【日本海軍400時間の証言-21】木村家は戦時中は永田町にあった。 ・・・・・(中略)その後,空襲に遭い,木村家の人たちは命の危険にさらされたが,元少将が助け出し一命を取り留めたという。
2014-09-25 00:51:33【日本海軍400時間の証言-22】『黒島亀人伝』によると,こうした縁から,戦後,木村家が世田谷区岡本に移った後も,黒島元少将は木村家に寄宿することになったとされる。 ・・・・・
2014-09-25 00:51:39【日本海軍400時間の証言-23】・・・・・ (中略)ついに木村家を知る人に行き当たった。 戦後の一時期,黒島元少将がいたのと同時期に,木村家に寄宿していた女性がいることがわかり, ・・・・・
2014-09-25 00:51:46【日本海軍400時間の証言-24】瀧沢久子さん。現在,栃木県に暮らしている。瀧沢さんは木村夫人の姪で,昭和三十五年から二年間,大学に通うために同家に寄宿し,黒島元少将と一緒に過ごしていた。
2014-09-25 00:51:54【日本海軍400時間の証言-25】瀧沢さんは元少将のことを「黒島のおじちゃま」と呼んだ。黒島元少将は,木村家から仕事のことなどでよく助言を求められ,頼りにされていたという。普段,黒島元少将は,敷地内にある畑でイチゴの栽培など農作業をして過ごしていた。
2014-09-25 00:52:03【日本海軍400時間の証言-26】元軍人という印象は,ほとんど感じさせなかった。二,三度だけ,海軍関係のことを話したというが,そこで強調していたのは努めて冷静,柔軟な行動を心がけていたということだった。 ・・・・・
2014-09-25 00:52:09【日本海軍400時間の証言-27】・・・・・ 瀧沢さんは,「困ったことがあると,今でも,『こういう時,黒島のおじちゃまならどう助言してくれるだろう』と思い返すことがあります」と添えた。
2014-09-25 00:52:16【日本海軍400時間の証言-28】落ち着いた態度を崩さない黒島元少将だったが,時折,自室にこもって一心不乱にノートに何かを書いていることがあった。何を書いているかとたずねても,哲学的,宗教的な回答でよく理解できなかったが,
2014-09-25 00:52:25【日本海軍400時間の証言-29】ある日,寝起きの黒島元少将がポツリと言った言葉を瀧沢さんは忘れることができないという。「戦死した若い部下が出てきた。霊魂はあると思う」
2014-09-25 00:52:32【日本海軍400時間の証言-30】このエピソードを聞いたとき,私は黒島元少将の人物像にようやく少し触れられた気がした。戦後も先の大戦のことを考え続けていたように感じた。
2014-09-25 00:52:43【日本海軍400時間の証言-31】そして,黒島元少将が何かを書いていたというノート。私はそこに,特攻についても,何か書き残されているのではないかと考えた。 ・・・・・
2014-09-25 00:53:04【日本海軍400時間の証言-32】・・・・・(中略) 数週間後,電話が鳴った。「四冊見つかりました。取材のお役に立つようでしたら送ります」 朗報だった。黒島元少将の取材を始めて四ヶ月,ようやく自らが書き残したものにたどりつくことができた。
2014-09-25 00:53:17【日本海軍400時間の証言-33】手元に届いたノートは,表紙が茶色く色あせていたが,それぞれのノートに黒島元少将の直筆でタイトルが書かれていた。「茶の間メモ」,「No.2茶の間メモ」,「数学と自然法則其の2」,そして「人間」。
2014-09-25 00:53:24【日本海軍400時間の証言-34】しかし,宗教的にも哲学的にも見える記述ばかりで,一度では理解できない,独特の世界観とも言える難解な文章が続いていた。何度も書き直されたり,書きかけで終わったりしている文章も少なくない。
2014-09-25 00:53:42【日本海軍400時間の証言-35】また,座標軸らしきものなど,図や表が手書きで記されていた。いくつかのページには,先頭にキーワードが書かれていた。「人間」,「霊魂」,「人生の目的」----。 特攻については一言も書かれていなかった。 ・・・・・
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