【横山光輝「三国志」講座57「奇略」】

横山光輝「三国志」を1話ずつ解説してみようというコーナー。 第57話「奇略」の回です。 ※解説はbotさんの個人的見解です。
1
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」01】 前回、孫策と太史慈の一騎討ちシーンで終わりましたが、決着はまだ着いておりません。今回はその続きからです。 両者激しく戦っておりますが、太史慈が馬から孫策に向けてダイビング。そのまま両者が地面に落ち、対峙します。そこに、孫策軍の救援が。

2015-06-09 12:40:37
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」02】 さすがの太史慈も、たまらず逃亡。勝負は後日と告げ、駆けていきます。その姿を見た孫策は、敵ながら見事な奴だとつぶやきます。孫策の部下たちが孫策の無事を確認すると、軽々しい行動を謹んでほしいとたしなめると、わかったわかったと孫策は答えます。

2015-06-09 12:42:29
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」03】 ともあれ、孫策は敵の布陣も把握。作戦を練ることができます。そして、いよいよ、劉繇(りゅうよう)軍と孫策軍が激突します。混戦模様ですが、そこに駆けてきたのが、再戦を臨む太史慈。孫策も応じようとしますが、部下に止められてしまいます。

2015-06-09 12:44:37
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」04】 太史慈に対しては、配下の部将が挑むことになりました。孫策が出てこないことにご立腹の太史慈でしたが、向かってくる部将と一戦交える、と思ったらあっさり引き揚げの合図が鳴らされます。まだ戦いが始まったばかりだとういのにどうしたことでしょう。

2015-06-09 12:46:11
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」05】 慌てて戻った太史慈は、劉繇になぜ退却なのかを聞きます。前の敵に気を取られている間に、本城を攻め落とされてしまっていたのです。孫策は、劉繇の戦力を正確に計り、城が空になっているのを見抜き、別働隊を向かわせていたのです。

2015-06-09 12:48:22
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」06】 零陵(れいりょう)城を失った劉繇は、秣陵(まつりょう)まで引き揚げ、軍を立て直し、孫策を迎え撃つことにしました。太史慈は、孫策が一人で偵察に来ていた時に、罠と思わず、素直に襲いかかっていれば、と悔やみますが、後の祭りです。

2015-06-09 12:50:17
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」07】 引き際の判断が早い劉繇は、すみやかに安全なところまで引き揚げます。しかし、孫策とて、黙って相手に戦力を残してやるほど甘くはありません。相手が立ち直れないほど叩かねばならぬと、追撃の構えをとります。

2015-06-09 12:53:11
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」08】 さて、孫策の初陣の相手となった張英は、牛著の要塞を奪われた時に、孫策という男を研究すべきだったと、後悔します。劉繇には、自分が臆病者のように罵ったが、身を持ってわかったろうと、恨み事を言いつつ、汚名をそそぎたい気持ちでいっぱいです。

2015-06-09 12:56:39
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」09】 そんななか、孫策軍が夜襲を仕掛けてきました。混乱する張英の陣。一方的な展開に、張英は孫策の恐ろしさを今一度身を持って知ることになったのです。その後も孫策はしつように奇襲を続け、劉繇軍は休む暇もなく、ついには散り散りになってしまいました。

2015-06-09 12:59:02
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」10】 気落ちした劉繇は、戦意を喪失し、荊州の劉表のもとへ落ち延びていきます。しかし、これを潔しとしない一部の残党が、秣陵(まつりょう)城に辿り着き、最後の抵抗を試みることになりました。その中心が、張英です。

2015-06-09 13:00:58
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」11】 秣陵城に立てこもる張英ですが、孫策軍の兵が増えているのを見て、自らの劣勢を実感します。戦いに勝てば兵も増える。負ければ兵は減る。降伏した劉繇軍の兵も大分孫策軍に加わっていることでしょう。そして、ついに孫策軍の総攻撃が始まりました。

2015-06-09 17:37:32
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」12】 張英は、敵将孫策の姿を見て、弓を取ります。汚名をそそがんと、乾坤一擲の矢は、見事に孫策に命中します。慌てて引き揚げる孫策軍。張英は孫策を倒したと喜びますが、部下の一人が、果たして死んだかどうか、と疑問をはさみます。

2015-06-09 17:39:47
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」13】 そこで、張英は間者に孫策が死んだかどうかを調べに行かせます。間者の報告では、確かに孫策が死んで、兵士たちが嘆き悲しみ、喪に服しており、どこかで仮の葬儀が行われるということでした。張英大手柄。

2015-06-09 17:41:21
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」14】 張英は、将を失った孫策軍を、葬儀の日に待ち伏せ、一気に攻め滅ぼそうと気勢をあげます。 果たして、葬儀の列を組んでいる孫策軍に対し、花火の合図とともに張英の軍が攻撃を開始。しかし、逆に張英の軍が襲われてしまいます。

2015-06-09 17:43:30
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」15】 そこに現れたのが、なんと死んだはずの孫策。浅はか者めが!と一喝する孫策に、「げっ、孫策」と驚く張英。張英は、葬儀も謀と気付きます。張英が討ったのは、孫策の影武者だったのです。袋のねずみとなった張英軍に孫策軍が襲いかかります。

2015-06-09 17:45:19
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」16】 張英も必死に応戦しますが、孫策がやってきて、自らの手で冥土に送ってやろうと言われ、槍で一突きされてしまいます。 張英はそこそこ優秀な武将ではありましたが、勢いに乗る孫策の敵ではありませんでした。こうして、秣陵城も攻め落とされたのです。

2015-06-09 17:48:17
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座57「奇略」17】 孫策の勇名は世間にとどろきます。この頃から人々は孫策のことを「小覇王」ととなえて、敬いおそれるようになりました。 張英の死で、劉繇軍の主力は壊滅したわけですが、まだ、あの男が残っています。この続きはまた次回です。今回はここまで。

2015-06-09 17:51:38