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JSSC 特講野郎Bチーム インドよう! その2

JSSC Bコース 地域研究用でございます。 本人の覚書として纏めております。 今回はネパール編。
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@ksrg_175

ネパールは王朝国家だったのか。元々仏教が盛んな国だったが紀元200年ころまでに衰退し北印から入ってきたリチャヴィスによってヒンドゥー教が優勢になる。この頃をリッチャヴィ王朝時代と呼ぶ。

2010-12-30 13:49:22
@ksrg_175

8世紀に入るとマッラ王朝がリッチャヴィ王朝に代わってカトマンズ盆地を統一し15世紀まで支配した。その後、マッラ王朝はカトマンズ、バクタブル、パタンの3国に分裂。並立して引き続きカトマンズ盆地を統治。この3王朝の勢力争いが素晴らしい寺院や王宮の建築、芸術文化の発展に繋がっていった。

2010-12-30 14:00:38
@ksrg_175

1741年頃、ネパール東部のゴルカ族が乱立していた王国公国の制圧を統一すべく各地に繰り出し、前出の3王国と元々独立していたキルティプール王国も倒して1769年頃までにはネパール統一を果たしたのであった。

2010-12-30 14:07:14
@ksrg_175

ゴルカ王国のシャハ王は土地を統一するのではなく、王都をカトマンズに遷都することを決め、1769年にシャハ王朝時代が始まったのである。この王朝は2008年に最後のシャハ家王であるギャネンドラ国王が権力放棄し、総理大臣による完全民主制に統治を委ねるまで、ネパールを統べていた。

2010-12-30 14:21:36
@ksrg_175

ゴルカ王朝は印やチベットへの侵略を試みるが19世紀初めに印へ侵略した折り、英国と衝突し、ゴルカ戦争が勃発。領土争いに屈したネパールは1816年、スガウリ条約に調印を強いられた。この条約でネパールに英国外交官を駐在させることとなり、ネパールは実質英国の勢力下に入ることとなった。

2010-12-30 14:37:37
@ksrg_175

19世紀半ばになると、ジャンガ・バハデュール・ラナが最初の総理大臣となり権力を握り、シャハ王朝を有名無実化した。世襲制を貫いたラナ家の統治はその後104年に亘って続き、シャハ王朝には殆ど実行権力は無くなっていた。

2010-12-30 14:46:07
@ksrg_175

20世紀に入ると、苦しい生活を強いられる民衆の一方で、贅沢三昧にふける王国一族。WW2後、英は印から撤退し、王国の支援者となる英もいなくなった。やがて国家の政策に反対する暴動が起こり、ラナ王朝支配は終焉を迎える。

2010-12-30 14:56:52
@ksrg_175

ラナ王朝追放の後、シャハ王朝トリブバン国王が最高権力者となり、シャハ王朝が返り咲くこととなる。1951年に息子のマヘンドラ国王が政党のない村落会議を模したパンチャヤト制がネパールには適しているとし、王政復古で立憲君主制となる。

2010-12-30 15:11:25
@ksrg_175

1972年、ビレンドラ国王が即位。身内贔屓、外国からの援助が王族へ流れるなど腐敗が1989年まで続いた。窮乏と印による貿易禁輸措置のあおりをくらった国民は1990年、民主化を求めて抗議活動を起こす。数カ月の混乱が続き、国王は内閣を解散、政党を公認し、パンチャヤト制を廃止した。

2010-12-30 15:39:07
@ksrg_175

その後民主的な新憲法が導入。1991年に32年ぶりの選挙が行われ、ネパール会議派のコイララ政権が誕生。しかし汚職事件や国民の批判、党内対立などで1994年11月に国会を解散。総選挙が行われ、共産党が第一党となり、アディカリ氏を首相とする共産党政権が成立した。

2010-12-30 15:45:33
@ksrg_175

1995年9月、ネパール会議派・国民民主党などによる内閣不信任案が可決され、共産党政権は崩壊。1996年になって共産党毛派(マオイスト)の一部が地下活動に走り、王政と新政府を相手に人民戦争を開始。2001年6月1日、ネパール王族殺害事件が起こり、ギャネンドラ国王が即位した。

2010-12-30 15:56:32
@ksrg_175

当初国王は既存政府を容認していたが、すぐに解散させ、当地権力を握ることとなる。しかしその結果、2006年4月に民衆による抗議行動や各地でのストが頻発し、19日間に及ぶ外出禁止令にまで発展。地下活動していたマオイストと既成政党が旺盛に圧力を書けるために共闘の手を結んだ。

2010-12-30 16:01:34
@ksrg_175

国王は、もはや権力への執着は意味がなく、現状打開のため議会制への復活を受け入れた。それでも既成政党と国民は納得せず、2008年5月28日、240年に亘って続いてきた王制を廃止し、民主連邦共和制を採用するとことを、先立って行われた選挙で選ばれた制憲会議により決議したのであった。

2010-12-30 16:06:15
@ksrg_175

現在ネパールでは、大統領を国家元首とし、首相が内閣を統括する国家形態をとっている。長年の経済の停滞、失業等で状況は良くないが、近年IT産業に力をいれているようである。

2010-12-30 16:12:14
@ksrg_175

ネパールは、元々外国との関わりを排除してきたことや地理的なこともあり、近年になってグローバル化が一気に押し寄せてきているというふうに思えます。印とは違ったIT産業を模索しているようですね。

2010-12-30 16:22:28
@ksrg_175

カースト制度の残滓は今でも印やネパールに影を残しているのですね・・

2010-12-30 16:29:04
D-3@× @DaichiNotGaea

現代カーストとは。。。7000万人の共産党員>3億数千万の都市生活者>残り。 

2010-12-30 16:31:17