千葉雅也 Masaya Chiba
@masayachiba
ベルサーニの論文では、ゲイの男性におけるセックス=受動的自己破壊は、女性の立場に結びつけてイメージされると説明しているが(娼婦的な女性になること)、ベルサーニの言わんとする自己破壊の極みでは、ジェンダーもセクシュアリティも関係なくなっていると僕は読む。
2015-06-10 02:18:15
千葉雅也 Masaya Chiba
@masayachiba
ベルサーニ的自己破壊の話は、それでも耐続する自己、つまり破壊を途中で快楽に転じられる(そう転じることで生じる)自己が保存されている(それは何らかの既得権益に依拠している?)という批判があるようだが、ベルサーニの議論は「理念的」には死と絶滅を肯定するから、それは当たらないと思う。
2015-06-10 02:41:45
千葉雅也 Masaya Chiba
@masayachiba
ベルサーニが白人・男性視点で語っている部分はあるにせよ、議論の狙いどころは、理念的な「絶滅に至る忘我」だ。理念が純粋にどうであるかよりも、理念が現実内で不十分に働いているレベルで垣間見られる政治性の批判が大事、という立場もあるだろう。が、それは絶滅を本気で肯定しない立場よね。
2015-06-10 02:44:45
千葉雅也 Masaya Chiba
@masayachiba
逆に、サステナビリティに執着した上での死というのは、どういう概念を含むのかという問いが浮上する。老衰して死ぬ。他方で、老衰するより前に、過激な忘我によって死ぬという死には、強烈な快楽という概念がある。サステナビリティの果て(というのも矛盾した言い方だが)にあるのは、何なのか。
2015-06-10 02:53:01
千葉雅也 Masaya Chiba
@masayachiba
セックスのエクスタシー、ドラッグのエクスタシーのような忘我と、老衰や認知症よる忘我は、違うことなのだろうか。
2015-06-10 02:55:39