#宗三左文字夏の怪談

昔々の、僕ととある尾張の刀のお話です。
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宗三左文字【極】 @souza_smnj

昔々、まだ僕が織田でぶいぶい言わせていた頃の話です。一口の太刀がおりました。 天下布武を掲げる信長公の勢いは衰える気配を知らず、過去に僕と相対した刀ですらもその配下へと加わっていった時代です。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:09:45
宗三左文字【極】 @souza_smnj

実休光忠、不動国行、三好の頃に相対した者や松永の手を経て織田へとやってきた者、いろいろな者がおりました。 話はとある一口の太刀となります。 彼はある時は面従腹背し、ある時は正面から相対し、決して織田に殉じない太刀でありました。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:14:51
宗三左文字【極】 @souza_smnj

彼の名前は天下一振。 よく似た名前の太刀と、僕は羽柴の鼠のもとで顔を合わせたことがありますが、それが同じものであるかどうかは分かりません。 豊臣方と徳川方に分かれた僕と彼の、その後の経緯は皆様も知るところだと思われます。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:19:29
宗三左文字【極】 @souza_smnj

時代はくだり、250年に渡った太平の世にも翳りが見えはじめます。 外様として不遇を受けていた大名達が力を付けはじめた いわゆる幕末の到来です。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:21:35
宗三左文字【極】 @souza_smnj

衰えを見せはじめた徳川の者達も、しかしその乱れた世と権勢の在処をあらたにする為、ひとつの手を打ちます。 徳川将軍の、実に230年振りの上洛です。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:25:16
宗三左文字【極】 @souza_smnj

この上洛の為に結成されたのが、後にその名を残す新撰組であることは皆様も知るところであると思われますが、この時、実に230年の沈黙を破ったのは、この出来事ばかりではありませんでした。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:28:16
宗三左文字【極】 @souza_smnj

織田のはじまりの地に在った、徳川御三家がひとつ、尾張徳川家です。 そして、動いたのはその尾張が有する一口の刀。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:30:49
宗三左文字【極】 @souza_smnj

これが偶然なのか必然なのか、僕にはまったく推し量ることのできないものですが、この尾張徳川家は、ただの一度たりとも、将軍を輩出したことのない御三家です。 はじまりのおわり、とでも言ってみましょうか? #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:32:45
宗三左文字【極】 @souza_smnj

将軍家茂の上洛に合わせるかのように、ただの一度として将軍を送り出さなかった御三家の刀が、時の帝へと献上されたのです。 名を一期一振。 時は文久三年、西暦にして1863年の出来事です。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:35:34
宗三左文字【極】 @souza_smnj

さて、文久三年という年を振り返ってみましょう。 時の帝であった孝明天皇が賀茂神社にて祈願を行い、長州の毛利慶親が幕府と朝廷の間で動き、世は朝廷の意向の前に、攘夷へと流れていくのです。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:44:37
宗三左文字【極】 @souza_smnj

時は翌年、文久から元治へと元号が改められ、時代と天秤はさらに傾いていきます。 長州の勢力による帝を奪取する企てを知った新撰組が、その拠点を襲撃します。後に言われる池田屋事件ですが、起きたことはそればかりではなかったのです。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:49:25
宗三左文字【極】 @souza_smnj

池田屋事件その後の動乱の呼び水となり、京都市中にも戦火に飲まれることとなります。 ―――まるで、とある刀に誘われるように。 その出来事を蛤御門、通称、禁門の変と言います。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:54:40
宗三左文字【極】 @souza_smnj

かくして、この出来事を切っ掛けに、長州毛利は朝敵の汚名を被ることとなったのです。 時は、さらにすすみます。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 21:57:25
宗三左文字【極】 @souza_smnj

朝敵と貶められた長州は徳川幕府との戦を繰り返し、帝の攘夷は揺らがぬまま。 二百数十年振りの動乱の波と、海に目を向ければ欧州列強。 内憂外患のこの国に、またひとつの終わりが訪れました。 帝の崩御。 とある刀が献上され、丁度四年での出来事です。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 22:08:48
宗三左文字【極】 @souza_smnj

公式の死因は天然痘とされておりますが、この当時からはまことしやかに暗殺説を囁かれ、この一件については明治を過ぎ、太平洋戦争の終結を見るまでその研究を禁じられるほどのタブーとなりました。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 22:13:17
宗三左文字【極】 @souza_smnj

いよいよ本格的に、徳川の時代が終わりを迎えます。 薩摩の島津と長州の毛利が手を組み、長州を嫌った帝がお隠れとなり、今に言われる明治の帝の即位によって、長州の権勢は瞬く間に返り咲き、徳川と僕、そして刀の時代は終焉を迎えました。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 22:17:30

※補足

尾張徳川家は、御三家のひとつに数えられながら唯一将軍を輩出することのなかった家であったと同時に、
徳川でありながら勤皇派についた『徳川に反逆した徳川』という一面も持っています。

(別に尾張徳川を貶めているわけではこれっぽっちもありませんので、そこはご理解ください)

宗三左文字【極】 @souza_smnj

さて、その動乱を誘うように、尾張から帝へ渡った刀はというと、嘗て江戸城と呼ばれた僕の古巣、三ノ丸にて健やかに過ごされているようです。 その城の北には、現在では戦死者を祀るとされてはいるものの、当初は事実上、倒幕を実現した長州を祀るための社があります。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 22:22:17
宗三左文字【極】 @souza_smnj

この話を怪談と思うかどうかは人それぞれであろうとは思いますが、 これが、戦国の世から刀の時代の終焉まで、ずっと僕と敵対し続けた、とあるおわりの刀の話です。 おしまい。 #宗三左文字夏の怪談

2015-08-12 22:25:35
宗三左文字【極】 @souza_smnj

ところでこれは余談ですが、この後、歴史の上では薩長閥と呼ばれる派閥が生じ、その時代は実に、第二次世界大戦の終わる間際まで続きます。

2015-08-12 22:32:47
宗三左文字【極】 @souza_smnj

その薩長閥の残滓は今にも残ると言われてはいますが、 とりあえずその時代の幕を引いたのはとある能楽師の一族の出の者でした。 その男の愛刀が加州清光であった、というささやかな小噺も添えて遊んでみます。

2015-08-12 22:35:39

※補足

『戦後』となった今では悪名高い東條英機ですが、彼には薩長閥の歴史に終焉を齎した側面や、
いわゆる軍国主義の体現者だけではない評価など、様々なものがまさに毀誉褒貶飛び交っておりますが
その彼の愛刀もまた、『加州清光』でありました。

宗三左文字【極】 @souza_smnj

怖いと思うかは人それぞれでしょうが、三百年近い時を掛けて僕を追い落としにかかって来たんですから、僕にとっては十分な怪談ですよこれ。 三百年前の怨霊に祟り殺されたようなものですから。 ……青江がいてくれたらきっと斬り伏せてくれたのに(´;ω;`)ブワッ

2015-08-12 22:44:11