仏語における Constitutionnalisme 立憲主義の含意——「絶対王政」下の高等法院の位置づけなどから

おきさやか氏による投稿がたいへん興味深かったため、備忘としてまとめました。
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おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

立憲主義Constitutionalismについて仏語版と英語版のwikipediaを見てるけど、毎度のことながら世界観が違って面白い。前者はローマ法の伝統を引いてるが、後者は慣習法が強い世界なので。

2015-05-10 00:09:26
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

ルイ15世は王令を法律として登録しようとして何度も高等法院に却下され四苦八苦するわけだけど、あれ自体、王から発される法よりも、王国の基本となる法を上位に置くConstitutionalismeの伝統を引いているのだな…

2015-05-10 00:24:52
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

仏語版だとconstitutionnalismeはlégicentrisme(法律中心主義)との対立関係で説明されてた。誰か(たとえば王)が決めたり変えたりすることが出来る法律を上から縛ることが出来るもの(憲法など)を置くのがconstitution nailsme

2015-05-10 00:38:18
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

で、二〇世紀初頭までは各国で十分にconstitutionnalismeが機能せずにナチスのような政権が人権を損なう法を作るのを許してしまった。だから戦後はconstitutionnalismeを強めた。その究極の例がドイツである、という説明があった。

2015-05-10 00:41:46
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

ドイツの基本法は、ナチ時代の教訓を生かし、人権に関する内容など、その一部に国民を持ってしても変えられない部分がある。究極のConstitutionalismの体現…

2015-05-10 00:46:14
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

フランス絶対王政というと、王が何でも決められたような印象を与えるけど、実は法律一つ取ってみても実態はそれに遠かった。この辺の話はあまり日本では知られていないのかも知れない。

2015-05-10 00:50:21
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

仏の王は常に高等法院の審査を受けて法を登録していたが、一七世紀の中頃になると高等法院が英国議会のようになることを欲して反乱を起こし、ルイ14世はパリを逃げ惑った。それで成人して実権を握った後、王は様々な手段で高等法院が法令登録に対する拒否権を発動しないように押さえ込んだ→

2015-05-10 00:58:46
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

(承前)しかしルイ14世が死んで摂政時代に入ると、摂政オルレアン公その人がルイの遺言の法的効力を破棄するため高等法院による審査・拒否権を復活させる(遺言は摂政としてオルレアン公ではなくメーヌ公を指名していたため破棄)。結果、その後のルイ15世は高等法院の拒否・反乱に苦しむことに…

2015-05-10 01:06:16
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

あ、すみません。詳細を訂正します。遺言はメーヌ公を実権者としてオルレアン公の上位に置いていたのであって、「摂政」を指名してたのではありませんでした。オルレアン公は「摂政会議」の長とされてはいたがそれは名誉職的なものだった。だから高等法院と組んでメーヌから実権を奪い摂政に

2015-05-10 01:11:51
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

王様の遺言を破棄ってすごいなと思ったよ。それも高等法院だから出来る。簒奪者が直接武力で、とかではなく、とにかく法律を盾にごちゃごちゃとやる。

2015-05-10 01:12:52
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

きっとあらゆる政治史がそうなのだろうけど、この辺の争いはとてもテクニカルで、かつドロドロしている。

2015-05-10 01:13:45

【参考】Parlement - Wikipedia, the free encyclopedia(英語版)

<The origin of the weakness of the French court system, with no rule of precedent outside the interpretation of the law, no single supreme court and no constitutional review of statutes by courts until 1971 (by action, before the Constitutional Council of France created in 1958) and 2010 (by exception, before any court)[14] is usually traced to that hostility towards "government by judges".>