(いまさら)『容疑者xの献身』を読んだ男(その2)

久々に少し考えてみた。 ※一応、以下の延長戦 「(いまさら)『容疑者xの献身』を読んだ男」 http://togetter.com/li/352654
1
じねん @jinensai

昼下がりを久々に検証に充てる。本格ミステリ考える上で「容疑者X論争」は避けられず、巽昌章さんと二階堂黎人さんのやりとりに絞って読み直したが、ひとまず今日はお腹一杯。私が補助線と考える「ミステリとは何か」と「読者との双方向性」、それらの基となる「なぜ」の重視でどう斬り込めるか…。

2015-07-26 20:14:36
じねん @jinensai

作家と評論家の立場の他に、読者サイドも構成員として関与していたはずなのと(←直接当事者ではなかったが)、手順的に「ミステリ」をすっ飛ばして「本格ミステリとは」というのは、立論的に無理がある。「本格」を作品を解析するツールに使う以前に「本格」それ自体の検証も手順として必要だろう。

2015-07-26 20:28:17
じねん @jinensai

お腹休めたし、続きは銭湯サウナで考えよう。

2015-07-26 20:29:24
じねん @jinensai

断続的につぶやいたりまとめたりなので、重複ご容赦だが、欧米も日本もミステリの定義づけには必ずしも成功しているとは思えない。欧米では警察機構(探偵含む)の誕生以降という一種のトートロジーになってしまっているし、日本では先行作品の再生産・バージョンアップに主眼がある。(続

2015-07-26 21:09:48
じねん @jinensai

承)一口にまとめると「~のようなもの」という歯切れの悪いものだ。「ミステリ」で既にそうなのだから「本格ミステリ」においておやだ。都筑道夫さんは犯罪実話から論理的解明への飛躍を「本格」が担ったとし、ゆえに基本的・中心的なのだと論立てたが、それを促した原動力には言及していない。(続

2015-07-26 21:11:53
じねん @jinensai

承)その飛躍を促した原動力は、やはり読者それも「読者層」だというのが(重複するが)私の仮説なのだ。警察機構(探偵含む)との共時性と、その後あまりに「当たり前」になってしまったため盲点になっているが、ミステリ創成は雑誌のカンブリア爆発のような質・量の膨張の波に乗っかっている。(続

2015-07-26 21:18:20
じねん @jinensai

承)クロスロード、懸賞(小説募集あるいは解答)、投書など様々な展開は概念的にはインターネットの祖先とも言えるだろう。そんな中、連載中の作品を先読みした投書が読者・ポーによって成される。「ミステリ」の先駆け、即ち読者が二次元の作品中に擬似的に影響を及ぼす扉が開いたのだ。(続

2015-07-26 21:33:19
じねん @jinensai

承)従って「ミステリ」は虚実のグレーゾーン(読者が虚へ、あるいは作者が実へ乗り入れる)に遊ぶものと言い換えられるだろう。不特定多数の「読者層」を相手にする必然としてリアリティーやフェア・プレイが重視される。共有される「盤」と「ルール」が作者と読者の自由な往還を可能とするのだ。(続

2015-07-26 21:47:05
じねん @jinensai

湯上がり例のコンビニの憩いコーナーに着座。続き。

2015-07-26 22:24:26
じねん @jinensai

承)つまり従来「本格」に従属する性質と位置付けられてきたフェア・プレイなどはむしろ従属するものではなく作者と読者を結び付け、グレーゾーンを担保する前提条件だったのではないか。極論、作者と読者が認識を共有できるならトリックも、あるいは謎すら必要なくなる。異世界だってアリだろう。(続

2015-07-26 22:33:51
じねん @jinensai

承)「もし、私があの時気づいていれば」式の展開の妙でもタイミングさえ切れ味良ければ、屁のような謎より余程有効に働くだろう。謎の有無にばかり気を取られるのも考えものなのだ。そこに読者の思い込みを想定してあらかじめ巧妙に練り込まれたものがあるのなら、テキスト検証だけでは不十分だ。(続

2015-07-26 22:44:14
じねん @jinensai

承)読者が「どう読むか」という不確定要素は厳然と存在する。客観性に拘るあまり、作家も評論家も削ぎ落としてきたのではないか。それこそ千差万別だろうし、この不確定要素をどう捕捉するかは書き手としての私にとっても宿題である。逆に読者側からのアプローチが鍵になるのかも知れない。(続

2015-07-26 22:57:49
じねん @jinensai

承)翻って『容疑者Xの献身』だが、以上を踏まえれば作者は明らかに対手としての「読者の想定」を意識し、作中に練り込んでいる。作中の小さな違和感が大きな企みを覆す鍵になっていたのに読後に気づいて呆気にとられた読者は多かったはず。(一見)「純愛」すら企みの成立に利用されている。(続

2015-07-26 23:08:39
じねん @jinensai

承)つまり「作者vs読者」の構図に則った古いタイプと考えると色々腑に落ちる。私の場合、事前に助走として『探偵ガリレオ』の短編集を読んで臨んだためか、その印象が強い。私には『探偵ガリレオ』が捕物帖に読めてしまった。ミステリ要素を減衰させていたのはむしろその古風な作りに思える。(続

2015-07-26 23:21:57
じねん @jinensai

承)「本格」を「作者vs読者」の派生や包摂される概念と捉えるなら『容疑者Xの献身』は「本格」と位置付けられると思う。作中トリックや「純愛」という標語も、おしなべてみな「作者vs読者」を成立させるために機能している。むしろ「純愛」で読んでも読めるところは評価されるべきだろう。

2015-07-26 23:37:36
じねん @jinensai

さて、コーラ飲み終わったし、戻ろう。

2015-07-26 23:38:48
じねん @jinensai

多少付言しておくと、作者の意図を超えたり、踏み外した読みを読者が行うことは非常にありふれた現象で、そこに擬似的なミステリが生じることもあるし、ミステリを読み慣れた現代人が過去の説話の中に擬似ミステリを発見することも多い。ここで注意しなければならないのはいずれも読者主導なことだ。

2015-07-27 07:03:20
じねん @jinensai

極端な「客観性重視信仰」が、こうした読者側からのアプローチを非常に見えにくくしている。

2015-07-27 07:04:54