「経済的な価値」とは何か?を深く考えさせられたモン=モジモジ先生のツイート

コストではなく価値。そう考えられる社会であってほしいと思いました。 「障害者自身にとっての社会参加の価値とか、私たちにとっての排除しない社会・共生社会の価値とか、そのための社会的認識の価値とかを、生産される財やサービスの価値と(少なくとも)比較するという視点が必要」。とても勉強になりました。
経済
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モン=モジモジ @mojimoji_x
「経済学者として」言うけど、これは差別発言ですよ。なぜそうなのかは解説します。 twitter.com/takapon_jp/sta…
モン=モジモジ @mojimoji_x
たとえば、「その人が働くことによって追加的なコストがかかるから、企業の利益が減る」ような労働者はいます。たとえば、身体障害者が働くことで、バリアフリー化する必要があるなら、そのコストはかかります。ただし。 @takapon_jp
モン=モジモジ @mojimoji_x
それは「障害者の就業機会とバリアフリー化コストの節約のどちらを選択するか」という話であって、どちらがより豊かか、という話にアプリオリに正しい答えはありません。つまり、そのこと自体は、富を減らしも増やしもしていないのです。 @takapon_jp
モン=モジモジ @mojimoji_x
障害者も含めて人間としての接点がある、あらかじめ排除されない社会の方が望ましいと考えるから、私たちはそのためのコストを社会的に支払って、そういう社会を「購入」しています。それが嫌だというのは自由ですが、その発想が差別だと、普通は言われますね。 @takapon_jp
モン=モジモジ @mojimoji_x
これのがわかりやすいか。 「そういう人の就業機会」をどのように評価するか、という問題であって、それが大事だと考えてコストをかけるかかけないかの選択の問題。これを「社会全体の富が減っている」と断じることはできません。 twitter.com/takapon_jp/sta…
モン=モジモジ @mojimoji_x
以上の一連のツイートへの補足として。 堀江氏への批判の全てに同意する訳ではありません。彼の発言は障害者差別になっているとは思いますが、その論証がうまくなされていたかは別の話。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x また、この手の、自分の個人的な価値判断を客観的な価値だと偽装する(つまり、障害者の就業機会確保を生産性の低下等々の「客観的」損失だと考えてしまう類の)誤りは、経済学者や経済学学習者がしばしば犯す誤りで、別に珍しくもないです。堀江氏だけの問題ではない。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@akkosecret でも、まあ、堀江氏のくらいになると、「服役させずに罰金刑にした方が、社会的にも効率的なのに」って方向かな。 余計にタチ悪い発想ですが。
モン=モジモジ @mojimoji_x
誤解のないように、もう少し補足。 堀江氏は、単に障害者を排除しろと言っているのではなく、「生産性を犠牲にして就業させるより、無理に就業させずに健常者が働いて、福祉をまかなえば良い」と言っていると、整理すればできます。ただし、それはそれで差別ですよ、ということなんです。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x 「生産性の低下」というコストをかけても、障害者の就業機会がある社会の方が望ましい、という考え方は十分あり得ます。そして、この方法は「経済的に効率的だ」という判断もあり得るのです。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x なぜかと言えば、障害者に対するあらゆる施策は、非障害者にも賛否を問う必要がある。であるなら、非障害者が障害者施策の必要性を理解する社会的可能性が必要。(健常者と分離しないで)統合教育が検討されるのも、そういう必要性が理由の一つでしょう。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@guldeen 堀江氏の発想でいうなら、そういう余裕のない社会こそ、能力無き者は無理に関わるな、出来るものだけがやれば良い、その方が効率的だ、という価値観が育つべきなのです。そういう過酷な環境でも、「参加」の意義が否定されていないことが大事だと思います。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@zebra_masa まさにそこが悪質なんですよ。>社会的ではない価値を社会の名の下に語る 堀江氏が「そういう会社」を作るのは勝手ですが、社会がその会社に障害者の雇用義務を課すのは、そういう価値を選択しているのであって、非効率的なわけでも不合理なわけでもないですしね。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@akkosecret できるだけ穏当に読むなら、堀江氏は「妊婦を排除しろ」ではなく「妊婦が働くと非効率だから、職場からは排除して、福祉を与えよ」と言っているように読めます。しかし、それも問題なんです、ということ。
