切り紙『神皇正統記(天)』

『現代語訳 神皇正統記』新人物文庫。 この本を子供に読み聞かせるための、コツみたいなことをまとめてみたい。
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ほおづきン @kagachi_ecm

黄泉国、イザナギのミソギを経て、イザナギ・イザナミは、梵語で伊舎那天・伊舎那后である(94頁末)とする。本源では「大田命傳」からの引用(実際は『御鎮座伝記』の傍注)として、同様の記述を載せる。

2015-07-22 20:15:27
ほおづきン @kagachi_ecm

『類聚神祇本源(以下、本源』172頁。 あっ、『御鎮座伝記』より「神皇系図(173頁」の方が近かった。

2015-07-23 20:44:26
ほおづきン @kagachi_ecm

少なくとも神代や、それに先行する序について「簡単な「王代記」一冊を参考として書き上げた(2頁」ような、うろ覚えのアウトラインを提示したような形跡は見られない。

2015-07-22 20:22:30
ほおづきン @kagachi_ecm

書名が挙げられる日本書紀、旧事本紀、古語拾遺はじめ、本源ないしは『元元集』、本源に引用される書物のいくらかは参照していたのではないか?それらが的確にまとめられた「王代記」なるものが存在したとすれば、残っていないことの方が不思議。

2015-07-22 20:24:00

地神第1代 大日孁尊

ほおづきン @kagachi_ecm

【天照大神誕生の謎(98頁】 前半の出典については註(1)のとおり。ただ、対応箇所の抜き書きの典籍があって、そこからの引用かは未詳。 日本書紀では大日孁尊、大日孁貴(おおひるめむち)が使われ、日神とだけされるのもままある。天照大神は別名としてあげられるだけでは?

2015-07-23 20:25:49
ほおづきン @kagachi_ecm

「八咫鏡を授けられて、「私を見るようにこの鏡を見なさい」」について、本源では197頁に「天地麗気府録」(地神五代次第義)の引用として「この宝鏡を、まさに吾をみるがごとくにすべし」という表現があり、常とう的な表現とも考えられるので参考にあげておく。

2015-07-23 20:33:21
ほおづきン @kagachi_ecm

『古語拾遺』に「この宝の鏡をみまさむこと、吾をみるごとくすべし(27頁」があった。 どうも三種の神器について 〈日本紀〉→『拾遺』→(麗気記註『府録』)→『本源』→『正統記』のような両部神道の介入したルートが考えられるよう。

2015-08-03 19:50:17
ほおづきン @kagachi_ecm

『拾遺』には「八咫鏡および草薙剣の二種の神宝をもって(略)天璽(あまつしるし)となしたまふ(同27頁」とあり、どうも、この2種の天璽が「鏡・剣(そして璽」のような脳内変換で、3種類に増大するのでは?璽を「八尺瓊勾玉」に比定するのは、案外、後になるのではないか?

2015-08-03 20:01:09
ほおづきン @kagachi_ecm

親房は、あるいは「地神五代」とか「三種の宝物(本源197頁末」のような概念を両部神道書から仕入れているのかも?これらの概念が明示されて説明されるのは比較的、時代の下ること。

2015-07-23 20:37:22
ほおづきン @kagachi_ecm

【『神皇正統記』解題】 『神皇正統記』というと、冒頭の「大日本は神国」に引っぱられた「皇国史観の教典」という見方が長くされていて、今でも、その立場は払拭されたとは言い切れない。『神皇正統記』を〈読む〉ということは、常に皇国史観のような〈運動〉に利用されることを考えなければならない

2015-08-04 20:14:17
ほおづきン @kagachi_ecm

最近の学説というか、個人的な最近までの認識として、『神皇正統記』は〈中世日本紀〉として、『古語拾遺』の多様という、宣長の『古事記』発見以前の〈日本紀〉のテクストとして拾遺が注目されていたことを示す資料であるとも言えなくもない。

2015-08-04 20:16:42
ほおづきン @kagachi_ecm

しかし、どうも拾遺からダイレクトに正統記に移行するのではなく、両部神道書の中で、拾遺が、何らかの理由で引用がしやすく、その部分が、親房にとって転写関係ということ以上に「神代の共通性」として拾遺が〈再発見〉されているのではないか?

