マリアナで「瑞鳳」、レイテで「瑞鶴」に乗艦された整備員・高橋相四朗さんの講演会まとめ

2015/4/11 筑波海軍航空隊記念館にて行われた、(当時)小沢艦隊-第三航空戦隊に所属されていた高橋相四朗さんの講演に関するツイートまとめです。 不都合等があればお手数ですが“@tomoshibi6o6o”までお願いします。 (追記:まとめサイトでもまとめられていました 続きを読む
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陸 戦〈RIKUSEN〉 @rikusen1

次のレイテ沖海戦では高橋さんは仲間の整備員とは別で、 数々の作戦で生き残った幸運艦「瑞鶴」へ転属となり、他の 整備員からも人気のあった最新鋭の空母に乗れる事から誇らしかったとか。 そこで高橋さんの平甲板の瑞鳳とは違って瑞鶴は艦橋もあるしという所で 会場で笑いが起こりました。

2015-04-11 22:03:06
陸 戦〈RIKUSEN〉 @rikusen1

レイテ沖海戦では、瑞鶴や瑞鳳に数百機のグラマン機が襲い掛かり、横だけでなく、艦の後方からも襲い掛かって来る事から、高橋さん等は対策として艦尾の甲板上に25粍対空機銃を設置して対空戦闘をしたようですが、多勢に無勢なのと、剥き出しの機銃では敵機の機銃や爆弾、魚雷の危険性から反撃は困難

2015-04-11 22:14:38
陸 戦〈RIKUSEN〉 @rikusen1

最初の一回の反撃のみで機銃を引っ込めて、艦内に退避していたそうですが、 結局は船の上、海の上にいる以上、何処にいようと逃げられないとも言ってました。 最初は水色の気泡を出す敵の魚雷を回避していた瑞鶴も左舷に一発魚雷を喰らい、その衝撃で艦(恐らくは人)が2mは浮いたとも証言を

2015-04-11 22:20:07
陸 戦〈RIKUSEN〉 @rikusen1

そこから次第に動きが鈍って瑞鶴は次々と被弾、最初は反撃していた高角砲も最後には最大 仰角でも水平線を狙うのが精一杯でどうしようもなくなった。戦闘中に甲板に被弾して60mほどの大穴が開き、そこから救助班がロープで下り死傷者を問わず甲板へ人を引き上げていたとも

2015-04-11 22:40:53
イワマン提督 @iwaman_nitohei

高橋さんは整備兵であられ、戦局も悪化した昭和19年に海軍に志願。鹿児島航空隊で教育・訓練を受けられたとのこと。この際、副官の従兵となった為、海軍精神注入棒、通称「バッター」をあまり受けずに済んだのが助かったとのこと。

2015-04-11 23:01:45
イワマン提督 @iwaman_nitohei

そして、いざ配備希望を出す際、地元近くを希望する仲間が多い中、「それでは上官の心象を悪くするし、志願した以上、前線へ」という思いから、分隊士にその旨を伝えたところ、「よしわかった」となり、後のあ号作戦時、瑞鳳乗組に繋がる。

2015-04-11 23:03:55
イワマン提督 @iwaman_nitohei

あ号作戦発動時、集合した連合艦隊を見て「まだこんなに艦があったのか」と、仲間たちと驚いたとのこと。そして、マリアナ沖海戦時は爆戦二一型4機の整備を担当したとのこと。

2015-04-11 23:05:48
イワマン提督 @iwaman_nitohei

空母の乗組員とはいえ、整備兵は航空兵と同じく「乗せてもらってる」立場であるため、搭乗員の方ともとても仲が良かったとのこと。

2015-04-11 23:07:35
イワマン提督 @iwaman_nitohei

そんな高橋さんが担当した爆戦だが、元々250kg爆弾を搭載するように設計されていない、しかも二一型であるから、起動性の低下は必至というのは、操縦する立場ではなくとも百も承知。「敵は電探(レーダー)が優秀らしい」という噂も聞いており、事実上の特攻だと、搭乗員共々わかっていた。

2015-04-11 23:09:55
イワマン提督 @iwaman_nitohei

「確実に生きて帰れない」 その覚悟を決めた搭乗員の顔は、発艦を見送る際、微笑みを見せており、その姿を見、運命を思うと、目頭が熱くなり涙で何も見えなかったとのこと。

2015-04-11 23:13:19
イワマン提督 @iwaman_nitohei

そして勿論、その爆戦はおろか、攻撃隊のほとんどがレーダーによる待ち伏せとVT信管からなる対空砲火により還らなかった。結局、周知の通りあ号作戦は失敗、大敗北に終わり、高橋さんは内地へ帰還する。足摺岬を見たときは「日本に帰って来た」と、感動したという。

