レッテル貼りは、見解の自殺なんだと思う。相手を要するに、で略したその瞬間、自らの見解もまた意味を失う

事実関係をきちんと把握できていれば、見解が作れる。事実の単なる要約と、見解とは異なっている 要約と、見解とを隔てているのは思考の有無であって、一連の事実に対して、その人が確かに見解を持ち、思考しているという証として、事実に対して仮説を設定することが求められる
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medtoolz @medtoolz

事実関係をきちんと把握できていれば、見解が作れる。事実の単なる要約と、見解とは異なっている

2010-12-29 23:02:40
medtoolz @medtoolz

要約と、見解とを隔てているのは思考の有無であって、一連の事実に対して、その人が確かに見解を持ち、思考しているという証として、事実に対して仮説を設定することが求められる

2010-12-29 23:05:15
medtoolz @medtoolz

交渉の席で要請される仮説というものは、合意が成し遂げられた状況の未来予想図であって、それが合意である以上、必然としてその仮説には、相手の見解に対する理解が必要になる

2010-12-29 23:09:40
medtoolz @medtoolz

一連の事実に対して、自らの立場と目的とを投影することで、見解が生まれる。

2010-12-29 23:11:22
medtoolz @medtoolz

自らの立場を理解したうえで、はっきりとした目的を持つことで、見解というものは自然に産み出される

2010-12-29 23:13:39
medtoolz @medtoolz

ところが今度は、合意が期待できない目的の元に作られた見解というものは、単なる願望と区別がつかなくなってしまう

2010-12-29 23:15:41
medtoolz @medtoolz

事実の要約でもなく、状況の無理解が産んだ願望でもない何かが見解であって、見解をそれ以外の何かと隔てているものは、結局のところ相手の立場や目的を理解することなのだと思う

2010-12-29 23:19:30
medtoolz @medtoolz

レッテル貼りは、見解の自殺なんだと思う。相手を要するに、で略したその瞬間、自らの見解もまた意味を失う

2010-12-29 23:22:26
medtoolz @medtoolz

事実に対して見解を持つということは、見解によって、その事実を改変から守るということでもある。力を失った見解は、土台たる事実を守れないから、見解は土台ごとひっくり返されてしまう

2010-12-29 23:25:37