- Chitose_carp
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球界の盟主。今もなお圧倒的な人気を誇るこの球団は、セリーグの5球団にとっては優勝を阻む強敵として。 パリーグの6球団にとっては日本一を譲らない大きな大きな壁として、幾度となくその前に立ちふさがりました。
2015-06-07 00:07:28「読売ジャイアンツ」。野球ファンでは無いが名前は聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。 今回は2000年、ミレニアムイヤーのジャイアンツ打線をご紹介したいと思います。
2015-06-07 00:08:53栄光の打線史 第三回『ミレニアム打線』 pic.twitter.com/mxRq9f8VYF
2015-06-07 00:09:542000年。20世紀ラストイヤーというこの記念すべき年に、 ジャイアンツにとっては絶対に阻止しなくてはならない、ある一つの不名誉な記録のストップがかかっていました。 その記録とは………
2015-06-07 00:11:143年連続でのV逸です。 もしこの年優勝を逃してしまうと、球団ワースト記録の4年連続のV逸となってしまう……という状況でした。
2015-06-07 00:12:33とはいえ、4年連続でV逸しただけで球団ワースト記録になるジャイアンツも凄すぎるんですが…… そういった事情もあり、ファンからは「今年こそ優勝を!」という声が多く聞かれていました。
2015-06-07 00:13:24まずは、これまでの打線の中でウィークポイントだった三塁手の獲得に動き、1999年のオフ、カープからFA宣言していた江藤智選手を獲得。 見事に補強ポイントと合致した選手の獲得に成功します。
2015-06-07 00:15:15また、同時にホークスからFA宣言していた「優勝請負人」工藤投手を獲得。 さらに、同タイプの選手が多く出場機会に恵まれていなかった石井浩郎選手をマリーンズへ放出。 代わりに左腕の河本投手を獲得するなど、投手陣の整備にも力を入れていました。
2015-06-07 00:16:47こうした積極的な補強もあり、開幕前から優勝候補として名前が挙がるほどの大きな期待をかけられ、 ジャイアンツは2000年、ミレニアムイヤーのペナントレースの開幕を迎えました。
2015-06-07 00:17:58理由は、他球団を含めた星のつぶし合いにありました。 首位が目まぐるしく変わり、6/4終了時点で首位スワローズと最下位タイガースのゲーム差が4ゲーム差という稀に見る大混戦。 首位スワローズの貯金は2とどこが首位に立ってもおかしくない状況だったのです。
2015-06-07 00:20:23無論、4・5月はジャイアンツの投手陣と野手陣の調子がうまくかみ合っていなかったというのもあるのですが… それにしても大混戦すぎますね。
2015-06-07 00:22:06ですが、開幕2ヶ月を過ぎ、ようやく球界の盟主・ジャイアンツの力が目覚める事となります。 6月を14勝8敗と大きく勝ち越すと、続く7月も13勝5敗と圧倒的な成績を残し、まごついていた下位を大きく引き離し首位に立ちます。
2015-06-07 00:23:094番、松井秀喜選手。 ジャイアンツ、そして日本を代表するスラッガーであり、後に移籍したヤンキースでも主軸として活躍を見せる事となります。(画像) pic.twitter.com/MjYog3Vfrk
2015-06-07 00:25:38前年までの松井選手は主に3番として出場していましたが、それまで4番を打っていた清原選手の不振、 松井選手自身の成長もあり、この年は通年で4番として出場しました。
2015-06-07 00:26:36ジャイアンツの4番、これまでとは比べ物にならないプレッシャーもある中、松井選手は結果を残し続けました。 シーズン開幕前に打法を少し変えたことなどもあり、一時は三冠王も狙える位置に付けていました。
2015-06-07 00:27:52最終的に首位打者は2年目の巧打者、ベイスターズの金城選手に譲りましたが、HR王と打点王を獲得。 打率.314、HR42本、打点108はいずれも自己最高とまさに4番としての活躍を続けました。
2015-06-07 00:29:03また、元来生まれ持った体の強さで135試合フルイニング出場も達成。 センターという守備重視のポジションでこれだけの結果を出したというのも「ゴジラ」の凄さでしょう。
2015-06-07 00:30:23そしてもう一人、ジャイアンツ打線に欠かせない存在となっていた選手が居ます。 そう、この年カープから移籍し、勝負強いバットで決勝打を生み出し続けていた江藤智選手です。 pic.twitter.com/CL0J38vylF
2015-06-07 00:32:19打率こそ前年の.291から.256と大きく下げましたが、HR数は眼窩底骨折をした1996年以来となる30本越え(32本)を達成。 打点は1995年以来の90打点越え(91打点)と期待通りの活躍を見せました。
2015-06-07 00:33:39また、この年はリーグ最多となる14の勝利打点を記録。 ベイスターズの鈴木尚典選手と共にセリーグ最後の勝利打点での表彰者となりました。
2015-06-07 00:34:46打線の中心となったこの二人に加え、1番の仁志選手が自身初の20HRを記録。 主に8番を打っていた村田真一、村田善則両選手を除く1~7番までの打者が二桁HRを記録するなど、 一発がどこからでも飛び出す気が抜けない打線でした。
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