歴史上の小狐丸についての考察5/31更新

『刀剣と歴史』第91号に記された「小狐丸の刀二振りあり」という記事を契機に4月から歴史上の小狐丸について調べ始めました。考察方向は藤原摂関家の野太刀小狐がメインです。歴史上の小狐の実体、作刀者、名称の由来、鞘の装飾とかあります。小狐丸関連で宗近にもちょっとだけ触れていますが、自分がツイッターで呟いたメモとお世話になっているころくさんのツイートをまとめるだけなのでとても雑なものです。時期の早いツイートにミスとかあります。
60
前へ 1 ・・ 4 5 次へ
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

『群書類従 8(装束部・文筆部)』の剣事の部にも同じような記述があります。 pic.twitter.com/G2pSAA9NJx

2015-04-13 17:44:19
拡大
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

鈴木敬三氏の著書『有識故実図典-服装と故実-』(吉川弘文館)、束帯-束帯の構成-太刀の部分にも野太刀について記述されています。 pic.twitter.com/OLRQEP9aLe

2015-04-13 18:42:55
拡大
拡大
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

ほかに平緒、飾太刀、細太刀もあります。挿図つきです。 pic.twitter.com/7HnFM1f20l

2015-04-13 18:44:49
拡大
拡大
拡大
拡大
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

野太刀の部分をまとめ ・衛府官人所用、次将は随身持参 ・遠所行幸に、公卿の将はこれを用い、野外出行の際 ・鎌倉時代に、毛抜形から通常太刀と同じ、茎に柄を差し込むようになり、武家の兵仗太刀とは別に、公家の具として儀仗太刀に準じて用いられた ・源頼朝・平重盛の画像に参照

2015-04-13 18:46:04
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

同書の後半に、太刀拵の種類が記述されています。 pic.twitter.com/06iTtxVMae

2015-04-13 18:48:39
拡大
拡大
拡大
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

毛抜形太刀 members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/milit… 「『兵仗の太刀』だとしても、高級品で有る事には変わりが無く、高い身分の武家の太刀とされていた様である。」

2015-04-13 18:57:54
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

『飾抄』に記された小狐の記録に 「仁平三十二廿八中納言中将兼長直衣始出衣用野劔小狐把芴慶賀」と 「久壽元十一廿五中納言中将師長直衣始出衣帯野劔小狐把芴」があり、 その時師長も兼長も官職は中納言中将で、つまり公卿の武官。直衣の時に野剣である「小狐」を用いた。

2015-04-13 19:10:43
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

同じく頼長様『台記』保延二年12月18日の条に 「今日院參之時儀、 装束、直衣織物、薄色堅文、籠括紅打出衣、白衣二、帶劔、正笏、劔ハ小狐也」があり その時頼長様の官職は内大臣 で右近衛大将。 前例と同様、『桃花蘂葉』と『物具装束将』に準じ、大将が直衣の時に蒔絵の野剣を用いた。

2015-04-13 19:17:31
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

この二つの文献の記録から見れば、つまり、藤原摂関家相伝の野剣(野太刀)小狐は、間違いなく蒔絵の野太刀だったと思われます。

2015-04-13 19:18:42
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

螺鈿の野太刀とか、蒔絵の野太刀とかと言うのは、野太刀の装飾に螺鈿・蒔絵の別があります。蒔絵・螺鈿は、鞘に蒔絵や螺鈿を施したものです。 石村貞吉氏の『有職故実』によると、飾太刀も野太刀も、「螺鈿の太刀は、蒔絵の太刀より重んぜられたもの」とのことです。

2015-04-13 19:29:37
比呂ころく @koroku6_

野剣(のだち)…朝廷における近衛府の官人の太刀。武の太刀とも。古くは刺刀と書いて、ノダチとよませたものがある。平常は儀仗の細太刀であるが行幸・行啓または祭使など、遠くへ行くときは、真剣の入った兵仗の太刀を用いた。細太刀は円鞘であるが、これは真剣が入っているため。

