山本七平botまとめ/【変換期にみる日本人の柔軟性/企業家の精神④】武家の伝統に忠実だった”ニューマン”織田信長
- yamamoto7hei
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①【ニューマン・織田信長】「企業家精神」というのはJ ・A ・シュムペーターが言った言葉である。シュムペーターは経済発展の動因を「イノベーション」(革新)に求め、イノベーションを遂行する経済主体を「企業家精神」をもった企業家、つまり「ニューマン」(新しいタイプの企業家)と呼んだ。
2015-06-11 23:38:51②「企業家」には二つのタイプがある。 一方における積極果敢に新しい事業(エンタープライズ)に取り組み、リスクを冒すことをおそれないタイプの「企業家」と、他方における保守的で新しい事業を起すなどということは初めから念頭にないタイプの「企業家」いわゆる官僚的な「企業家」とである。
2015-06-12 08:09:15③これまで述べてきた「企業家精神」の持ち主というのは、いうまでもなく前者のタイプの「企業家」の事である。このタイプの「企業家」は「今までとは違ったやり方で事を運ぶ」人々の事であり、シュムペーターはこのプロセスを「創造的破壊(クリエイティブ・デストラクション)のプロセス」と呼んだ。
2015-06-12 08:38:52④明治維新以降、典型的には渋沢栄一にみられるような「企業家精神」が、脈々と受け継がれてきたからこそ、日本は、何回ともなくクリエイティブ・デストラクションを繰り返しながら経済的に大きなパフォーマンス(業績)を達成することができた。
2015-06-12 09:09:27⑤このような「企業家精神」を戦国時代から江戸時代への変革期に発揮した人物として、織田信長がいる。 信長は、何事につけても「ニューマン」であり、その好奇心の旺盛さと、何事も貪欲に吸収していった点で、まことに「企業家精神」の持ち主というのにふさわしいタイプの武将であった。
2015-06-12 09:38:55⑥楽市楽座の制度を布いて経済活動を自由放任のままにしておく。 堺などの物産の集積地を手中に収める。 農繁期でさえ軍隊を動員させる態勢を整えておく。 このように、信長の軍事的天才は、ロジスティックス(兵站学)や地政学の方面にも遺憾なく発揮されている。
2015-06-12 10:09:11⑦よく、信玄がもう少し長生きしていたら、信長はかなわなかっただろうなどという人がいるが、私は、仮りに信玄が長生きしたにしても、信長には負けただろうと思っている。
2015-06-12 10:38:52⑧その一つの有力な理由は、武田信玄の軍隊は、農閑期にしか動かせなかったが、これに反し信長は、繁閑おかまいなしに、軍隊を動かすことができた点である。 そして、それを可能にしたのは、信長のロジスティックス的配慮であった。
2015-06-12 11:09:04⑨このことは、それ以前の武将にはあまり考えられなかったことである。 ロジステイックス的な面ばかりではなく、信長の天才は人材抜擢の面でも遺憾なく発揮されている。 秀吉のような下層身分の出身の者でも、業績を上げれば、それにふさわしい身分に取り立てていく。
2015-06-12 11:38:52⑩信長には、旧守的な身分観念は微塵もみられない。 パフォーマンス(業績)とステイタス(地位)を結びつけるという人事考課のシステムを編み出し、部下の能力を惜しみなく引き出すことに成功した。
2015-06-12 12:09:33⑫このように、信長の天才は、桶狭間の戦い(1560年)にみられた戦略や戦術にあったばかりではなく、そうした戦略や戦術を可能にした人事や、兵站・補給といった事前あるいは後方での条件整備にもみられた。 また、信長は、経済政策の面でも卓越した能力を発揮した。
2015-06-12 13:09:02⑬先にあげた楽市楽座は、一種の自由放任経済である。 経済活動に武将が干渉したり介入したりするよりも、町人に自由にまかせておいた方が、効率的であるという判断があったからである。
2015-06-12 14:39:06