山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神①】三百年続いた幕藩体制の経済的側面を支えた「勤労のエートス」と「企業家精神」

山本七平『1990年代の日本』/変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神/幕藩体制の経済的側面/117頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【企業家の精神/幕藩体制の経済的側面】日本経済が、瞠目的な成長発展を遂げたことに関し、今まで色々なことがいわれてきたが、それに対する社会科学的説明に現場の多くの人間はある種の違和感をもち、時には見当違いではないかと思っていたことが、最近になって顕在化するようになった。

2015-06-10 19:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

②明治維新以降、景気循環を繰り返しつつも、趨勢としては絶えず成長発展を続けてきた日本経済を見る場合、西欧の経験則から抽出された分析道具(アパレイタス)だけで分析することは、おかしいと思っていたが、(続

2015-06-10 19:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

③続>最近のOECDの日本の社会科学に関するレポートを読んで、改めて 日本の経済社会を後進的であると規定して分析してきた、社会科学の側にむしろ問題があったのではないか、 という意見にある種の確信をもった。

2015-06-10 20:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

④大体「先進・後進」という発想、そして「ヨーロッパを先進とする」ということを自明の前提とすることは問題があるであろう。 そこで別の視点から日本を見たその一つの成果が、『日本資本主義の精神』である。

2015-06-10 20:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤この本で私は、日本の経済社会発展の枠組は、すでに、江戸時代の幕藩体制下において準備されていたことを示した。 明治維新をどう評価するかは別にして、それが一種の革命であったことは間違いない。

2015-06-10 21:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥革命である以上、後の時代が前の時代を全面的に否定しようというのは、”心理的には”当然のことで、ここで「断絶」してすべて「新規まきなおし」(ニュー・ディール)で始まったと見て不思議ではない。

2015-06-10 21:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦しかし、その後の日本経済の発展を正しく判断する場合、江戸三百年間に営々として築かれた幕藩体制の成果を無視することは現実的ではない。 仮りにそうしようとすればするほど、現状分析から遊離してしまう。 私は、幕藩体制の経済的側面を二つの面から考えてゆくことができると思っている。

2015-06-10 22:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧一つは「勤労のエートス」と、それを支えている生活規範の絶対化であり、もう一つは「企業家精神」である。 日本における「勤労のエートス」は、マックス・ウェーバーがいうように、プロテスタンティズムに基づいたものではない。

2015-06-10 22:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨それは、表現においては仏教的とも儒教的ともいえないことはないが、むしろ「日本教」というべきものが、そのバックボーンにある。 それ以外には、日本における「勤労のエートス」を説明できないが、これについては既に述べた。

2015-06-10 23:09:27
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩もう一つの「企業家精神」もまた、幕藩体制下において脈々と流れていた。 一例をあげれば、江戸中期の太宰春台(1680~1747年)の著書『経済録拾遺』の思想がそうである。 彼は、その土地土地の特産物、つまり土産の開発と振興とを奨励している。

2015-06-10 23:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪当時の幕藩体制は、各藩が独立採算の、今日でいえば株式会社のような企業体であり、藩の経済は土産の種類と質と量とに依存していた。 ここが同じ東洋でも中国や韓国と違う点である。 彼の思想は、日本における「産業主義」(インダストリアリズム)の先駆である。

2015-06-11 08:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫しかし、このような思想が生まれるためには、それに対応した現実がなければならないが、すでに太宰の活躍した時代には、そのような現実ができ上がっていた。

2015-06-11 08:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬たとえば、松前の海産物、対馬の朝鮮人参の輸入、津和野の板紙、薩摩の砂糖、赤穂の塩などのその土地土地の立地条件にあった特産物は、ナショナル・ブランドの商品として全国的に売りさばかれ、好利潤を上げることに成功していた。

2015-06-11 09:09:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭このように、幕藩体制下において、各藩は財政的基盤を充実するために、それぞれの立地条件に応じて殖産興業に努めていたのである。 従って、各藩は、企業体であったし、企業体でなければ存続できなかった。

2015-06-11 09:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮というのは藩主は藩の財政の悪い理由として禄が少ないからだとか、何だかんだといった弁解は許されず、独立企業体としての経営を全うできなければ、藩は存続できなかったからである。 従って各藩はそれぞれの立地条件にあった土産を開発し、振興する事によって、それぞれの藩の収支を償わせてきた。

2015-06-11 10:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯また、各藩は藩札を発行している。 これには、さまざまな種類がある。 由利公正の場合は七年後に正貨に兌換してくれる国債あるいは七年後に正貨で償還してくれる紙幣ともいえるものだが、各藩は藩札を発行することによって「財政再建」に役立てている。

2015-06-11 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰これなどは、前述の産業奨励とならんだ金融面での「企業家精神」を発揮した例といえよう。 以上のように、幕藩体制下の各藩の経済運営は、後の”日本株式会社”のパイロット・プラントのような役割を果たしてきた。

2015-06-11 11:09:11