2015春の藤原まつりの思い出

『2015年春の藤原まつり』。「義経公東下り(藤原家ver)」「毛越寺延年の舞」「観自在王院哭きまつり」の様子を奥州藤原氏bot(歴史系bot)がまとめました。
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奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

清衡「春の藤原まつりを振り返る。今宵は5月5日に毛越寺にて行われた延年の舞について語ろう。毛越寺の延年の舞は二十日夜祭のおり、常行堂(写真)の奥に鎮座する秘仏・摩多羅神に奉納する舞だが、このような催事の際にも公演される」 pic.twitter.com/nWWr9sJlyG

2015-05-12 21:23:37
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清衡「延年の舞は仏を称え千秋万歳を寿ぐ舞で、かつては寺院の法会の後に催されたものだった。古の舞はすでに多くの寺では失われたが、毛越寺は珍しく800年前の舞の形式が伝わり、今の世にあって国の重要無形民俗文化財に指定されているという」

2015-05-12 21:25:59
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清衡「5日に行われた舞では『路舞』(唐拍子)、『若女禰宜(じゃくじょねぎ)』、『老女』、『花折』が舞われた。順に紹介していこう」

2015-05-12 21:31:04
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清衡「『唐拍子』は『路舞』とも言われ、中尊寺と毛越寺の開祖である慈覚大師が唐に渡った際に二人の童子が現れて舞った故事を表す。毛越寺の僧侶らが地謡として謡う中、童子役の舞手は足を踏み鳴らし、あるいは兎を模して跳ねるという躍動感ある舞だ」 pic.twitter.com/y7PJqQpd4L

2015-05-12 21:36:06
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清衡「舞手は四垂を垂れた鳥帽子をかぶり顔を隠して舞う。地謡の僧侶たちの歌は節こそ伝わっているが、その意味はほとんどわからなくなってしまっているという」 pic.twitter.com/G29tdIgCNm

2015-05-12 21:41:24
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清衡「続いて『若女・禰宜(じゃくじょ・ねぎ)』。鎌倉からやって来た巫女が摩多羅神に舞を捧げているさまを再現したもので、後半から御幣を持った神官の禰宜が加わるといった体裁の舞だ」 pic.twitter.com/OE6mqKPOkx

2015-05-12 21:47:48
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清衡「この舞には歌も楽の音もない。ただ巫女のゆったりとした動きに合わせ、その手に持つ鈴の音が響き渡る」 pic.twitter.com/yqq2y9aJgJ

2015-05-12 21:54:06
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清衡「次に最も有名な『老女』が舞われたが、残念ながらうまく写真を撮れなかったようだ。白髪姿で腰を曲げ、老人の動きを再現しながら舞うもので、このような白髪になるまで平安無事に生き延びたいという願いが込められているといえよう」

2015-05-12 21:57:45
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清衡「最後は『花折』。稚児舞であり二人の稚児が手折られた桜の枝を肩に差して舞い、その花を神前に捧げるという舞だ」 pic.twitter.com/b4mAFYlvPH

2015-05-12 22:03:02
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清衡「『いざさら花を折り持ちて、當社に手向け申さん』と謡いながら花を捧げる」 pic.twitter.com/bOc1MAJnCh

2015-05-12 22:04:41
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清衡「舞台の四方には注連縄が張られ、そこに十二種の文様の切り紙が下げられている。これを雑華(ぞうか)といい、これによって舞台に結界を巡らせ中を浄めるためのものだ」 pic.twitter.com/RecVquvo6n

2015-05-12 22:06:16
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