【開棺】中尊寺金色堂学術調査65周年語り【調査】~第二夜~ 奥州藤原氏はアイヌ?&ミイラ生成の謎

 1950年(昭和25年)3月22日~31日、中尊寺にて金色堂の棺を開き、奥州藤原氏四代のミイラ化した遺体に対する学術調査が行われた。  その65周年にちなんで奥州藤原氏botでも六夜に渡ってこの学術調査の話題を語り倒す。その記録のまとめです。
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閲覧にあたって

 ここでは中尊寺金色堂に眠る藤原四代の全身ミイラおよび首の話題を扱います。
 あまりグロテスクな表現にならないようにしていますが、苦手な方はご注意ください。

 第一夜はこちら(基本的な事項の説明があります)  
 http://togetter.com/li/803724

金色堂について

 岩手県平泉町中尊寺境内にある皆金色のお堂。
 堂内に三つの須弥壇あり。檀上には各11体の仏像。そして壇下には奥州藤原氏歴代当主四人のミイラ化した遺体が800年以上に渡って安置されている。

 三つの須弥壇のうち、中央は中央壇であり初代清衡を安置。
 向かって左奥(仏像から見て右)は西南壇であり二代基衡を安置。
 向かって右奥(仏像から見て左)は西北壇であり三代秀衡と四代泰衡の首を安置。

解説者について

 奥州藤原botはふだん清衡・基衡・秀衡・泰衡の四人が主に運営し、藤原家と縁深い人々が客人としてたまに呟いています。(詳しくはこちら→http://twpf.jp/ou_fujiwara4
 が、藤原四代が自身のミイラについて語るのはとてもアレなので、以下の二人が代わりに語り倒してくれます。

・藤原 経清(ふじわら つねきよ):初代清衡の父。前九年合戦で安倍氏側につき戦う。
・佐藤 季春(さとう すえはる):二代基衡の乳母子。佐藤継信・忠信兄弟の祖父世代と目される。

差し入れバナナ

 3月24日は壇ノ浦合戦の日(実際は旧暦3月24日)。
 源平系botと源平クラスタは毎年この日に疑似壇ノ浦体験とも言うべき一大イベントを行うのが恒例となっている。何故か「宋のバナナ商人」を名乗るアカウントも現れ、みなにバナナを配るのも恒例となっている(自動返信でバナナ、またはバナナに似た何かが出てくる)。

 詳しくは↓

・【赤勝て】壇ノ浦合戦絵巻2015【白負けろ】http://togetter.com/li/798817

 奥州藤原は壇ノ浦にはあまり関わらないが、せっかくなので宋のバナナ商人からバナナを買うことにした。

高村七子 @7co_ta

好久不見! 久しぶりの人もはじめましての人も大家好! 我是宋的香蕉商人……宋のバナナ商人アルよ! 待たせたなアル! #壇ノ浦合戦絵巻2015

2015-03-23 21:12:05
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

@7co_ta 泰衡「え…えっと…バナナ、ください?」

2015-03-23 21:30:29
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

泰衡「夜遅くまで私達のミイラの話している経清公と季春にバナナの差し入れ持っていけって曽祖父上に言われて、宋のバナナ商人のところに行ったらこういうのもらったけど、これで良かったのだろうか?」 twitter.com/7co_ta/status/…

2015-03-23 21:37:21
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「さて、今宵も中尊寺学術調査語りの時間が近づいてまいりました! 遺体やらミイラやら首の話を目にされたくない方はミュートしてください」 経清「泰衡君から差し入れの『バナナハンガー』も届いたよ! でもこれどうしろと?」twitter.com/ou_fujiwara4/s…

2015-03-23 21:53:48

昭和25年の2日目と調査語りの第二夜と

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「中尊寺学術調査も第二夜目となりました。昨日が遷座式で,開棺は本日から。それも伝秀衡棺(実際は基衡)の棺を開け、昭和5年に中尊寺が密かに行った保存処置で棺内に詰められた石綿を取り除く作業で終わった。清衡と伝基衡棺、伝忠衡(実際は泰衡)首桶を開けるのは明日以降の話となる」

2015-03-23 22:00:14

【訂正】
↑上の台詞は経清のものでした。季春は藤原家の者を呼び捨てにしない……

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「二夜目の今回は当時もっとも関心を集めた<藤原一族はアイヌ民族であるかないか>と<ミイラは人工生成か自然生成か>の問題についてお話したいと思います」

2015-03-23 22:05:12

奥州藤原氏=蝦夷=アイヌ?

