山本七平botまとめ/【1990年代の日本/1990年に向けて③】潜主(テュラノス)を生み出す民主制を制御するため「法(ノモス)を王(支配者)の上に置く」のが西欧民主主義の基本

山本七平『1990年代の日本』/1990年代の日本/1990年に向けて/西欧民主主義の基本/246頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【西欧民主主義の基本】では一体、西欧民主主義の基本とは何なのか。 それは「法を王(支配者)の上に置く」が基本なのである。 まことに面白いことに、この発想はヘレニズムにもヘブライズムにもある。<『1990年代の日本』

2015-06-28 13:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

②田中美知太郎先生のお話を伺う機会があった時、プラトンの上記の考え方は立憲君主制の祖形と考えてよいかと伺ったところ、先生はその通りだと言われた。 ヘブライズムにおいても、神との契約が絶対であり、この契約の内容が法であり、当然に王を律するという考え方が『申命記』にある。

2015-06-28 14:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

③従って王は律法すなわちその契約書の写しを手許に置いて絶えずそれを読み、その通りに行うべき義務を負う。 王は神との契約によって王なのであるから、契約を破れば王ではない。 それが王制以後は、神との契約である「モーセの五書」すなわち「律法」に王冠をかぶせるようになる。

2015-06-28 14:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④この二つの伝統故に「王様が法を作りました」という言葉は西欧では童話の中にすらない…。 だが「天子の上に法を置く」という発想は中国にはない、 従って日本にもない。 プラトンの「法(ノモス)」であれ「律法(トーラー)」であれ、現在の法よりも意味が広く、生活規範の全てを包含する。

2015-06-28 15:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤「観念論者プラトン」などという妙な日本語が出来あがると、彼は一個の口舌の徒に過ぎないように思われやすいが、ディオンによるシュラクゥサイの民主主義革命にそそいだ彼の情熱、ディオンに請われてその地におもむき、危うく命を落しかけたのが60歳を過ぎてからであることを思えば、(続

2015-06-28 15:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥続>到底″観念論者″などという妙な言葉で呼ぶわけにはいかない。 潜主ディオヌシオスニ世を追って民主主義を樹立しようとしたディオンの企図はなぜ失敗したか。 潜主からの解放と自由の獲得は、民衆に無限の要求を出させる結果となった。

2015-06-28 16:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦君主は暗愚な暴君になりうるが、同じ人間である以上、民主もまたそうなり得て不思議ではない。 暗愚で暴虐な君主は佞臣の言葉に迷わされて無限の要求を民にして自ら倒れるが、 民主もまた煽動者や民をおだてるマスコミという佞臣によって倒れうる のである。

2015-06-28 16:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧この点でプラトンは決して孟子のように楽観主義者ではない。 彼は決して「天意=人心」とも「天声・人語」とも思っていない。 事実、天の意志が自動的に民心に現われるなら、中国はとうの昔に理想社会になっている筈であるが、そうなってはいない。 ではこれを規制できるものは何なのか。

2015-06-28 17:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨法は君主の上にある如く、民主の上にもある。 この考え方もまたヘブライズムと共通点があり、神との契約は王をも拘束するが民をも拘束し、王がなくなれば民だけを絶対的に拘束するのである。

2015-06-28 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩では自由はどうなるのか。 ギリシア人は自由を愛した。 ギリシア侵攻を企図したペルシア王クセルクセスは、自由を愛する者が戦うということが理解できない。 戦争はいやなことだから、自由なら、みながこれを避けるか逃げるかするはずである。

2015-06-28 18:09:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪それを問うて、「ペルシア人が王を恐れるようにギリシア人は法を恐れるからだ」と言われても理解できない。 人間は、自らの内に存在しないものは、なかなか理解できなくて不思議ではない。

2015-06-28 18:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫田中美知太郎先生は、法を絶対として逃亡よりも死を選んだ点で、テルモピュライの三百人隊(トリアコンタ)も、クリトンに描かれているソクラテスも同じだと言われたが、これが自由のギリシアであろう。 なぜ、そうであらねばならぬのか。

2015-06-28 19:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬法が失われ、各人が自由に無限に要求をするようになれば、結局民主制は倒れて潜主制が出現し、各人はその自由を失うからである。 民主制が逆に潜主を生み出すという事実は、プラトンの時代であれ20世紀であれ変わりはない。 ムッソリーニもヒットラーも民主制の中から生まれて来た。

2015-06-28 19:38:51