上妻「作ることと広めるのは別のプロセスだが、限りなく同じプロセスになっている。例えば写真。写真しか流通しない。服を作ることと写真を作ることが近くなっている。
2015-04-01 20:39:58中「インスタグラムの話は、コミュニケション能力をあげることだと思う。写真を撮ることが万能として、取りたいものが有るかどうか、それが内容の話になるが
2015-04-01 20:41:14上妻「今回の論考では何を作るか踏み込んでない。僕が指定するよりも・・・ 中「キュレーターだし 上妻「なぜこのメンツか。僕の出す概念は、時代的背景が作ることの重要性を高めている。皆作ろうよ、と。ある人からアンデパンダンと言われた。
2015-04-01 20:42:14上妻「なぜアンデパンダンにしなかったか。枠組みを作るためには、雑なものを集めるより象徴的な人を集めることが重要だ、と 中「それをピックアップするキュレーションの話だ。ということは出展者は何を作るか自明なのか?何も作りたくない、作ること自体が欺瞞という時代もあった。
2015-04-01 20:43:31中「そのような何も作れないという時代は何度も美術は経験している。つまり2010年代は誰もが作ってることが前提である。搾取前衛ではそれを前提としている。しかしそれは普遍ではない。
2015-04-01 20:44:22上妻「今の僕の理論は時代背景があるからだ。 中「表現主義的で、政治・社会的なことを美術でいうことは好まないが、黒瀬さんや、椹木さん、また反戦展の土屋誠一など、上妻さんは何をの話を不問にしすぎてないか?
2015-04-01 20:45:48上妻「リアリティ、当事者性が重要。たとえば9条や福島、そこに自身が経験ないこともありリアリティがない。2010年代の青春、そこに自分のリアリティがある。
2015-04-01 20:46:33中「Tumblrが出てきたことで、敷居低く表現できるようになり、その自分の青春を救おう、ということですね。 上妻「そのとおりです
2015-04-01 20:47:17(引用) 出品作家 伊東淳 第1回日本グラフィック展大賞受賞(1980 年) 櫻井砂冬美 第6回日本グラフィック展パルコ賞受賞(1985年) オヤマダヨウコ 第4回オブジェTOKYO展特選受賞ほか(1987年) →
2015-04-01 21:10:19マダジュンコ 第5回オブジェTOKYO展大賞受賞(1988年) ハギハラトシサト 第10回日本グラフィック展大賞受賞(1989年) 鶴飼紳祐 第10回日本グラフィック展奨励賞受賞ほか(1989年) 奥勝實 第11回日本グラフィック展大賞受賞(1990年) →
2015-04-01 21:10:34ヒロ杉山 第11回日本グラフィック展審査員賞受賞(1990年) 伊藤桂司 第11回日本グラフィック展年間作家賞新人賞受賞(1990年) サダヒロカズノリ 第12回日本グラフィック展協賛企業賞受賞(1991年) →
2015-04-01 21:10:53横山豊蘭 URBANART#6大賞受賞(1997年) ニシガキヒロミ URBANART#7協賛企業賞受賞(1998年)(終わり
2015-04-01 21:11:07伊東淳は作品数は少ないと思っていたが、実は作品を沢山作っており、今度のNOUARTCLUBでその作品を出す。それは大きなトピックだ。
2015-04-01 21:20:45なぜ、この時伊東淳がこのような絵を描いたか全然わからない。 またイラストレーションは当時、スーパーリアリズムであった。
2015-04-01 21:32:06ペーター佐藤や山口はるみのエアブラシ表現は素晴らしく、そのエピゴーネンが当時たくさんいた。 ペーター佐藤はエアブラシ以降が有名だが、使用していた時も独特の表現をしていて面白かった
2015-04-01 21:36:18普通の公募展は、主流派から無難なものを選ぶ、そういうものだ。 そうでは時代を牽引できない。 その点、日本グラフィック展は榎本了壱がぐいぐいひっぱったと思う。
2015-04-01 21:42:13多様性の時代は若い人も出てくるがおじさんたちも出てきて若い人が目立たない。しかし前衛の時代には若い人たちがぜんぜん違うものとして出てくる。榎本了壱の言葉では「新人類」。何やってるか分からない。 その辺もちゃんと上妻さんが言葉にして言ってくれると断絶感が分かるのでは、と
2015-04-01 21:46:55