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「ごめんな、まだ飯が準備中なんだ。もうすぐできるから、座って待っててくれ。あ、飲み物なら冷蔵庫にあるから勝手にやっていいぞ」「了解っス」リビングに通され、重いエナメルバッグを部屋の隅に置いて、洗面所で手洗いうがいをする。食器棚からグラスを出し、冷蔵庫を開けてウーロン茶を注いだ。
2015-06-19 20:42:43![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
無償に暑くて一気に飲んでしまった。もう一杯注いでから、ウーロン茶を冷蔵庫に戻す。リビングには行かずに台所で料理をする先輩の背中を眺めた。お玉を扱う手がきれいだ。今日は珍しくエプロンもしている。「疲れてるだろ、そこで立ってないで座って待ってろよ」「いいんス。これが一番癒されます」
2015-06-19 20:46:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「…そーかよ」そう言って、先輩は呆れたようにため息をついた。本当に、先輩の姿を見ている方が癒されるんだけどなぁ。今日も部活でいっぱい動いたし駅まで走ったし電車も座れなくて立ったままで疲れたけど、先輩の姿を見たら一気に疲れが吹き飛んだ。今から外周でもなんでもできそうなくらいだ。
2015-06-19 20:48:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「それじゃ、ほら」先輩はお玉に掬った何かを、振り向いて俺に差し出した。味見、ってことかな。赤色の液体を口に含むと、トマトの味がした。ほどよくしょっぱくて、トマトの酸味と甘みが効いていておいしい。「いいお味っス」「よかった。おし、あとはよそるだけだから、ほら、座ってなさい」
2015-06-19 20:52:10![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「はーい」今度はちゃんと言うことを聞いてリビングの自分の定位置に腰を落とした。リビングはいつもと違う様相だった。壁にはガーランドと紙テープで作ったリングが垂れていて、色とりどりの風船が飛んでいる。お誕生日会って感じ満載の、かわいい部屋になっていた。これを先輩ひとりでやったのか。
2015-06-19 20:54:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
先輩がひとりで、俺のためにこれを用意してくれたのだと思うとうれしくてたまらない。思わず顔がにやけた。「なに、にやにやしてるんだ?」料理を運んできた先輩が怪訝な顔で見てくる。「へへへ、だって~」「なにがだってなんだ…?意味がわからん」「ふふ、まぁまぁ、気にしないでください」「?」
2015-06-19 20:58:14![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「まぁいいや。用意できたぞ」「はい!お疲れ様っス!」運ばれてきた料理は、どれもすごくおいしそうだった。トマトソースのかかったイタリアンハンバーグと、シンプルなグリーンサラダ、ライス、そして、俺の好物のオニオングラタンスープ。まさかまさか、先輩ひとりでこれ全部を作ったのか。
2015-06-19 21:01:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
料理からいい匂いが立ち上り、食欲をそそる。部活の後でお腹が空いているからなおさらだ。「先輩、これひとりで作ったんスか。すっげー…」「そ、そうかなぁ?へへ、照れるぜ…でも、肝心なのは味だからな。じゃ、冷めないうちに」「いただきまーす!」ナイフとフォークを手に持って、食事を始めた。
2015-06-19 21:04:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
先輩の作ってくれた料理は、見た目通りおいしかった。とくに、オニオングラタンスープがおいしかった。「オニグラ、ちょーうまいっス!玉ねぎが甘い!チーズたっぷり!バケットしっかり焼いてある!めっちゃ俺の好みの味っスよ!先輩、すげーっス!」「いやいや、そこまで褒められると照れるな」
2015-06-19 21:06:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「だってマジでおいしいんスもん!親に頼んでも全然作ってくれないし、ファミレスのはおいしいけど、そこまでぐっとくるものがないから、久しぶりにこんなにうまいオニグラが食べられてしあわせっス!」「そーかそーか、そいつはよかった。ちゃんと教えてもらった甲斐があったってもんだ」「え?」
2015-06-19 21:10:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「言ってなかったっけ?俺、バイト先が洋食屋兼バーなんだよ。俺はホールだけど、店長にオニグラの作り方を教わったんだ。家でおいしいオニグラ作りたいんですけど、って言ったら快く教えてくれてな。ちなみに、ハンバーグとソースの作り方も教わった」「おお、いつの間にそんなことしてたんスか…」
2015-06-19 21:13:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
真っ先にオニグラの作り方を聞いたというのは、それはもちろん、俺のためだと思っていいのだろうか?やばいうれしい、うれしすぎる。俺のために頑張ってくれる先輩が愛しかった。「やばい、俺、めっちゃうれしいんスけど…」「ふふ、喜んでもらえたならよかった。そのために頑張ったんだから」
2015-06-19 21:16:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「お前が喜んでくれないと、頑張った甲斐がないからな」「…っ、こんなの、うれしいに決まってるじゃないっスか!もー、にやにやが止まらないっス!」「はは、よかった。にやにやすんのもいいけど、ごはん、ちゃんと食べてくれよ。スープはおかわりもあるからな」「もちろん!残さず食べるっスよ!」