2015-08-04 20:19:57
ほおづきン @kagachi_ecm

個人的に、あまり両部神道、伊勢神道という言葉を使いたくないのだが、それというのは、正統記の中でも、日本書紀・旧事本紀・古語拾遺のようなメインテキストだけでなく、伊勢神道書・両部神道書が混在して引用されているのだ。

2015-08-04 20:24:13
ほおづきン @kagachi_ecm

両部神道だけが、単立で〈神道〉として成立していたかどうかには、熟考を要するというか、つねに伊勢神道、両部神道まで俯瞰した状態で〈神道(一般には神祇信仰になるのか?)〉は成立していたのではないだろうか?

2015-08-04 20:27:00
ほおづきン @kagachi_ecm

まあ、そうすると、逆に、伊勢神道には伊勢神道のテイスト、両部神道には両部神道のテイストがあるのに、〈享受者〉に複眼的視点があったとすれば〈再生産〉された時に、なんで、他の神道説が混在しなかったかの方が不思議にもなってくる。

2015-08-04 20:28:50
ほおづきン @kagachi_ecm

【天照大神誕生の謎2(99頁】 「和光同塵の御誓いも現れて」の原文は「和光の御誓もあらわれて」で訳者は「同塵」が省略されているとみたが、テクニカルタームになっている言葉の、あつかいは慎重さが必要。

2015-07-23 20:53:38
ほおづきン @kagachi_ecm

和光同塵は「光を和(やわ)らげ塵と同じうする」の意味で、仏が悟りの真如を人々に分かりやすくするための方便として、神のカタチをかりて、人々を教化する時に使われる。本地垂迹的な思想が背景にある。

2015-07-23 20:57:07
ほおづきン @kagachi_ecm

【誓約(うけい)(100頁末】 宗像三神の誕生を語る誓約の場面だが、正統記では宗像三神の名前は登場せず、先行の各書で男神の所属に齟齬があることを示す。

2015-07-27 19:48:09
ほおづきン @kagachi_ecm

赤子を腋(わき)にはさんだので、「わがこ(あるいは吾妹子(わきのこ))」と呼ぶという、説は、すでに『古語拾遺』にあらわれている。こういう言葉遊び的な神道説が好き。

2015-07-27 19:50:23
ほおづきン @kagachi_ecm

首のすわった赤ん坊なら、本当に小脇に抱えるように持ち運びすると意外と便利。腋子(わきこ)は古代の育児事情のテッパン的な話の、とっかかりだったのでは?

2015-07-27 20:01:07
ほおづきン @kagachi_ecm

【天石窟1(102頁末】 前半、天御中主尊に3人の息子(高皇産霊尊・神皇産霊尊・津速産霊尊)の話。出典は割り注に『古語拾遺』の説とあるが、註(3)のとおり、記述がない。津速魂尊は『先代旧事本紀(前13頁』にあり、系図をどう見るかは意見が分かれそうな所。

2015-07-28 20:51:52
ほおづきン @kagachi_ecm

そういえば、この前、部屋から、たぶん『神道大系?』の『古語拾遺(5頁』の切れ端が出てきて、その校異によると「亮順本・無貳本・凞允本」に津速産霊神(ツハヤムスヒに皇親神留弥命を割り当てている)の名前がみえる。

2015-11-13 19:55:17
ほおづきン @kagachi_ecm

まあ『津速産霊の入る)古語拾遺』→『神皇正統記』なのか『神皇正統記』→『古語拾遺』正統記の抜き書きは、まるで拾遺からの引用のよう)なのかは、はっきりしないが、

2015-11-13 19:55:44
ほおづきン @kagachi_ecm

天御中主の子供という内容ではないけど、岩波文庫の校異が、いい加減なのか?岩波文庫しか参照しない註釈が、いい加減なのか。以前、調べたのに覚えていない、僕も相当、いい加減だな。

2015-11-13 19:56:23
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