佐藤正美Tweet_20150316_31

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佐藤正美 @satou_masami

私が200年生きられるのであれば、私を非難した連中に対して、暇な折りに ゆっくりと反論する事もできよう。だが、200年も生きられない。私は、自分のやっている事で手一杯なのである。もし私が他人の事を評する時には、私が暇になっているのだと私は覚るのである。

2015-03-17 11:54:16
佐藤正美 @satou_masami

仕事を持っているのに退屈する様なヤツは信用できない。

2015-03-17 11:55:02
佐藤正美 @satou_masami

環境の変化を苦痛と感じる度あいによって老いの程度がわかる。

2015-03-17 11:56:01
佐藤正美 @satou_masami

私は「懐メロ」歌番組が大嫌いだ。老いた歌手が往年を振り返って歌うけれど、声のでない歌手は痛々しい。その痛々しさを見ていられないのでテレビを消す。

2015-03-17 11:58:55
佐藤正美 @satou_masami

老いる、それこそはいかなる人物にも嫌な体験ではないか。生命力を喪った枯木を誰も愛ではしまい。しかし、老いは誰もが忌避できない。私は初老になった。若作りしようとは思わないが、若さに属する性質(溌剌さ)は消え失せない様に尽力したい。

2015-03-17 12:04:57
佐藤正美 @satou_masami

疲れた時に思い浮かべるものは、――子どもの頃の家庭の風景である。自立心のどんなに強い人物でも、自分の生まれ育った故郷(ふるさと)を恋うる心をもっているのではないか。「こども時代というのは、ひとつの『神話』なのかもしれない」(シオラン)。

2015-03-17 12:09:50
佐藤正美 @satou_masami

自分が知っている事を見直す、これが老年(成熟した知性?)の愉しみであろう。

2015-03-17 12:12:45
佐藤正美 @satou_masami

先日、私は80才代の人たちに言われた――「なんだ還暦か、まだ若いな」と。還暦の「不惑(マドワズ)」もあっていいだろうwww。

2015-03-17 12:15:34
佐藤正美 @satou_masami

自然現象には次の流転が見られる――地に落ちた一粒の種子が花咲き、実を結び、枯れる。私は還暦をすぎて、一体どんな花を咲かせたというのか。私は世間を眺めて目眩(めまい)を起こしてボンヤリしていた。だが、目をしっかり開けるがいい。舞台は、まだ終わっていない。

2015-03-17 12:20:14
佐藤正美 @satou_masami

哲学癖のある文学青年といっしょに話していて一番に我慢できない彼等の性質は、相手を直に観るだけの価値もない俗物だと決め込んでいる、その落ち着きを気取った態度なのだ――私も若い頃はそうだった(苦笑)。

2015-03-17 12:22:55
佐藤正美 @satou_masami

人づきあいの嫌いな人でも、自分を褒めてくれる他人に対して憎からぬ思いを抱くのではないか。厭だ厭だと口では言いながらも。その意味では、私は天の邪鬼かもしれない――褒められたら、自分は思い違いされたのではないかと疑う。

2015-03-17 12:27:14
佐藤正美 @satou_masami

家族と友人、そして仕事への熱意。これだけがあれば、気を落とすこともない。

2015-03-17 12:27:55
佐藤正美 @satou_masami

労働に勤しむには、いくらか鈍感でなければならない。労働価値・使用価値を真っ正面に据えると、胸算用したくなる。

2015-03-17 12:29:56
佐藤正美 @satou_masami

判断するためには、いかに多くの事を見て見ぬ振りをしなければならぬ事か――やりたくない口実など、何とでも言えば言える。無論、やりたい(「できる」と思う)口実もそうである。

2015-03-17 12:32:13
佐藤正美 @satou_masami

他人の言う事を、時に聞き流す事は、平穏な、と言わないまでも確かに自分の生活を乱さぬ生活術の一つである。

2015-03-17 12:33:36
佐藤正美 @satou_masami

理性が作用しないなら、死んだふりするのが一番いい。

2015-03-17 12:34:17
佐藤正美 @satou_masami

私は、たぶん、ナマケモノなのかもしれない。だが、仕事に対して集中して丁寧である事が、早く終えてしまいたいという気持ちを抑制しているのだ。そして、ナマケモノ以上に小心である私は、仕事に納得できなければ休む事ができない。

2015-03-23 20:00:02
佐藤正美 @satou_masami

自分の才が乏しい事を覚る時には、ヘマを散々やらかして来て、挽回する力を喪った初老になってしまっている。生まれ変わる事ができるなら――それでも同じヘマをやらかすだろうなあ、、、。

2015-03-23 20:02:05
佐藤正美 @satou_masami

仕事を真剣に取り組んでいる時、その事をもはや口にする必要の無くなった時である。逆上(のぼせ)ている間は、口をつぐんでいる事ができないものである。

2015-03-23 20:04:10
佐藤正美 @satou_masami

自分のためには得する事をもとめるな。そんな事に心を動かすな。他人をうらやむな。自分の人生は、どうせ自分にとっては未知なのだから。だから、一事一事に対する覚悟だけは しっかりと持って生活すること。そして、後(あと)は運に任せるしかない。

2015-03-23 20:07:56
佐藤正美 @satou_masami

自分の仕事の悦びを実感したいなら、召使いになって奉仕してみる事だ。召使いになって腹が立つ事があれば、気位 [ 自意識 ] の滓(かす)が未だに こびりついているのだ、仕事と一体になっていないのだ。

2015-03-23 20:12:02
佐藤正美 @satou_masami

長く時間のかかる仕事に打ち込め、弛(たゆ)まぬ仕事の習慣こそ気力を与えてくれる。暇であれば、どうせ碌な事をしないーー他人の仕事を品評して自分の才識を自認して満足するのが関の山だ。制作とは、ーー労働である。

2015-03-23 20:18:30
佐藤正美 @satou_masami

才知とは、(自身の)個性を、自分の力を信ずる事、それしかないだろう。私が仕事に精を出すのは、ただ自分のやった事で自分を確認しようとするためだ。それが他人(ひと)のためになるなら、尚(なお)良い。

2015-03-23 20:20:41
佐藤正美 @satou_masami

私が、四六時中、つきあっている相手は誰かーー私自身である。時々にしかつきあわぬ人々に気に入られるよりも、自分自身に嫌われぬ事が生活するうえで最上の原則の一つであろう。そして、自分の知り得る事、為し得る事を、信頼できる人々に物吝しみしないで与える事が交際の礼法であろう。

2015-03-23 20:24:50
佐藤正美 @satou_masami

自分のつながれている鎖を嘲笑的批評したり、そういう状態にある自身を正確に凝視する事ができたとしても、それが賢い事ではない。しかし、そういう観察眼は、自分が悧巧であるような感覚(錯覚)を与える。「告白」に潜む下心まで凝視して苦しむようになれば、本物なのだが、、、。

2015-03-23 20:31:52