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「今の人には奇異に思えるかもしれないけど、昭和25年以前は奥州藤原氏がアイヌ民族であるという話は歴史学会の主流であったようだ。『中尊寺』に顕著だけど、もうほとんどその説の可否に調査団の関心が集中しているのが読めばよくわかる」

2015-03-23 22:15:13
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「調査当時は<古代東北のエミシ・エゾ>と江戸時代の北海道の<エゾ>、そして今の世の北海道アイヌの系譜が直線で結ばれて考えられていたってことですかね? 今では諸説あるものの、そのへんはとてもそう単純に考えられる話ではないとされていますが……」

2015-03-23 22:20:14
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「そうだね。当時も古代東北の蝦夷が本当に今の北海道アイヌと関係があるか決定打はなかった。そこで学者達は<蝦夷の末裔>と思われていた清衡以下四人の身体と北海道アイヌの平均的な身体特徴を比べることで蝦夷=アイヌであることが証明できるのではないかと考えたわけだ」

2015-03-23 22:25:14
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「安倍氏は「東夷酋長」と『陸奥話記』で書かれ、そのため安倍一族はまぎれもなく蝦夷であると認識されていた。母方に安倍氏の血が入る清衡や秀衡が自ら「東夷の遠酋」と称したり、「奥の夷」と呼ばれていたわけだから藤原家=蝦夷の図式は常識的な見解だったのだろう」

2015-03-23 22:30:12

【補足】①調査時の認識

「現代の同地方(引用者注:東北地方)住民はその相貌に於いて大いにアイノと異り、この故に蝦夷が北方に退去したとも説かれるのである(略)ただし蝦夷即アイノ説の(略)進展は休止した観がある。史料の枯渇が然らしめるのであろう。したがって今回の調査に際し同説に関連する論考に何か有意義な所見が得られることはわれわれもひそかに所望したところであり」(『中尊寺』19p)

「藤原一族は従来蝦夷と呼ばれ、日本人とは異る民族の如く考えられてきた。それは初代清衡の高祖父安倍忠頼が東夷の首長と呼ばれ、三代秀衡は自ら俘囚の上頭と称したこと、またこの一族が関東以西の出身の人から賤しめられていた史実があること等によるのである。そして後世の歴史家の多くは藤原一族を含めて蝦夷及び俘囚をアイヌと直結して考えて来た。」(『中尊寺』37p)

※「俘囚の上頭」と自ら称したのは秀衡ではなく清衡。

通説が覆る時、あるいはレントゲンの勝利

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「でも調査結果は予想外のものでしたね。四公の御身体をいくら調べてもアイヌと似たところはなく、むしろ坂東以北の日本人的特徴しかない、と。『中尊寺』を読んでいても学者達の驚きが相当のものであったことが伝わってきます」

2015-03-23 22:35:13
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「私はアイヌのことはよく知らないんで、あくまで昭和25年の知見で書かれた『中尊寺』内の平均身体的データの記述に則して話すけど、決定打となった比較は三点。身長、顎、歯だそうだ」

2015-03-23 22:40:12
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「身長について。『三体はみな一六〇センチ以上の身長をもち、(略)元来北海道アイヌは一般に身長が低く、平均一五九センチで半数以上は一六〇センチ以下であり、基衡の如き身長を示すのは極めて稀である(略)即ち身長から考えると、藤原一族はむしろ日本人に近い』(『中尊寺』p39)」

2015-03-23 22:45:15
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「顎に関しては日本人は一般に鋏状咬合・角前切痕という顎の形だけど、アイヌの多くは鉗子状咬合・動揺下顎だと言われてた。しかるに『藤原一族のうち基衡、忠衡は明らかに鋏状咬合であるが、他の二体は明らかではない(略)清衡だけが動揺下顎であって、他の三体は切痕が強い』」(同p42)

2015-03-23 22:50:13
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「さらにアイヌは遺伝的に虫歯になりにくいと言われていたらしいが、今ではそれは遺伝よりも日常摂る食物の違いだとされているけど、泰衡以外の三人には虫歯の跡があった」

2015-03-23 22:55:12