『マッドマックス』、今日二度目の鑑賞。いや、やっぱりスゴい。また涙が出てきた。以前、『パンズ・ラビリンス』を見たときにも同じ感想を持ったが、これは私にとって「十年に一本」の映画だ。
2015-06-25 19:21:06『野火』、『マッドー』に勝るとも劣らない出来。これ、ホントだよ。たぶんマッド-』の30秒ぶんぐらいの予算しかないだろうに。映画はやはり、どうしてもこれを撮りたい、という情熱が大切なのかもしれない。人間は死ねば、いや、生きてても、腐肉になるんだよ、それが戦争なんだよ、と大声で訴える
2015-07-28 15:44:42「野火」、「辛口の評論家」とかがこれを「ホラーテイスト」の戦争映画と評したらしい、気のきいたことを言ったつもりだろうが南方の戦場で兵士たちがウジまみれで死んでったのは歴然とした事実だ。確認されてないが人食いの噂もあった、これを「ホラーテイスト」と評するのは監督の志を害するものだ
2015-08-09 13:14:421 「マッドマックス」立川爆発版、朝の九時だというのに、もう最前列のいちばん端の席しか残っていなかった。どうして「マッド」を見て泣くのか自分でもよくわからない。そういえば『映画芸術』での編集長とゲストとの対談で「マッド-」のことをくさしているのを読んで、ちょっと考えさせられた。
2015-08-13 11:35:132 その対談で、ゲストが「映画はアクションだというので、もう人間の内面なんかどうでもいいというなら、上海雑技団でも見たほうがましだ」という意味のことを言っていて、さすがに編集長は「暴論だ」とあきれるのだが、私にはこの発言の趣旨が理解できるような気がする。決して暴論ではない。、
2015-08-13 11:43:353 これはあくまでも一般論で、全部が全部そうだといってるわけではないので、誤解してもらいたくないのだが、確かに「映画・アクション至上主義者」にはr特撮至上主義者」に一脈あい通じるような、「映画の歴史」、「映画の文法」をすべて無視して、映画の可能性を狭めてしまうようなところがある。
2015-08-13 11:51:594 問題は、ほんとうに「マッド」が人間の内面を無視しているのか、ということだが、私にはどうもそうとは思えないのだ。その一点において、この発言者は「マッド」という映画を見誤っているのではないだろうか。すこし、そのことを検証してみたい。
2015-08-13 12:06:095 発言者は「女隊長」がどうしてこんなに強いのか、過去に何があったのか、なぜ女たちが従っているのかぜんぜんわからないといってるのだが、これこそまさに暴言だろう。説明、あるいは解説こそされていないが、これらは非常によくわかる。これがわからない人には何をいってもムダだという気さえする
2015-08-13 12:12:306 それではマックスの内面はどうか? 彼はー見「マッド」のように見える。しかし、マックスに内面がないわけではない。ただ、彼の内面は、極度の喪失のために壊れているのだ。この違いは重要だ。なぜなら、すでに「ない」ものはもう取り戻せないが、「壊れた」ものなら治すことができるからだ。
2015-08-13 12:20:267 今回はじめて、ウォーボーイたちに捕らえられたマックスの顔が、一瞬、消えてしまうのを確認することかできた。このときマックスは最後の希望まで失ってしまうのだ。このとき完全に内面が壊れてしまう。一人の「個人」であることを喪失してしまうのだ。
2015-08-13 12:29:068 女隊長は片腕を失っている。しかし希望だけは失っていない。だからこそマックスは女隊長と行動を共にするのを決めたときまず「顔」をとり戻すのだ。マックスは彼女に、希望は持つな。持てば悲しむばかりだからという、が、そんなマックスが最後に名前を、つまり人間としての尊厳を取り戻すのだ。
2015-08-13 12:50:26つまり1「マッドマックス」は人間の内面を無視した映画ではない。それどころか人間の内面をこそ,最重要テーマにした映画といっていいだろう。だからこそ、老いて、疲れて、希望を失いがちの私がこの映画を見るたびに泣いてしまうのだろう。
2015-08-13 13:04:39