マリアナで「瑞鳳」、レイテで「瑞鶴」に乗艦された整備員・高橋相四朗さんの講演会まとめ

2015/4/11 筑波海軍航空隊記念館にて行われた、(当時)小沢艦隊-第三航空戦隊に所属されていた高橋相四朗さんの講演に関するツイートまとめです。 不都合等があればお手数ですが“@tomoshibi6o6o”までお願いします。 (追記:まとめサイトでもまとめられていました 続きを読む
歴史 講演 整備兵 筑波海軍航空隊記念館 大日本帝国海軍 瑞鳳 零戦 瑞鶴
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とんぶり @tonburi
今回の講演で体験談をお話頂いた高橋相四郎氏。 整備兵として瑞鳳乗船時であ号作戦、瑞鶴乗船時にレイテ沖海戦に参加。瑞鶴沈没するも駆逐艦に助けられ沖縄経由で帰還。その後は本土で桜花を見送り終戦。 pic.twitter.com/U3s37nPdfU
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ないさろーる @nysalor
と言うわけで整備員として瑞鳳であ号作戦、瑞鶴で捷一号作戦に参加した高橋氏の講演を聴いてきました。今年91ということでしたが大変お元気そうな方でした。以下、印象に残った話をかいつまんで。
ないさろーる @nysalor
あ号作戦で瑞鳳から零戦に25番(250kg爆弾)を搭載した特別攻撃隊が発進したが、非力な零戦に25番を載せると小さな瑞鳳からは発艦するだけで精一杯で、艦爆や艦攻の後ろから飛行甲板を一杯に使って飛んでいた。
ないさろーる @nysalor
25番を積んだ零戦は動きが鈍く、対空射撃訓練の吹き流し(曳航標的)のようなもので到底生きては帰れない。搭乗員が気の毒で、出撃する彼らを見ると涙がにじんだ。
ないさろーる @nysalor
内地で瑞鶴乗組を命じられる。瑞鶴は当時の憧れの艦でみんな乗りたがっていた。同期7人の中で1人だけ瑞鶴に乗れて嬉しかったが、千代田、千歳、瑞鳳乗組になった他の仲間とは今生の別れになった。
ないさろーる @nysalor
フィリピン沖に出撃が決まったものの飛行機も搭乗員も足りず、故障して保管されていた飛行機を20機も修理した。搭乗員の多くは着艦もできないような練度だった。
ないさろーる @nysalor
(エンガノ岬では)飛行甲板後部に固定した25mm単装機銃で対空戦闘を経験した。照準器は外してしまっていたので、曳光弾を頼りに攻撃した。
ないさろーる @nysalor
飛行甲板にいくつも穴が空いて、下の甲板で負傷したり戦死した人をその穴から引き揚げて飛行甲板に並べた。重傷者もほとんど声をあげることはなかった。
ないさろーる @nysalor
魚雷を受けると4万tもある瑞鶴の船体が2mも飛び上がった。魚雷を受けると速度が落ちて、後は一方的に叩かれるだけになった。そのうちに後部がやられて危険になったので機銃を外し、弾薬を運んだ。
ないさろーる @nysalor
総員退艦時に艦橋の方で何かやっているのは見えたが、自分は参加せず、退艦命令も聞こえなかったが周囲が飛び込むのを見て海に飛び込んだ。
ないさろーる @nysalor
最後は丸太に捕まって漂流した。救助に来た駆逐艦は一隻で、攻撃を受けるたびに逃げていた。やがて駆逐艦に救助されたが、攻撃を受けたので救助に向かった大発をその場に残して撤退した。せっかく生き延びたのに見捨てられて気の毒だった。戦争だから仕方が無いと言われて腹が立った。
ないさろーる @nysalor
司会の方が駆逐艦は桑ではないかと説明していました。また氏が見た大発とは別だと思うが、置き去りにされた内火艇が漂流して台湾に辿り着き、何人か生還したこともあったと言っていました(初月の内火艇のことだと思います)
ないさろーる @nysalor
特に興味深かったのは「瑞鶴にみんな憧れていた」「総員退艦時の万歳や敬礼は記憶に無い」の二つ。最新鋭かつ歴戦の瑞鶴は憧れだったそうで(イェーイ加賀さん見てる−?)
