- JunNakagawaWork
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文体の中から気の利いた表現を外して見よ、一体何が残るか。「尊い物は此胸一ツ」(近松門左衛門)。自身を晒すとは、そういう事かもしれない。のっぴきならない思いを抱え込まずには思考も上滑りするのは確かである。
2015-04-20 20:55:40他人(ひと)よりも悧巧だと思っている人物や馬鹿げた事をやらないで生きてきたというような人物とは つきあわないほうがいい。本人が考えているほど賢くはない。
2015-04-20 20:58:42私は生活の舞台に立っていながら、役らしい役を演じた事がないようだ、、、それゆえに、他人(ひと)を困惑させる事を多くしでかして来た。どうか注目されぬように――舞台の中央に立とうとする愚かな沙汰を起こさぬように。
2015-04-20 21:03:16貧乏の中でも「考える」事を止めないとなるには、自分で自身を嘲(あざけ)り嗤う覚悟がないと、とても堪えられるものではない。精神的飢餓よりも生活的窮乏が面持ちに出たら、卑しくなってしまう。
2015-04-20 21:11:36悲しかったら働け。それが一番の療治法だ。それでも悲しみは消えなかったけれど、仕事に専念したので自暴自棄に陥る事はなかった。
2015-04-20 21:14:05「私はただ貧乏で自意識を持っているだけで、私の真実な心を語るのに不足はしないのだ」と小林秀雄氏が或るエッセーの中で綴っていたが、共感できる。でも、彼は「評論文学」という新しいジャンルを切り開いた天才だ、天才の猿真似は止めたほうがいいョ。
2015-04-20 21:17:5661才にもなっては、まごまごしていれば忽ち時流に置き去りにされてしまう。私は近頃の世の中をわからない。否、わからないのではない、わかりたくないのだ。
2015-04-20 21:20:32文学に毒されたヤツは、暗くて危ない深淵の中を降りてゆき、戻れなくなっても意に介さない。底辺に到れば何かが手に入ると思って、ひたすら降りてゆく。その最大のスリルは、滑落するのではないかという期待感に存する。不意の事故として滑落したい、と。芸に游ぶのは危ないョ。
2015-04-20 21:24:39破滅したくないと思っている人間は、まだ救うことができる。でも、悲劇に「美」を感じて、破滅自体が救いであるように思い込んでいるヤツは、けっして救えない。自己破滅は、人々が云うよりも、もっと浪漫的な力を持っているのかもしれない。
2015-04-20 21:26:54仕事をもたぬ才知は死物であろう。が、才知をもたぬ仕事は更に悪い。それは時間の浪費以外の何物でもない。私のような凡人が色気をだして仕事すると身の程を知らされるが、もう後には退けない。それも片意地か、しかし、つっぱるなら、惑わないで、つっぱり通せ。
2015-04-20 21:30:14断崖に立った時、腰抜けかどうかはわかる。でも、軽率ゆえに怖れを抱かない事もある。私がそうだった。だったら、事ここに及んで後退りするつもりか?
2015-04-20 21:32:22正確に上手にしゃべる才識を持たず、そうかといって、黙って聴いているだけの我慢もできない小悧巧な人って痛いなあ。他人(ひと)がしゃべった後で、世間を見透かしたような一言を颯爽と披露してくれる、本人いっぱし批評家のつもりでいる。
2015-04-20 21:38:57私は「話しかた教室」で学んだような演説を大嫌いだ。話しかたが上手だ(話すなんてチョロいもんだ)という臭味を感じる。下手でも訴えたい事を懸命に伝えればいい、懸命な人を嗤うようなヤツはいない。
2015-04-20 21:44:0530才を越えれば、性根の入れ替えなんぞできるもんじゃない。他人(ひと)の本性なんてわからない。他人に嘘をつく代わりに、自分自身に嘘をついていることって多いのかもしれないのだから。
2015-04-20 21:48:03私の野心は支配欲以外のなにものでもない。それが故に、私は独りで仕事することを選んだ――そうしなければ、私は常に他人を罵倒し、苛立ち、竟(つい)には憤懣やるかたない状態に陥ったであろう。そして、私は世の喧騒を免れたが、年相応の社会的昇進から外れてしまった。
2015-04-23 21:41:59「現実」とか「事実」とか云っても、我々はめいめいがそれぞれに見える物を見えると言い、見えない物を見えないと言っているだけだ。「物の見かた」に絶対的定則など無い、視点は幾つも存する。人の数と同じ視点がある―― その視点をいかに正確に表すかが個性(文体)なのである。
2015-04-23 21:46:20