【開棺】中尊寺金色堂学術調査65周年語り【調査】~第二夜~ 奥州藤原氏はアイヌ?&ミイラ生成の謎

 1950年(昭和25年)3月22日~31日、中尊寺にて金色堂の棺を開き、奥州藤原氏四代のミイラ化した遺体に対する学術調査が行われた。  その65周年にちなんで奥州藤原氏botでも六夜に渡ってこの学術調査の話題を語り倒す。その記録のまとめです。
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奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「他に顔の特徴や頭蓋骨や骨格、指紋まで調べたけど、やはりどれをとってもアイヌ民族と似た特徴は見いだせず、藤原氏=アイヌ説は一応否定された。レントゲンの勝利って感じだね」 季春「……経清様、ミもフタも無い話すぎます」

2015-03-23 23:00:21
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「ま、ここで実に面白いのは医学という歴史学とは別の専門家によって歴史学の定説が覆された点だ。これが専門分野を越境する調査の魅力に思えてくる」

2015-03-23 23:05:12
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「ともかく今では蝦夷=アイヌとは単純に考えられていないし、そもそも安倍氏は蝦夷なのか、安倍や藤原家が東夷を自称したり京から夷と呼ばれたりしてもそれはどういう意味なのか、蝦夷とは何なのかという議論まで進んでいるけど、今回はそこまで立ち入るのはやめておこう」

2015-03-23 23:10:16

【補足②】

 奥州藤原氏・蝦夷・アイヌの関係についてはその後多くの研究が生まれたが、この学術調査に則したものとしては以下がある。

・「人類学からみた奥州藤原氏とエミシ」(埴原 和郎、『最終報告』収録)94年に刊行された『最終報告』の書き下ろし論文。

・「再考・奥州藤原氏四代の遺体」(埴原 和郎)上記論文を加筆修正。全文公開
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/544/1/nk13001.pdf

ミイラの自然生成説と人工生成説

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「続いて、調査のもう一つの大きな関心、四代のミイラはいかにして生成したか……この点については調査団の間で意見が割れて結論を見なかった。ただ、どちらかと言うと人工的処置は加えられず自然に生成された、という見解が有利だね」

2015-03-23 23:15:14
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「四人が四人ともうまくミイラになっているもんだから、何かミイラ化の技術を施したはずだと思われていたし、漆を塗ったとかなんとかいう伝承もあったのだけど」 季春「でも四公の御身体からは何かの薬物を塗った形跡も内蔵を取り出した跡も見出せなかったのですよね」

2015-03-23 23:20:14
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「そう、藤原家歴代当主に死後身体を保存するという意思があったのは確かだろうけど……死後すぐに金色堂に収めたかどこか別の場所でミイラ化させてから金色堂に移したかは判断つかないが、基本的に安置させていたらミイラになったとしか思えないと……」

2015-03-23 23:25:12
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「一方で、自然生成説の最大の謎は、全身ミイラの三人の背中が綺麗なこと。一般に内蔵を残して自然にミイラとなった場合、背中がひどく汚れる……ああ、何で汚れるかはグロい話なんで割愛ね。でも三人の背中は汚れてなかった、そこが謎だと」

2015-03-23 23:30:21
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「しかし、いったんミイラと成られた後、背中を浄めた上で金色堂に収められたのだとすればつじつまは合いませんか?」 経清「そうとも言える。だから結局、自然生成説に落ち着くだろうね……あと身体に直接の処置ではなく、乾燥させやすい環境下に置くとかはあったかもしれない」

2015-03-23 23:35:12
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「ところで四公が御自身の御身体を保存されるという発想も彼らがアイヌである証左と思われたようですね」 経清「ああ、樺太地方に酋長の遺体を保存する習慣があるとかいいう話で。実際には「極楽往生を遂げた者の身体は腐らない」という仏教信仰ゆえだったと思うけど」

2015-03-23 23:40:14
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「では今夜はこれまで。明日はさらにややこしい話で、基衡君と秀衡君の棺の呼び名が取り違えられていた話、そしてそれがなぜ判明したかについて語ろう」

2015-03-23 23:45:15