棲み分けのシステムに依拠して文学批評をしていることを自覚しているのか

0
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

それで、そういう棲み分けのシステムに依拠して文学批評をしていることを自覚しているのかどうかということですね。

2011-01-02 02:05:40
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ああそうだ、それから文学(小説)はメタレベルとオブジェクトレベルを(映像系ジャンルと比べると)切り離しやすいという性質も挙げられますね。棲み分けのし易さの一つとして。

2011-01-02 02:20:17
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

これはもう完全に自分の趣味だけど、萌え(オタク的文脈)と純文学の関係で言えば、阿部和重の萌えの導入の仕方はアイロニカルなメタレベルの操作が入っているわけで(現代思想に萌えをぶつけてみる)、それ以上望まないんだが、ユヤタンの敗北は決定的だったような気がするよ。

2011-01-02 02:26:24
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

仰る通り、詩は小説以上に形式的側面に対して敏感であり、それに応じてカテゴリーが細分化されるジャンルだと思います。萩原朔太郎の場合だけど、この時期はどのジャンルもジャンルの再設定を試みていて、詩壇では朔太郎がそのリーダーになろうとしていたんだろうと思うんですよね。

2011-01-03 02:18:38
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

美術だと藤島武二や岸田劉生あたりだし、文学では横光利一と小林秀雄でしょう。

2011-01-03 02:25:17
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

彼らがやったことは、なんでもありな状況になった後に、いかにジャンルとして再統合するかということだったんだと思います。カント的な普遍命題です。形式と内容、認識と直感をどう総合するかという。

2011-01-03 02:35:07
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

そういう意味では、戦後の荒地派以後も、朔太郎とそれほど変わってはいないのではないかという印象を受けます。要するに、詩は、散文形式(小説)と社会的コミットメントという二つの「外部」との関係からつねに自己のジャンルの再定義を図ってきたという流れがあるわけですよね。

2011-01-03 02:50:25
中沢忠之@インボイスやめちゃえ @sz6

ネット詩の動向は僕はよく分からないのだけれど、とにかく詩は小説と同じように(以上に)ジャンルの外部を囲い込む(=内部を細分化する)力学が良くも悪くも発達してるんだろうなあとは思います。逆に言えば、外部(ネット詩等)を使いきれていないともいえるかもしれませんね。

2011-01-03 03:26:54