《『毎日新聞』往復書簡 脱「福島論」の意味》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

脱「福島論」:【担当から】個性の違い浮き彫りに 1往復目 2015年08月07日 石戸諭 mainichi.jp/feature/news/2… 引用:開沼さんの視点は、あくまでフィールドワークやインタビュー調査で得られた「声」に置かれていると読むことができます。

2015-08-11 21:19:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

同じ石戸記者による、開沼氏に関する別の記事。 mainichi.jp/shimen/news/20… 引用:「本当の問題はそこにはない。今知恵を絞らないといけない課題は何か。『福島の語られ方』をアップデートする必要がある」。そのため、公表されているデータを中心に課題を整理した。

2015-08-11 21:21:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2本の記事で、毎日新聞 石戸諭記者は、 開沼博氏の姿勢について、真逆のことを言う。 一方では「『福島の語られ方』をデータを中心に課題を整理した」と書き、 もう一方では「あくまでも「声」から問題を組み立てていくべきではないか、と提起しているのです。」と書く。 矛盾している。

2015-08-11 21:25:27
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

この、開沼博氏の「姿勢」の転換については、 開沼氏が上野千鶴子氏と行っている対談のなかで、上野氏にはっきりと指摘されている。 cakes.mu/posts/9323 開沼氏の『はじめての福島学』で使われているのは、ありもののデータで、それでは社会学者を名乗れない、と。

2015-08-11 21:32:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

では、開沼氏の出世作である『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』では、人々の「声」を適切に使っているかというと、それは、断じて違う。 開沼氏は、様々な「声」を聞いたうえで、自らが言いたい「福島県民は原発を自発的に受け入れた」という筋書きに適合する「声」だけを使ったのだ。

2015-08-11 21:36:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼博氏は、手法の選択では一貫していないが、 主張に関しては、ぶれていないのだ。 「原発立地地域の住民は、原発を自発的に受け入れた。その結果起きたことを住民は受忍するしかないが、東電の原発事故の影響は、それ程深刻なものではない。」 これでは、開沼博氏自身が「原子力ムラ」の住人だ。

2015-08-11 21:41:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼博氏は、原発事故発生以前から、原発立地に反対した人や、立地した後に原発に反対した人の「声」も複数聞いている。(これは、聞かれた本人に確認してある) しかし、そういう人の「声」は取りあげず、なかったことにする。 事故発生後の避難者の「声」も、聞いているのに取り上げない。

2015-08-11 21:45:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

開沼氏が原発事故発生後に、避難者の「声」を聞き取っていることも、私は当然知っている。しかし、開沼氏は避難者の「声」を取り上げるどころか、避難者の思いを踏みにじるようにして、『はじめての福島学』をありもののデータで書いた。避難者の「声」を書けば、開沼氏には都合が悪い文章になる。

2015-08-11 21:51:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

避難者の「声」は、日本政府、福島県庁、東京電力、そして開沼氏が出版イベントで対談する「科学者」や「有名人」の姿勢と責任を問うものになるからだ。 それは、開沼氏の「仕事」に悪影響を及ぼす。だから、「避難者」との文章のやり取りではなく、東氏を選んだ。それを石戸記者が支援した。

2015-08-11 21:55:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

要するに、今公開されている、毎日新聞紙上の「往復書簡」とは、そういうものだ。 開沼博氏のアリバイ作りに、石戸記者が協力し、東氏がダシに使われている。 NHKが「福島の見方・考え方を代表する人」のように扱っている開沼博氏とは、そういう存在だ。国に棄てられる側ではなく、棄てる側。

2015-08-11 21:59:38