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交換以前にある贈与の応酬としてこれを捉えると、原始社会の一種の理想化が生じる。。逆に、一方向的な関係を収奪や盗みと見て、寄食という観点から考えて、その関係じたいの可換性を考えていくと、セールのようになる。
2015-04-02 16:07:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ホッブズやルソーにおいても、原始社会や自然状態の捉え方は対照的である。ただ、両者ともに闘争や奪い合いのモデルは二つの項がいきなり優劣を競い、その関係が可換的である、ということを集団全体に拡張している。
2015-04-02 16:12:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
その結果、社会契約を成立させるものとしての原初的な暴力は、この相互性や可換性からあらかじめか、事後的にか切り離され、いわば祭り上げられている。(一般意志には誤りはない・・・)
2015-04-02 16:16:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
贈与や寄食性という問題系は、このとき可換性や相互性のうちに内部化されなかったものを内部化し、見えるようにするためのものである。
2015-04-02 16:22:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ホッブズ、ルソー的な論脈は、相互性を前提としながら最大の暴力装置としての多数者という絶対を登場させ、それによって彼らの議論自体を吊り支えている。実を言うと、そこにこそ最大の寄食者がいるのだ。
2015-04-02 16:26:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
暴力と競合を通じて成立する秩序をいかに安定させるか、セレクションをいかに円滑に行うかというおきまりの倫理が、経済思想を交えつつここからは生じる。
2015-04-02 16:30:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
仮想的な多数者によって統制されるモル的な社会に対して、いかに分子的な抵抗の道を見いだすか。。こうした課題は、いわゆる「反体制」風のメンタリティや問題意識に立って考えられると、容易に近代のマルチチュード礼賛思考に回収されてしまう。
2015-04-02 16:36:38