2015-06-19 21:18:55![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
先輩に言われるでもなく、出された料理をすっかりきれいに食べてしまった。「はぁーやばい、食べた食べた…ごちそうさまでした」「はい、お粗末さまでした」先輩は食後の余韻に浸るでもなく、すぐさま机を片付け始めた。「いま、ケーキ用意するからなー。そのまま待ってろよ」「あ、俺も手伝います」
2015-06-19 21:21:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「いいって、お前は今日の主役なんだから座ってなさい」立ち上がりかけた俺の頭を掌で押し戻された。そう言われてしまったら手を出すのも悪いな。再び座って、先輩が片付けをする姿を見ていた。先輩が家事をする姿を眺めていると、まるで結婚生活をしているような錯覚を覚えて、胸が暖かくなった。
2015-06-19 21:23:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「ほら、ケーキだぞー」ケーキの箱と包丁とフォークとお皿を持って先輩があらわれた。「今年は手作りじゃなくて申し訳ないんだけど…すまんな、時間なかったわ」「そんなのいいんスよ!一人暮らしじゃ大変ですもんね。ていうか、ケーキだって高いのに…」「いやいや、そんなことは気にするな」
2015-06-19 21:25:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「今回のケーキはこれだぞー」箱の中から出てきたのは小ぶりのホールのタルトケーキだった。カラフルなフルーツがたくさん乗ったきれいなケーキは、先輩らしいチョイスだと思った。「わぁ、きれい…!」「だろー?ここのケーキ、おいしいって有名らしいから、見た目だけじゃなく味も期待していいぞ」
2015-06-19 21:26:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あんまりにもきれいだったので、写メを撮っておいた。それからケーキを切り分け、先輩の淹れてくれたコーヒーと共にいただいた。ケーキは具だくさんでおいしくて、大満足だった。今年は手作りではなかったけど、これはこれでいい。というか、先輩が用意してくれたものなら俺はなんでもうれしい。
2015-06-19 21:29:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ケーキも食べ終えると、本当に満腹になった。さすがに食べすぎだ、もう動けない。「ううー、お腹いっぱい!ちょー苦しいっス!」「俺もお腹いっぱいだー!食べ過ぎたなぁ」「はい…俺、お腹出てるんスけど」「え、マジか」「マジっスよ。ほら」ぺろっ、とシャツをめくり、お腹を見せてあげた。
2015-06-19 21:31:11![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「ほんとだ。ふふ、赤ちゃんみたいでかわいいな」俺の腹は、食べ物と幸福をたらふくはらんでぽこんと膨れていた。うーん、モデルのお腹がこれってちょっとまずいよな。先輩が俺の腹をさすさすと撫でる。くすぐったい。「もー、やめてくださいよー」「いやぁ、つい。あ。そうだ、これ渡さないと」
2015-06-19 21:33:55![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
俺の腹を撫でていた手を離して、先輩は立ち上がった。「なんスかー?」「ちょい待て…ほい、これやる」棚から何かを持ち出して先輩は目の前に座った。そして俺の手を掴んで乗せられたのは、きれいにラッピングされた小さな箱。「お誕生日おめでとう、黄瀬」そう言って、先輩はふわりと微笑んだ。
2015-06-19 21:37:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「あ、ありがとうございます…!いま開けてもいいっスか?」「ん、どうぞ」箱に着いているリボンをほどいて蓋を開けた。中に納まっていたのは、男物のピアスだった。シルバーの台座に黄色い宝石の付いたシンプルなものだ。「おお、かっこいいっスね、これ!さすが、先輩はセンスいいっスねー」
2015-06-19 21:39:01![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
でも、いま俺のしているピアスはせっかく先輩とおそろいのものなのに。それを変えてしまうというのは、正直複雑だ。「いま、着けてみてくれないか?」「えっと…」ああ、そう言われてしまうと、ますます着けないわけにはいかない。先輩からの贈り物はうれしいけど、手放しで喜べない自分がいる。
2015-06-19 21:41:37![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「…複雑な顔、してるな」「えっ」さっ、と自分の顔を手で覆ったが、まさか不満が表情に出ていたのだろうか。プレゼントをもらったくせに、なんて失礼なことを。「お前の言いたいことはわかるぞ」「いや、」「それ、片方を俺の耳に着けて」「え?」そう言って、先輩は自分の着けているピアスを外した。
2015-06-19 21:45:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
無防備な左耳を俺の目の前にさらした。ああ、なるほど。そういうことね。俺は自然に頬がゆるんで、にやにや笑いが漏れ出た。「…りょーかいしたっス」ピアスのキャッチを外して、針をやさしくピアスの穴に通す。位置を整え、キャッチをはめた。「…ん、さんきゅ」左耳にきらりと黄色い石が煌めいた。
2015-06-19 21:47:47