2015-04-11 23:14:46
イワマン提督 @iwaman_nitohei

内地に帰還してからは、部隊再編をしようにも飛行機がないということで、航空廠に残っていた直せる機体をとにかく直して、数だけ揃えた、「失礼ではあるが、未熟だった」搭乗員を揃え、瑞鶴に異動となり、レイテ沖海戦に赴くことになる。

2015-04-11 23:17:40
イワマン提督 @iwaman_nitohei

その際、同年兵の仲間のうちで高橋さんだけ瑞鶴乗組を命ぜられ、「海軍に入ったからには、是非最新鋭の翔鶴・瑞鶴に」と思っていた高橋さんは大喜び。仲間からも羨ましがられたとのこと。

2015-04-11 23:19:14
イワマン提督 @iwaman_nitohei

仲間達は、千歳・千代田・瑞鳳へと乗組を命ぜられ、それが今生の別れになったことは、史実を知っていれば容易に想像がつくし、実際、「その後どうなったかはわからない」と仰っておられた。

2015-04-11 23:20:42
イワマン提督 @iwaman_nitohei

ちなみにこの際、「瑞鶴に乗れるということはとにかく嬉しかった。(軽空母とちがって)艦橋があるから」と仰り、会場を沸かせた。 これは、それだけ立派な艦であることと、「お偉方と一緒の艦に乗る」という誇らしさの一端でもある。

2015-04-11 23:23:38
イワマン提督 @iwaman_nitohei

そして、レイテへは囮として出撃した小沢艦隊であったが、自分たちが囮であったと知ったのは、戦いが終わったあとだったとのこと。

2015-04-11 23:24:36
イワマン提督 @iwaman_nitohei

レイテ沖海戦の折り、囮として出撃した小沢艦隊が有するのは僅かな零戦、しかも着艦も出来ない未熟な搭乗員ばかり。彼らの奮戦虚しく、しかし見事囮の役目を果たした小沢艦隊…そして高橋さんの乗る瑞鶴は激しい空襲に晒される。

2015-04-11 23:26:45
イワマン提督 @iwaman_nitohei

飛行機のない整備兵が空襲の最中したことは、甲板後部に据え付けた照準器もない25mm単装機銃を3人人組で撃つこと(危険すぎるという理由で、第一波だけで撤収したとのこと。命令か独断かは聞けず)と、弾薬の運搬だけだった。

2015-04-11 23:29:11
イワマン提督 @iwaman_nitohei

「照準器がないから、曳痕弾に頼って撃つわけだが、どうも当たってるのかさっぱりわからない。ただ、当たったらしいグラマンは、そのままスーっと艦を通り抜けたあと上昇し、その後真っ逆さまに墜ちて行くんですよね」とのこと。

2015-04-11 23:32:12
イワマン提督 @iwaman_nitohei

記念館代表、金澤さんから「他の艦の戦闘の様子などは?」と尋ねられると、「見ている暇がなかった。ただ、海面に爆弾か魚雷か、2、30m以上の水柱が上がる。それが霧が晴れるようになくなると、そこにいた艦がもう見えない。轟沈ですよ」とのこと。

2015-04-11 23:37:51
イワマン提督 @iwaman_nitohei

そしてしばらく頑張っていた瑞鶴だが、ついに魚雷を受け速力が低下し、集中攻撃を受ける。被雷の衝撃は、1m以上は跳ね上がったかと思うと、その動揺がしばらく続く程凄まじかったらしい。

2015-04-11 23:40:25
イワマン提督 @iwaman_nitohei

火災に包まれた艦内にいられず、甲板に上がると、甲板に開いた被弾による大穴やエレベーターへ、防毒面を被った衛生兵がロープで降りていって、生死に関係なく死傷者を括り付け甲板に上げており、まさに地獄絵図の様相を呈していたらしい。

2015-04-11 23:42:34
イワマン提督 @iwaman_nitohei

やがて、大きく傾いた瑞鶴左舷の高角砲が、もはや水平線を撃つのがやっとという状態になった頃、高橋さんは甲板の前部におり、例の写真のシーンには居合わせておらず、「このままでは沈む。退艦命令はまだか?」と思っていたところ、次々と海に飛び込んでいく他の乗組員の姿を見、後に続いたとのこと。

2015-04-11 23:46:25
イワマン提督 @iwaman_nitohei

かくして、海に飛び込み、少し泳いでから高橋さんが見たのは、一度グッと大きく立ち上がったあと、そのまま沈んでいく瑞鶴の壮烈な最期の姿だった。

2015-04-11 23:50:48
イワマン提督 @iwaman_nitohei

「艦には結構、角材が積んである。漂流中に艦から流れ出たそれを見つけると、皆が必死になって取り付こうとする。しかし、角材一本では(浮力は)たかが知れてる。分散しろよと思ったが、皆助かろうと必死ですからね」と、瑞鶴沈没後も生死をかけた戦いは続く。

2015-04-11 23:55:09