日本車がこの15年くらいで急速に欧州車のテイストやスタイルをキャッチアップし、場合によっては超えていったのはホントに立派だと思う。でもそれが日本車の存在意義を希薄にしている気もする。だって欧州じゃメルセデスもBMWもそんなに高くないんだもん。
2010-03-07 01:07:25クルマだけにしっかり走ってもらわにゃならんので、乗り味が欧州車テイストになるのは良いと思うんだよね。なんだけどアルファやキャディが上手にやってるみたいに「海外が期待するその国らしさ」を誇張した演出が下手過ぎるとは思う、日本車は。 QT @tekusuke 日本車がこの15年くら…
2010-03-07 01:34:04そう言われて、ふと「日本らしさって果たして実存するのか」とも思う。アイデンティティクライシスという意味ではなくて。 RT @tt32quattro …なんだけどアルファやキャディが上手にやってるみたいに「海外が期待するその国らしさ」を誇張した演出が下手過ぎるとは思う、日本車は。
2010-03-07 01:43:28LEXUSなんかに見られる「洗練したら薄味になっちゃった」的な感じは日本らしいと思わなくも無いんだが、それじゃ武器にならんのよねw RT @tekusuke そう言われて、ふと「日本らしさって果たして実存するのか」とも思う。アイデンティティクライシスという意味ではなくて。
2010-03-07 01:47:56@kanoppi そうなると、そもそも「アイデンティティ」という言葉が調和していない、ということになりますな。そしてそうなんじゃないかとミーはどこかで思っています。便宜上仕方なく使っているけど、使い心地は悪い言葉だし、アイデンティティ。
2010-03-07 01:45:51@tekusuke 原義はラテン語のidenti-(同じ)+-ty(性質、状態)だそうです。英語的には違和感ありますが、原義的には、まぁ、そういうことなのかなぁ、なんて。
2010-03-07 01:59:50.@kanoppi 日本の場合、変わることがアイデンティティなんじゃないかと、思ったりするわけです。木造建築の国、BSよりPLを重んじる国。アイデンティティという言葉の対局の姿で、アイデンティティを規定しなければならない、という入れ子構造。
2010-03-07 02:02:31@tekusuke 八方美人と七変化がアイデンティティ、というのは、まさにそう意味でしたためた言葉でございますです。はい。
2010-03-07 02:05:54@kanoppi というのがやっぱり捻れてるんですなあ。そして捻れはやっぱり解いた方がいいんじゃないかという気がします。仮にそれがカタルシスに終始したとしても。
2010-03-07 02:08:49@tekusuke おー…。まぢですか。私はむしろ、そこをそろそろ認めた方が楽になれるんじゃないの、諦めて認めようよ、という考え方です。だって奈良時代から七変化でしたんですもの。。。あ、でも八方美人はここ数世紀の話かと思うので、もしかしたらやめられるかも?w
2010-03-07 02:13:30@kanoppi いや、認めないってことじゃないんですよ。むしろ逆で、認めたいと思っているのに、それを表現するシニフィアンが、それと反対のシニフィエにしか紐付いていないという捻れた状態が、不幸なんじゃないかと。そんな感じです。
2010-03-07 02:17:25@tekusuke あー。「アイデンティティ」というシニフィアンの一般認識が英語の「identity」のシニフィエである以上、他と識別可能な固有のタグであるべきで、「それそのものが七変化する」という「同じであること」(羅identitas)では矛盾し紐づいてないんじゃないか、と。
2010-03-07 02:27:26@tekusuke と、確認の上で、確かにソレはそうだと思いますー。でもなんだか言葉遊びの部分もありますよね。うーん。難しいな。ねじれてるのは言葉なのか現実なのか…うーん。
2010-03-07 02:28:58@kanoppi 言葉と現実が捻れているというのは、やっぱり深刻重大な事態でござるよ。まして別の世界(というかその言葉のオリジンの世界)では正常なんだとすると、そこで捻れていることを表明しない限り、捻れている我々は捻れていない彼らから永遠に誤解されつづけることになる。言葉は大事。
2010-03-07 02:36:16@tekusuke 美学的世界から現実世界へ移って質問ですが、その捻れが原因でビジネス上不利益になったり誤解を被ったことがあれば、140字を超えるようでも、教えて頂ければと思います。数週間の滞在程度だと、意見対立する位なもんで、それって文化の違いが原因、って程度の認識だったので。
2010-03-07 02:42:29@kanoppi 外交における存在感の喪失が一番大きいです。足繁く通っているOECDの会合や国際標準化の活動で、それを痛感しています。個人的な人間関係はあり、そこに座っており、英語で何か話してもいるのに、そこに「ジャパン」が存在しているように思われない。
2010-03-07 02:45:10@kanoppi それって、何かイベントが起きて国際協調で対応しなきゃねって時に、すごく効いてくるのですよ。たとえばリーマンショックでMUFGがモルスタ支援する際に当初は生株を飲ませてもらえなさそうだったとか。あるいはいまの円の独歩高とかも、そういう見方は可能ですよね。
2010-03-07 02:47:49@kanoppi いま一番分かりやすいケースをDMしましたので、それがいいんじゃないかと。そのケースも含めて、というわけでぼくの中では、先ほどの話とビジネスの話は、まったく断絶していないどころか、完全に同じテーブルの上に載っている問題なのであります。
2010-03-07 02:55:11@tekusuke なるほど、わかりやすい例でしたw 今、パッと感じるのは、相対化された中で、己がどこにポイントされるのか明確にすることで、どう対応するのかが変化するのだと思うのですが、それを明確にしないところに癌があるような気がします。玉虫色なんだ、という明確さもないというか。
2010-03-07 02:59:43@tekusuke そして、欧米では、明確にしないものって、無いものと同じ扱いかと思いますが、そういう認識は、まだまだ無いように思うんです。一般的に。これは個人レベルでも、そう思います。外資との取引や外交を職とするような方々にもこの意識が無いとは、あまり思いたく無いですね。。。
2010-03-07 03:03:52@kanoppi そこはぼくの見解は実はちょっと違っていて、ホントに込み入ったところは、日本のそれと同様に、欧も米も明確にしないんですよ。手の内を明かさないというか。でもそれなのに存在感は明確にあるし、油断するとすぐ包み込まれてしまっている。これは一体何だと思うわけです。
2010-03-07 03:09:16@tekusuke 手の内を明かさなくても、手の内には多分、何かがあるんだと思うんです。込み入った場所ではソレをオープンにしないかもですが、どこかで必ずぶれない線がひかれてる…明確にNoと言えるラインを保ってる。翻ってこちらは、その線が無自覚なままぶれるのでタチが悪いのでは、と。
2010-03-07 03:15:17@kanoppi もちろんそのレベルで停滞しちゃっているケースもしばしばなんですが、仮に手の内に何かを持っていていても、「ジャパン」が国というエンティティとして認めてもらえない、という瞬間があるように、ここ1-2年くらい痛感するんですね、特にOECDとかISO周辺に行くと。
2010-03-07 03:20:05