中ザワヒデキ × 中村ケンゴ「美術史にダイブせよ!」 #1ss
- misonikomioden
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ケンゴ「永瀬も眞島も仲がいいわけでなく、今回のトークで一緒になったくらいだ。 中ザワ「方法をしているが、たった三人だし、いつも一人というか子分はいない。美術の集団の話といえば、乱闘の逸話などあり楽しいともいえる。
2015-05-09 21:44:02楠見「一人の名前で一つの作品を発表するのはモダンアート。それは崩壊してるのでは? 中ザワ「名前に対していやだというのは、シュミレーショニズムの話である。匿名性であったり。循環史観に結びつければハイレッドセンターもそうだ
2015-05-09 21:44:59ケンゴ「そこでカオスラウンジが、、、集団だし匿名だし、、、 中ザワ「匿名というより、あの面白さはハンドルネーム。それが上にくる。gnckとか ケンゴ「ROBATさんと飲んだが全員、ハンドルネームで話し合ってて、おー・・と
2015-05-09 21:46:05楠見「ケンゴさんの本もすごいが中ザワさんの本もすごい。美術史は歴史だと思う。現在我々が認識しないといけないのは歴史認識の問題だ。美術史も日本篇で歴史の多様性の一つとなる。作家の中ザワが美術史を綴る、、、
2015-05-09 21:47:52楠見「そこに認識性がある。作品作ることでも歴史を作ることで、それが美術。それを言語化するのが中ザワさんらしい。中ザワ立ち位置においてばイラストレーションの問題が重要だ。前衛、絵画、ヘタウマイラストにせよ、それが中ザワの歴史構成要素だ。
2015-05-09 21:49:10楠見「20世紀末…でも、90年代の美術史をたどることが中村ケンゴの作品に、、、 ケンゴ「美術史を書こうとしたので無く、参照項にしようとした
2015-05-09 21:49:48ケンゴ「インタビューされるよりする方が実は好きだ。何かしら主張したければ自著を書く。シンポジウムは開かない。年表を作ったのも僕の思想はそこにない。
2015-05-09 21:51:25中ザワ「歴史か過去のどれを言葉として使うか。ケンゴさんは過去の堆積物を言及する対象とした。 ケンゴ「ダメ相対主義者と最初言ったが、そうかもしれない。
2015-05-09 21:52:19中ザワ「過去の堆積物を歴史と思っていない。近代美術史テキストでも書いたが、能動的に見ようとする思想、 ケンゴ「美術史に自ら影響を与える、 中ザワ「さらに言えば、イラストレーターになり美術を捨てる時、イラストを捨て美術家になるとき、美術史というイデア、ストーリーがあるのでは、と
2015-05-09 21:53:45中ザワ「モダニズムとの相関関係で出てきたのが美術史であり、その現代バージョンが現代美術史日本篇。自称美術家になるとか、作品を制作する主体になるとか、なぜ美術を自分がやるのか。ストーリーを明らかにしないとやっていけない。
2015-05-09 21:54:40ケンゴ「芸術のための芸術としては自立した体系がないと、、、 中ザワ「自立した体系が弱くなってはやっていけないので自分で作る。
2015-05-09 21:55:13ケンゴ「多様性の時代だからこそ、、、 中ザワ「すでに僕の史観では今は多様性の時代は終わっている、、 ケンゴ「多様性の時代、中ザワさんは、んー・・・ってこと多かった 中ザワ「おもうところはあった
2015-05-09 21:56:04中ザワ「芸術のための芸術を強くする必要あった。芸術のイデアが自分に降臨したとするならば、誰もが持つべき共通すべきものがあるものだとおもう ケンゴ「ここで中ザワとの違いが明確になった。年表を作ったのも、美術史を作る参照項を経済や社会も色々書いた
2015-05-09 21:57:10ケンゴ「自立した芸術の話というより、作家の実存の話にいってしまうのは僕がそこに関心あるから。他の著者はまた違う考えがある。シンポジウムは僕だけの考えで収束しないことを狙った
2015-05-09 21:58:13質問「現代美術史日本篇を読んだ。後半で第四表現主義のににそうぎひろゆきのディティール詳細を聞きたい。彼が第四表現主義のきっかけになったのかを知りたい
2015-05-09 21:59:55中ザワ「パラダイムシフトという個展ですね。その時はどう考えたらいいか謎だが眼の方が喜んで先にあった。直感。言葉でまとめないといけなかったが、時代がにそうぎを言葉にしていく段階になっていった。
2015-05-09 22:01:03中ザワ「2005年のDMが僕のところにとどいてなんだこれは!?と。同じく都築潤さんのDMが来た時もそうだった。両方これまで僕がやってきたことと違うアプローチだが目指すところが同じであった
2015-05-09 22:01:54中ザワ「その一週間後に、デジタルネンドのシンポジウムに若者がやってきて最後まで来てくれた。それがにそうぎさんだった。そこでもDMもくれて、これをもらったよ!と 質問「先にモニタではなく紙媒体? 中ザワ「そう
2015-05-09 22:02:50質問「現代美術史日本篇はその出版にあたり欧州を周遊したそうだけど 中ザワ「その影響で今回のトークまで来てくれてる人が来てくれた
2015-05-09 22:04:01中ザワ「日本美術の強者が多く来てくれたが、80年代美術は外人は何にも氏ならい。70年代までありそこから飛んで90年代の村上、森村、宮島になる。それがロンドンとパリ。
2015-05-09 22:04:51中ザワ「本では80年代のことをきちんと書きたいと思ったので、それをきちんとやりたい。 中ザワ「日本の美術を体系的に知らない。それは外国も日本もそうだ。過去の堆積物しかない。そこに一つのストーリーをもって出すことで食いつきの良いトークが海外でできた
2015-05-09 22:06:03質者「バイリンガルで書いた影響も? 中ザワ「それもある。今日もっとやりたかったのは現代日本美術の話。もっと荒波にあるもの。ローカルな場所としての日本の話がしたい。英語をわきにおくのはそれを意識している。
2015-05-09 22:06:59中ザワ「日本人に対しても脇に英語がある文章を見せたい、というのがある。日本語だけで、という話があるのだが、受けるつもりがあまりない
2015-05-09 22:07:46