついているのだ、仕事と一体になっていないのだ。
2015-03-23 20:12:02長く時間のかかる仕事に打ち込め、弛(たゆ)まぬ仕事の習慣こそ気力を与えてくれる。暇であれば、どうせ碌な事をしないーー他人の仕事を品評して自分の才識を自認して満足するのが関の山だ。制作とは、ーー労働である。
2015-03-23 20:18:30才知とは、(自身の)個性を、自分の力を信ずる事、それしかないだろう。私が仕事に精を出すのは、ただ自分のやった事で自分を確認しようとするためだ。それが他人(ひと)のためになるなら、尚(なお)良い。
2015-03-23 20:20:41私が、四六時中、つきあっている相手は誰かーー私自身である。時々にしかつきあわぬ人々に気に入られるよりも、自分自身に嫌われぬ事が生活するうえで最上の原則の一つであろう。そして、自分の知り得る事、為し得る事を、信頼できる人々に物吝しみしないで与える事が交際の礼法であろう。
2015-03-23 20:24:50自分のつながれている鎖を嘲笑的批評したり、そういう状態にある自身を正確に凝視する事ができたとしても、それが賢い事ではない。しかし、そういう観察眼は、自分が悧巧であるような感覚(錯覚)を与える。「告白」に潜む下心まで凝視して苦しむようになれば、本物なのだが、、、。
2015-03-23 20:31:52