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塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
【残りの時間割】#哲学表現基礎論 第7回 動態性と表現←今回 第8回 感情・心理と表現 第9回 表現とコミュニケーション 第10回 形式的表現 第11回 表現とシステム 第12回 言語表現と解釈 第13回 批評・法・経済 第14回 意味と概念 第15回 学習した内容の点検と確認
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何か私たちが情報をとってくるというときは(画像からせよ、発話からにせよ)、それは1回だけのものではなく、くり返されたものであって、そのくり返しのなかから、私たちがどうにかできるだろうという、制御できる、対処可能なものを取りだしている。 #哲学表現基礎論
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くり返しが延々にまったく同じであるなら対処も制御も不要。くり返しが壊れるときに(=他のものが出てくるときに)、私にとって対処可能な、controlの対象が生じるだろう、という身込みのもとで、履歴に参加する* ※ドストエフスキー『賭博者』の0に賭けつづける老婆 #哲学表現基礎論
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くり返しを内から見るときには、自分は変化を被る〈そのため、対処の仕方に幅を持たせたり、余裕をもったり、可塑性をもったりする必要がある: 経験的自己〉。一方、くり返しを外から見るときには、自分は変化を被らないので条件を見ることができる(超越論的自己(自我))。#哲学表現基礎論
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しかし、外から見ている私は、本当に変化しないのか?というときにあらためて絵画の話に戻る。#哲学表現基礎論
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写実においても実際にないものを描くときも、見る私、画家としての私は同一であり、対象の見えが変わる。「変わらない対象を見せられている作家としての自分」は、対象を自由に見るなかで変化する。この動態を考えるとき(くり返しが同一だったり壊れたりするとき)時間が問題となる。#哲学表現基礎論
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時間を線として表すのはそれほど昔から一般的だったわけではない。終末論がキリスト教とともに広まっていってから。古代ギリシアにおいても時間は円環として表されるし、この円環=くり返しが壊れるという形で時間が考えられた。 それでは、「履歴」について、どう考えるのか。 #哲学表現基礎論
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履歴は同一性と深く関わる。自分の履歴は自分の同一性を証明する。あるものの履歴はそれが追跡可能であることを示すが、あるものが同一だから追跡可能なのではなく、追跡可能だと思うことによって(controlの対象であるとみなすことによって)あるものの同一性をつくっている。#哲学表現基礎論
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さて、絵画において特徴的なのは、フィードバックが1つではなく、複数のフィードバックが貼り合わされており、その複数のフィードバックの貼り合わせが、私たちに動きを生々しく感じさせるという点。メルロ・ポンティが『眼と精神』で例に出す競馬場の絵が典型的。#哲学表現基礎論
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メルロ・ポンティは競馬場で走る馬を描いた躍動感のある絵が、いくつもの時間の馬の動きを貼り合わせたものであることに注目した。同じことはロダンも言っている(『眼と精神』「間接的言語と沈黙の声」gos.txt-nifty.com/blog/2008/04/1…)。#哲学表現基礎論
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顕在化したSytagm(つながり)の自由度のなかで、潜在的なParadigm(変換)が固定されることによって、私たちは動きを感じる。Sytagmが固定されたときに、Paradigmが自由度をもつことでも、私たちは動きを感じる。#哲学表現基礎論
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動態は私たちにとって捉えがたい。そこで、動態としてひとまず捉えられた同一のもの(履歴の保存)を貼り合わせることによって、私たちは動態を表現するし、そこに私たちは動態を見出す。絵画や造形の躍動感。物理的な時間に限定されない動きを表現することができる。 #哲学表現基礎論
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物理的な時間に限定されなか動きとは。思考や概念、数学の証明、プログラムに順番があるということ。Paradigm(変換なので、そのものがダイレクトに動態である)に対応する時間。 一方、動態を“使う”ことで何かを表現するジャンルもある。映画やアニメ。代表は、演劇。 #哲学表現基礎論
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映画やアニメ、演劇で使われている動態は、物理的な時間。Syntagmに対応する時間(映画のカットのつながり)。これらのジャンルは新たな具体を作ることを通して、新たなParadigmを探究する。アリストテレスは『詩論』で演劇は運命を模倣すると書く。#哲学表現基礎論
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私たちは時間を感覚する器官をもたない。いくつかの感覚を貼り合わせたり重ねあわせたりすることによって、時間という具体的な、いわく言い難いなにかがあるということを私たちは知り、具体的な時間に自らをひたす。 演技と演奏(台本やフィルム、楽譜や録音ではなく)を語る難しさ。#哲学表現基礎論
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演奏と演技は個々のつながりがそこで消えていってしまう。フィルムや絵や録音は形としてそれが残る。他を参照して同定するとはできる(何年何月何日の演奏)。しかし、それは演奏と演技の大事なところを何も伝えない。だから彼らは、演奏や演技の“その前”に非常に時間をかける。#哲学表現基礎論
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演奏者、演技者として、個人として同一性を持たせることもできるが、それは内的な記録にはならない(カラヤンやグレン・グールドはそれにチャレンジした、成功失敗はともあれ)。演奏者、演技者は、演奏・演技の後に新たなparadigmの探究ができないので、それを前もって行う。#哲学表現基礎論
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鑑賞者を想定した動態性、想定していない動態性は異なる。また、製作者と鑑賞者の動態性も異なる。 #哲学表現基礎論

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