オタクの世代論にまつわるツイートまとめpart.2
いわゆるオタク第四世代の共通体験作品って、1〜2クール地域限定のアニメじゃなくて一年間全国放送の平成ライダーシリーズのような気がする。
2010-12-27 12:22:20オタク世代論か…。客観的に考えるとオレは第四世代になるんだろうけど、オタクというカテゴライズに帰属意識を持てないので、世代論以前の問題としてオタクと非オタクの境界に興味があるかも。
2010-12-27 21:23:40昔から色んな趣味持ってたし、いつ「オレってオタクだよな」って自覚を持ってもおかしくなかったと思うんだけど、そう思えなかったのは同一の趣味を持つ友人に恵まれなかったからじゃないかと言う事に思い至った!
2010-12-27 21:27:02@Six315 @mametant: ビートルズ世代の内田樹は、当時殆ど周囲にビートルズファンがいなかった事、なのにいつの間にか同世代はみんなビートルズ好きになってる事から「世代の人気なんて”世代”で一括りした上で後付けで作られる」旨を述べておりますが。
2010-12-27 22:15:40当事者からすると、やっぱり違和感を覚えるものなんでしょうね……妥当性なんてものはなくて、単に雑談をしやすくするためのツール(血液型占い的なもの)なのかもしれません…… RT @gainersanga : ビートルズ世代の内田樹は、当時殆ど周囲にビートルズファンがいなかった事……
2010-12-27 22:24:12@Six315 多分そんなモン程度に考えるべきモノでないかなと。今ほどコンテンツ供給過剰になってないから、尚更一括りにして語りやすい「ツール」になっていたと言うか。
2010-12-27 22:29:31やっぱり、リアルタイムのエヴァと、神戸の事件は僕の人生のデカいアンカーになっている。 同年代が人を殺せる。自分を人を殺せる。しかも、年下を。 その恐怖はキツかった。思春期の子としては。
2010-12-27 21:44:0090年代後半の”少年少女の空気”とは別に”社会”を意識させてくれたのは圧倒的に小林よしのりだった。薬害エイズ、オウムの渦中に内在し、神戸事件に動揺し”心の闇”というワードを作り出した大人の世界にケンカを売る姿をカッコいいと思ったな。
2010-12-27 23:36:28神戸の事件がニュースに流れた時は、「殺されるかも」って恐怖と同時に、不謹慎な高揚感があった。できるわけがないのに、傘をこうふりまわして戦おうとか、ランドセルを盾にしようとか。お馬鹿さんよね……
2010-12-27 22:16:02@Six315 私は「一般人に紛れてるから犯行時以外は無力。ここに来たら僕が見付けてやる!」でしたね。ちょうどホームズ読破した直後でしたのでw 関東民のくせにw 多分、これが私最大の中二病&邪気眼w
2010-12-27 22:21:38@Six315 僕も酒鬼薔薇事件やオウムを小学生の頃にニュースで見た世代なんですけど、ニュースで悲惨な事件が流れてるのに「また特番で他の番組がみれないじゃん!」ぐらいの感覚でしたね。(続)
2010-12-27 22:28:36@johnny_itoh あの当時、メディアが「今時の子」と一括りにして危ないと報道している印象が強い。まさに今時の子だった自分としてはキツかった。 うちのじいさんですら危ないから気をつけろと言っていた。
2010-12-27 23:06:42@mametant 当時の報道では、「キレる子供」みたいな単語を使って、非日常的な大きな事件が、身近なものであるかの様に報道していましたよね。当時のニュースでは、全ての小中学生が次の事件の容疑者のようでした。事件を少なからず当事者性を持って受け止めざるを得なかったように思います。
2010-12-27 23:41:23@johnny_itoh 正にそんな感じだとは思います。僕みたいな優等生キャラ(笑)はしんどかった。まぁ、受け取り方の問題なので、個人差はあるでしょうが…
2010-12-27 23:46:51ノストラダムスや当時流行ってた都市伝説も、阪神淡路大震災やオウムも当時の僕には大きな違いが無かった気がする。漠然と日常の一部だったんだよなー、きっと。
2010-12-27 22:40:55大きな事件を日常の一部として受容する = セカイ系、なんだよね。小学生の頃、時代の空気を変えるような大きな事件が沢山あったけど、それが日常の一部だったような気がする。
2010-12-27 22:36:57オウムも震災も9.11も「だからって俺の生活は変わらない」という感中区で受け流す、みたいな? RT @johnny_itoh : 大きな事件を日常の一部として受容する = セカイ系、なんだよね。小学生の頃、時代の空気を変えるような大きな事件が沢……
2010-12-27 23:13:46@Six315 むしろ、時代や世界が刻一刻と変化しているし、明日にも自分の生活が一変するかもしれない。そんな漠然とした不安と高揚感を普通の事としながら、学校に行きいつもの様に生活している、って言うような感覚です。うーん、自分でも良く分かってない…。
2010-12-27 23:22:07少し考えた。明日にも自分に何かが起きるかも知れないという不安と、自分(だけ)は大丈夫だという確信が、幼い自分には同時に存在してた様な気がする。アンビバレンツだけど、これが大きな事件(非日常)を日常として受容すると言う事な気がする。…確信は無いけどw
2010-12-27 23:34:38.@Six315 正直、1995がそんなに閉塞していたかと言うとそうでも無い印象。小室ソングは”楽しかった”し、僕は1996年震災後の西宮に住んでいたけど町が蘇ってゆく光景は生きるエネルギーを感じた。
2010-12-27 23:27:00TVゲーム戦争と言われた湾岸戦争等がセカイ系意識に繋がるという指摘。テレビもネットも昔の人が人生で届く範囲以上の世界情報を瓦版感覚を越え実感込みでもたらすわけで、その先にある欲求ではあるのでしょう。その波もひと段落した頃に【かみちゅ!】が再放送されるのは面白いデスネ。
2010-12-27 23:11:09【かみちゅ!】は「届くけど届かせない」描きが素敵。物語の歴史はすぐ前へ前へ先へ先へとなって、それは宇宙膨張のように自然なのだけど、そこで省みる事を怠り先や前の礼賛のみに走るのも困りもの。ゆえにこういう作品が愛おしい。開拓者は黙ってても賢い人達によって評価されるしね。
2010-12-27 23:18:55