モン=モジモジ @mojimoji_x
堀江発言に対して、「役に立つ(=生産性の高い)障害者もいます」というのは、同様に差別発言だと思うなぁ。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x たとえば、その職場に参加することで、全体の生産性を下げるような人がいたとして(必ずしも障害者とは限らない)、それが社会的に損失しか生み出してないと評価できるかは微妙。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x その職場はなんらかの生産活動をしていて、その生産物の生産量の観点からはマイナスかもしれないが、ともに生産活動に従事することで生まれる「そのような人への理解」だって、市場取引されないというだけで価値のある「生産物」でしょう。その上でどちらを選ぶかという話。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x そして、このような比較においては、利潤最大化を目指す私企業は「障害者の社会参加」より「商品の生産性の向上」を優先するのは自明。だから、全ての企業に義務付けて競争条件の平等化を測りながら、「障害者の社会参加」という社会的に選択された価値を守ってるのであって。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@khideaki 人間の価値があるから、そのそれぞれの人間の福祉の向上に役立つことに価値が生まれるのであって、論理的にその逆ではありえないですからね。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x 「その人が働くことによって追加的なコストがかかる」とは、「その人を働かせないことによって節約されていたコストがある」という意味でもあって、出発点をどこに置くかによって意味が全然変わるのよな。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x 前者の言い方だと、「その人」のために周囲がコスト負担してるかのような構図に見えるけど、それは出発点を「その人を労働現場から排除している社会」に置いて見るからそう錯覚するだけのことで。
モン=モジモジ @mojimoji_x
障害者(やなんらかの理由で生産性に劣る者、周囲の生産性を低下させる者)の就業機会を確保することは、「社会的にプラスにはならない」か。そこまで単純な問題ではない。「社会的なプラス」を、「その職場での直接の生産物に対する生産量」と定義すれば、「プラスにはならない」けど。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x しかし、障害者本人の社会参加の機会も(私たちがそれを価値あるものと見なすなら)価値がある。この場合、「直接の生産物に対する生産量」と「障害者本人の就業機会」の価値の合計をどう評価するかが問題になるので、「社会的にプラス」と判断する可能性は大いにある。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x 他にも、障害者の周囲の人たちが障害者に接することによって得られる認識も、(私たちがそれを価値あるものとみなすなら)価値がある。これも評価すべき価値に加えて良いし、「直接の生産物に対する生産性を引き下げても」「社会的にプラス」と判断する可能性は大いにある。
モン=モジモジ @mojimoji_x
@mojimoji_x さらに言うと、堀江氏が肯定しているであろう障害者福祉への健常者らによる負担も、実際に支出への同意を政治的に調達することを考えるなら、「障害者と共に暮らせる社会に価値がある」という認識が必要。それは現実的には、統合教育や障害者の就業を通じて育まれる。
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コメント

漫遊人 @manyujin 2015年8月24日
結局ホリエ的価値観は貨幣量へのフェチシズム、なんていうと信者さんに怒られるのだろうが。ただ社会福祉体制の「価値」をどこから汲み出すかは重要で、たとえば平板なヒューマニズムは、ホリエ的資本論から、それで全員が喰えるの、とやり返される。
漫遊人 @manyujin 2015年8月24日
自分が将来どうなるか分からない、そのセーフティーネットとしての「価値」をいかに社会的に構築するか。経済的な部面もさることながら、社会的な部面、たとえば社会的包摂性・非排除性を最低限確保できるか、とか。
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