2015-04-17 23:14:59
比呂ころく @koroku6_

鞘が平たいので、平鞘の剣とも。丈夫なように革緒をつけたので、革緒の剣とも。目貫が落ちないように毛抜形の金具をつけたので毛抜形の剣とも。柄は銀の熨斗付けが多いので銀の剣とも。公家が車で車の内に入れたので車の剣とも。真剣を入れてあるので武の剣とも。近衛府の官人が用いるので近衛剣とも。

2015-04-17 23:15:14
比呂ころく @koroku6_

ノダチの語源については、細太刀に比べて野卑だからという説があるが、野剣を露拍(のだち)とも書くから野外において用いる太刀、という意味のように考えられる

2015-04-17 23:17:29
比呂ころく @koroku6_

小鍛冶の小狐丸は古い文献の野剣小狐をブースに作られた創作刀であるから宗近作として同時代のものになるけど、その元ネタを辿ると宗近の時代よりも後にも先にもなるから最年長にも最年少にもなりうる可能性があると…というか小狐丸いすぎ

2015-04-15 13:53:21

小狐丸的な平安時代末期を解読
早い時期のミスの一つで九条兼実は小狐を所有したことがなかった。保元2年に小狐は既に近衛家に移りましたと思われる。

幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小狐丸的な平安末期① ▽保元の乱 ・小狐の旧主・藤原頼長は謀反人の烙印を押され、摂関家の正邸・東三条殿は髭切の主・源義朝の兵に乱入され、財産を没収された。 ・頼長は保元の乱で戦死、小狐を佩用した頼長の息子・師長と兼長は配流され、頼長は罪人として扱われた。

2015-04-15 21:27:18
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小狐丸的な平安末期② ▽治承の乱 当時の主は九条兼実。兼実は傍観者的態度を取ったが、鶯丸所持?の平氏と親しい近衛家による政権を好まなかった。 源義経没落後、小狐の旧主・頼長と敵対した義朝の子・源頼朝に、兼実は推薦され、摂政・氏長者となった。兼実が春日社に参詣した時、小狐を佩用。

2015-04-15 21:28:51
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

『九条家本玉葉11』と『群書類従 8』に記された当時藤原長者であった九条兼実が、文治4年正月27日に、一門・公卿・殿上人を連れて春日社に参詣した時、先例に従って野太刀小狐を佩用したとの記録。小狐は保元の乱の後、兼実の手に伝わったのね pic.twitter.com/x43rly04tY

2015-04-15 13:11:08
拡大

小狐を調べるために公家日記を漁る

比呂ころく @koroku6_

日本刀大百科事典で紹介されている“小狐”が出てくる文献 ・台記 藤原頼長(久寿2) ・台記別記 同上 ・兵範記 平信範(嘉応3) ・保元物語 葉室時長(鎌倉) ・後照念院殿装束抄 鷹司冬平(鎌倉) ・戴恩記 松平貞徳(江戸)

2015-04-14 15:57:44
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

『飾抄』にある太刀小狐の記録が見つかりました!野剣の部分にあります。 「仁平三十二廿八中納言中将兼長直衣始出衣用野劔小狐把芴慶賀  久壽元十一廿五中納言中将師長直衣始出衣帯野劔小狐把芴」 dl.ndl.go.jp/view/jpegOutpu… pic.twitter.com/b7CChKo4MT

2015-04-11 17:52:53
拡大
比呂ころく @koroku6_

CiNii 論文 -  藤原師輔の野剣「小狐」と摂関家 ci.nii.ac.jp/naid/400193836… #CiNii

2015-04-11 18:13:28
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

もしかしたら師輔公は小狐丸所持だったりして... ていうか師輔公は延喜8年(909年)に生まれ、天徳4年(960年)に他界したが、一条天皇の頃より早いんじゃ...

2015-04-11 18:56:13
前へ 1 ・・ 4 5 次へ