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塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
【シラバス】#哲学表現基礎論 第7回 動態性と表現 第8回 感情・心理と表現 第9回 表現とコミュニケーション 第10回 形式的表現 第11回 表現とシステム 第12回 言語表現と解釈 第13回 批評・法・経済 ←今回 第14回 意味と概念
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
言語的な表現における「意味」はとても特殊。意味は、絵画においては画面(≠画像)にあたる、つまり画像の不安定さに限定を与えるものとして働く。しかし意味が画面と異なるのは、“ここ”から構成され、“ここ”から代入がはじまるという“位置”??が言語でははっきりしないこと。#哲学表現基礎論
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言語における構成と代入の境界がはっきりしなさと似ているのが、コンピューター・サイエンスにおけるプログラムの入力/出力のはっきりしなさ。どこまでが記述で、どこまでが演算なのか、はっきりしない。 #哲学表現基礎論
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言語における構成と代入の境界がはっきりしなさは、言語のある種の閉鎖性の源となっている(○は●と言い換えられるし、◎とも言い換えられるし…と無限に意味をずらしていくことが可能)。しかし、言語がコミュニケーションに使われるときには、この閉鎖性は少なからず解消される。#哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
言語表現そしてプログラムはある種の閉鎖性をもつ。それは、どのように解消されるのか。介入における自由、そして偶然において。言語における偶然とは何か。反対する人もいるかもしれないけれど、それは「意味の決め方」。ここは言語表現とプログラムの違うところ。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
「意味を決める」というcontrolは、意識されずに行われる。このcontrolは意識されずに行われ、また私たちはそれをいつどのように習得したか思い出せない(*)。 ※思い出したところの結果の表現は意味的に思い浮かべられるから。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
なぜ「意味を決める」というcontrolを私たちは行うのか(いつの間にか習得するのか)。生じた出来事を、事後的に、なんでもある意味に取り込むことができるから(例:天変地異→「想定外の事態でした」)。  #哲学表現基礎論
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そしてまた、偶然から派生するものに対して、事前に、こちら側をcontrolすることができる(例:「想定外の事態がおこるかもしれない」→天変地異)。正確に言えば、controlされるのは、こちら側の言語と言語外のitemの接点でどのように行為するか。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
ここであらためて、「しかしcontrolは意味そのものではない」ということを強調する。そもそも意味ということがわからないからこの話をしてきた。controlは、意識外のfactorに行われる。無意識上の,制度上の,技術によるcontrol…、 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
そして、意識外のfactorで行われるcontrolには、イデオロギーも含まれる。よく言われることであるが、制度、技術、イデオロギーはcontrolの仕方に逆に影響も与える。だから、それらを補填し、評価し、批判するという別の営みが必要となる。その告発者が、批評。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
批 評 ――― 批評理論 [技術]      [科学] この2つにはにはズレがある。初回講義でも話したように、この2つのズレについて記述するのが哲学の仕事。しかしくり返すように、哲学はついつい批評理論[科学]の方に偏ってしまう。そして評価・批判の正当化に使われる。#哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
批評は、古代ギリシアにおいては政策論であり、国家論であった(cf.アリストテレス,プラトン)。中世における批評が何であったのかはちょっとわからないけれど、近代においては人間復興、啓蒙主義(普遍性,理性的な観点)とロマン主義(歴史性,個別的な観点)であった。 #哲学表現基礎論
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特にロマン主義における批評は、作品の独創性を評価し、「天才」という概念を生み出した。個々の状況に応じて新しいものを創りだす個体。 とはいえ、ロマン主義だけでなく啓蒙主義も、作家論の立場。つまり、コミュニケーションの伝達者を「主体」として内から見る見方をとる。 #哲学表現基礎論
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作家論はdynamicsを内から見る。対して、1910年代から1960年代まで、コミュニケーションの伝達者を「介入」として外から見る見方をとる(作家≠作品)ニュークリティシズムが興隆。階層社会→大衆社会という流れがあるが、それだけでなく製作中心→消費中心の流れが。#哲学表現基礎論
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先進国において生産(製作)がひととおり行き渡った1910~1960年代、消費とは何かが検討されるようになった(とりあえず作れば売れる時代→作っても売れなければ意味がない時代)。伝達そしてcontrolについて、外から見る必要性が増す。#哲学表現基礎論
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ところで、文芸批評といえばフランスが有名だが、尖った作品が多く、人種の坩堝で貧富の格差も激しいアメリカでは、なぜ批評理論がフランスほど盛んにならなかったのか。体系化しなくても使えればよかったから(cf.批評理論[科学]はなくとも批評[技術]が発達していた古代中国)#哲学表現基礎論
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批評理論でおさえておかねばならない人として、まずフーコーとデリダ。フーコーは知の権力(知と制度、知の考古学)を、デリダは知の暴力(音声中心主義(?? 神の声)、現前の形而上学)を論じた。そして、技術のイデオロギーを論じたマクルーハン。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
一時期、批評とポストモダンは相性が良いように見られたこともあるが、むしろ意味/意識/理性と、偶然(行為,身体,物体)との関係を考える上では「未完のプロジェクトとしての近代」を論じたハーバーマスが注目される。その利用者をつなぐものとしての制度と技術。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
偶然(行為,身体,物体)に近い制度,技術としての経済、意味/意識/理性に近い制度,技術としての法。偶然から派生するものをcontrolしようとするときに、ハーバーマスは最終的に、偶然は意味/意識/理性にコードすればなんとかできますよと言うけれど、それは学者的すぎ #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
偶然と偶然から派生するものをねじ伏せることがcontrolであると、西欧哲学はイメージしがちであるが(聖書があるから)、それだけがcontrolだけではない。controlの見方を変えると、制度と技術について考える幅も広がるのではないでしょうか。 #哲学表現基礎論
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot
#哲学表現基礎論 の学期末のレポート課題はどのようなものですか? — 課題(1) 講義で示した技術―科学―哲学の関係(個別の出来事のその境界時要件の組織化、両者の双対性とそのズレに関係する哲学)において、動態性は各領域および... ask.fm/a/ceb4m409

コメント

黒沢孝裕 @nckrx970 2016年3月22日
女性差別は嫌なものだが、フェミニズムの理論って先生の言う「批評」たり得ているのだろうか。意味発生の無意識のcontroll まで遡って批判し、そこで得られた知見を他者に立法したりする。っつか一般に文化事象から規範を創出する方法自体が息苦しい。現代思想苦手じゃ。あ、中島の「不在の哲学」は現代へのいい案内と思って読み始めた。
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