ないさろーる @nysalor
また整備員は艦の行事などにはあまり関わらなかったため、写真で有名な総員退艦時の「瑞鶴万歳!」は知らなかったと言ってました。乗り組んだばかりだったからじゃないかとも思うけど、空地分離の弊害だったりして・・・
ないさろーる @nysalor
元気なうちにと手記も書かれたそうで、整理して何らかの形で発表したいそうです。楽しみにしています
陸 戦 @rikusen1
小沢艦隊の生き残り高橋さんの講演で公開された、 復元品である零戦の操縦席計器板と九八式射爆照準器 pic.twitter.com/MXwLqCZWZb
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陸 戦 @rikusen1
今回のイベントで目的とした 講演の内容を思い出しながら書いてきます。 講演者の方は、若き海軍航空隊整備員としてあ号作戦(マリアナ沖海戦)で航空母艦「瑞鳳」、レイテ沖海戦では囮機動部隊として奮戦した小沢艦隊所属の航空母艦「瑞鶴」に乗艦していた高橋相四朗さんのお話です。
陸 戦 @rikusen1
高橋さんは16歳で海軍に志願し、海兵団での教育をえて、 航空機整備員としての専門教育機関のある 厚木で約五か月程度の教育をされたそうです。 そこではある少佐の従兵もされたそうで、役得からか、そこの教育隊では頻繁に会った 罰直や制裁等はあまり無く、シゴキをうまく免れたそうです。
陸 戦 @rikusen1
教育機関は短い期間ながら、そこでの生活は厳しく、 数多くの試験と生活態度にまで点数を付けられる程で、ある 試験では部屋の天井をふと見上げたら、天井にのぞき穴の隙間があり、 上で教官がカンニング対策をしていた事からもその厳しかった生活が伺えました。
陸 戦 @rikusen1
また、ある日の試験(卒業の際?)では、成績上位三名には 時計が送られるとかで勉強を頑張ったそうですが、途中で入院をしていた期間 があり、上長の方が言うにはそれで減点が生じてしまい、おしくも‥ という事があったそうです。成績は不明ながら、一日の入院で減点三点、合計十八点の減点とか
陸 戦 @rikusen1
そして日々戦局の悪化していく日本での 教育機関を終えた高橋さんは、晴れて航空隊整備員として、 上からの命令により初めて乗った船が航空母艦「瑞鳳」であり、来たる昭和19年6月の マリアナ海戦を戦うために連合艦隊と共に南方へ出撃して行きました。
陸 戦 @rikusen1
高橋さんは出撃はするが、一体何処へ向かっているかは 知らされず、夜に艦から見る南十字星が日に日に 近づいている事から、戦地は南方であると海兵団で得た天測航法の教育 により漠然としながらも感じていたそうです。 そして艦隊は補給と休養のため拠点であるタウイタウイ泊地へ投錨しました。
陸 戦 @rikusen1
話は飛んでマリアナ沖海戦になります。 瑞鳳には零戦に250キロ爆弾を搭載した機体が存在し、自分の 手がけた21型に乗った搭乗員を見るに、機動性の極端に悪化した機体に 乗っては‥恐らく帰ってはこれないだろうと思っていたそうです。 事前に噂で米軍側の電探や戦闘機の性能を知っていた為。
陸 戦 @rikusen1
マリアナ海戦は知っての通り、主力の空母機動部隊と貴重な機体と 搭乗員を失った海軍は惨敗し、以後まともな機動部隊同士の決戦は無くなりました。 高橋さんの担当した零戦も、飛行隊も総て一機も帰ってこなかったそうです。
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コメント

bays★ball @bays_ball 2015年4月12日
瑞鶴の整備員は映画「連合艦隊」でも描かれていますな
鐵太郎@ただの人 @Tetsutaro2008 2015年4月13日
ゲーム、アニメといういささか斜めの方向から若者の視点が戦争当時の歴史に向かったためにクローズアップされたわけだが、その経緯はともかく、若い人がこう言う声が再び聞かれてよかったのかも。戦争反対で大きく左へ振れた社会の是非はともかく、過去の生の言葉を聞く機会を得られたのはいいことじゃないかな。
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