- Bay_yamashiro
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さて、お時間になりましたので『ベイ山城がレジェンドを語る』第12回をやらせていただきます。 しばらくTLに失礼させていただきますが、ご了承ください。。。 。。。 。。 。
2015-07-19 22:02:24『オレのプロ野球選手人生もここでオシマイだ』 創設2年目を迎えようとしていた楽天ゴールデンイーグルス。 前任の田尾安志監督はチームの大不振により、1年であえなく解雇。 とある新監督の着任が報じられた瞬間、チーム最年長38歳のベテランは自身の選手としての終わりを悟りました。
2015-07-19 22:03:29高卒ドラフト2位として中日ドラゴンズに入団。 期待されながらも中々芽が出ず、コンバートを経験しながらも9年目にして、松井秀喜選手を破り初の本塁打王を獲得。 しかし、その後は調子を維持することが出来ず、2度の監督との衝突もあり、一時期は引退の危機にもあったという波瀾万丈な野球人生。
2015-07-19 22:05:04なんとか新規参入のチームに拾ってもらうことになり、田尾前監督の熱心な指導により不振を脱したベテランは、しかし、報じられた新監督と『絶対にウマが合わない』と確信していました。 徹底した管理野球にデータを重視した小難しい野球、なによりベンチでの『ぼやき』・・・
2015-07-19 22:06:34『1年野球を楽しんでクビになったら名古屋に帰ろう』 そう決心したこの瞬間、まさかこの新監督の指導のおかげで復活を果たし、再びタイトルを獲得することになろうとは思っていなかったのではないでしょうか。 この後、38歳のベテラン選手はここから更なる『進化』を遂げることになるのでした。
2015-07-19 22:08:02『ミスターイーグルス』山崎武司 小話 pic.twitter.com/6TxzPBOy96
2015-07-19 22:10:011995年 シーズン終盤 プロ8年目の山崎武司選手は自分のスイングに手応えを感じていました。 66試合の出場で16本塁打。 高木守監督の辛抱強い起用と、同時期にポジションを争っていた大豊泰昭選手の不調が重なり、山崎選手の出場機会が増加した結果、初の2桁本塁打を達成しました。
2015-07-19 22:11:35翌96年 ドラゴンズは不振の高木守監督を解任、新監督として2期目となる星野仙一監督の就任を発表。 翌々年の97年には名古屋球場から広いナゴヤドームに移動することも決定しており、初の『本塁打王』獲得へ、山崎選手は燃えに燃えます。
2015-07-19 22:12:44キャンプから山崎選手は星野新監督に積極的にアピールを続けます。 不慣れなレフトの守備でまずいプレーを連発、更に星野監督が嫌う三振も持ち前のフルスイングで量産し、ベンチ裏で殴打を食らいまくりましたが、食らいつき、下位打線ではありますが開幕からスタメンに名を連ねます。
2015-07-19 22:13:27シーズンが始まると『強竜打線』称される通り、チームから快音が響き続けます。 山崎選手もその流れに乗り、序盤から打ちに打ちまくります。 打線の勢いに乗り、前年の5位が嘘のようにジャイアンツと激しい首位争いを演じます。
2015-07-19 22:14:50立浪、パウエル、音、という強力なクリーンナップに加え、下位打線には山崎、大豊、中村武というどこからでも一発が出る『恐怖の下位打線』 それを象徴したのが6月19日のジャイアンツ戦です。
2015-07-19 22:16:24